下町育ちの、お山の大将(25)が東京大学で得た愛すべき挫折
(Facebookに載せた文章をそのまま記録用として転載しています。)
3月13日に、25歳になりました。今年は東日本大震災から10年経った年であり、自分の10年前を思い出す良い機会となりました。
恐らく、今回が人生初の「10年前の自分と比較できる」年齢です。
10年前は中学校3年生でした。
1学年2クラスの地元の小さな中学校で、バドミントン部の部長と生徒会長をやっていました。
部活では練習内容を巡ってケンカする気の強い男女に挟まれ、悩みながら泣きながらも日々の練習を組み立て、運営していました。
生徒会では特に大きな事はしなかったけれど、学校全体や学校行事の組織構造や、自分の仕事の意味を理解できました。
中学2年生で、人生初の「リーダー」になる経験がたくさんあり、戸惑って失敗して自信のなかった期間を過ごして、3年生は自分なりのやり方が分かってきた時でしたね。
初めて告白して、初めて振られたのもこの年でした((´∀`))
勉強は毎回の中間テストで学年1位を取るぞ!と同級生と切磋琢磨し、塾でも長期休みには毎日8時間自習をして、「一番を目指す!」という意欲に燃えていた時だったと思います。
ちなみに、教育に目覚めたのもこの時でした。受験勉強をする中で、教科学習を通じて身に付けるべき汎用的な情報処理能力の存在に気が付き、「勉強ってこんなに素晴らしいのに学校では教えてくれない」と思ったのがきっかけです。
10年前の3月11日は、中学校の卒業式の練習の日でしたね。
奇しくもその10年後に、やっと大学を卒業しました。
大学生活を通じて学んだことは、「No.1にはなれない」ということです。
東大生って、すごいです。「天は二物を人に与えず」ということわざがありますが、二物が与えられた人ばかりです。勉強はもとより、スポーツや音楽などの一芸があり、容姿への配慮もあり、物事への好奇心や、譲れないこだわりがある。
入学してすぐに、それまでのような「No.1を目指す」生き方では、大学内のコミュニティにおいて立場が無い(勝ち目がない)ことを無意識に理解しました。東大には全方面で秀でている人がとても多かったんです。
もし、他の事の一切を振り切って、一つの事でNo.1を目指したなら、成し得たかもしれませんが、それまでの「お山」において、全ての方面に努力をして一番上に登る、という事を美学として身に付けていたので、いきなり生き方を変えることはできませんでした。(勉強、部活、行事、全てに全力投球してきた事が例です)
そして無意識に大学からはみ出るように、学外のコミュニティとして塾講師のアルバイトに熱意を注ぎ、そこで「No.1」を目指した結果、体調を崩して入院して退職。
1年生の秋から、「何も持っていない」ことに気が付いて、「何かを得る」為にコミュニティを増やしました。1つの分野でNo.1になれないなら、分野の掛け合わせでOnly1になれるように。
・法や人権への理解、フィールドワークの魅力に惹かれて川人ゼミへ参加し、
・「活動のユニークさ」「自由さ」でみかん愛好会にハマり、
・教育を語れる仲間が欲しくてROJEに参加し、
・ちょろっとFXや仮想通貨について勉強し、
・イノベーション思考やブランドデザインを学ぶ短期ゼミに入り、
・地域子ども会支援の代表として団体運営をして、地域教育の視点も得ました。
色んな知識を掛け合わせて、ユニークな混ぜ合わせになってきたころ、周囲を見渡せば「Only1」の地位を確立して、「No.1」になっている人がたくさんいました。
結局、目指していた「Only1」には、「No.1」である事が十分条件に含まれていると分かって。それは目的と目標の関係性のような、無限の入れ子構造でした。そして僕はどの分野でも「No.1」になれなかった。(なるための努力をしなかった。)
10年前は、「No.1」をがむしゃらに目指す事ができました。
脇目も振らずに仮説を立ててそれを信じて検証してきた。そこに入れ込む気持ちがあったからこそ、不安定で、良い意味で子どもでした。
今は、「No.1」を目指していません。
でも「Only1」であることを肯定しているから、仮説や自説に不安を感じず、あまり感動も動揺もしません。(失敗しても「Only1」だからです。)常にポジティブ(肯定的)ですが、悪い意味で大人です。
つまり、大学生活はマイルドに挫折を繰り返して、良くも悪くも丸くなりつづけた日々だった、と言えるでしょう。
No.1 になるための勝負(挑戦)をすることをあきらめて、それなりの知見だけ吸収してきた、メタモンみたいな存在です。まだ、コンテンツを持たない、「何者でもない」存在。
でも、25歳にもなって、自分の中で「Only1」かつ「No.1を目指せる」特性も把握してきたつもりです。
①自己開示のためらいの無さ
②ポジティブに考える思考の癖
③物事に意味を見出す力
これからは、いよいよこの特性を元に、「Only1かつNo.1」であるコンテンツを持った、「何者か」を目指すべき時だと思っています。
「何者になれるか」はまだ分かりません。
4月からは、ERP(基幹業務支援)パッケージシステムの開発・導入保守・販売を行っているIT企業で働きます。(配属は未定です)
正直、この業界でも「No.1を目指す」ことは諦めているのですが
次のステップで本格的に勝ち戦をするための力をつけられる場所であり、
(未だに)難易度の高い業務経験と優秀な人材に溢れている環境(のはず)だと信じています。
もちろん、向上心が無いわけではありませんよ?笑
自分に出せる価値を最大限発揮していくつもりですし、経験の中から多くの意味を見出して知見を得たいと思っています。
Only1 に対する考えは、フォルケホイスコーレに留学中、「Cerebrate Imperfection(不完全性を肯定しよう)」をテーマにして展覧会を開いたときに出来ました。割れた陶器を見て、「ガラクタ」と「称賛されるべき不完全な挑戦」の違いを考えていた時に、後者には「No.1を目指す意識」、向上心が宿っていることに気が付いたことからです。
「No.1にならなくてもいい、元々特別なOnly1」という歌詞や、比較しなくていい、君は君だ!というフォルケの先生陣のメッセージは十分に飲み込んだ上で、それを消化する段階において
「やっぱ、上を目指さないと意味なくない?頑張ってみようかな?」という本来望ましいとされる状態に、1周回って戻っている、って感じですね。
実は今年の12月で、Twitterを始めて10年になります。高校1年生、一番最初のツイートは、「土佐日記」の「門出」をもじって、「男もすなるTwitterというものを、我もしてみむとて、す。」でした。10年前に考えていたことが、10年後にも記録として残っているのって、凄いですよね笑
ということなので、10年後に残るメッセージとして。
10年前、25歳の自分は「獣医師の見習いになっている」と信じて疑っていませんでした。
でも実際は、「何者にもなっていない」です。笑
それは逆に言うと何者にでもなれる「可能性がある」ということですね。笑
10年後、35歳の自分は、何者にでもなれる「能力がある」状態でいることを、期待したいと思います。
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