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紙の民の踊り|Co.山田うん《遠地点》|2025年1月26日の日記
和紙、半紙、模造紙、ハトロン紙——多種多様の紙とともに踊りをおどるCo.山田うんの新作ダンス《遠地点》を鑑賞するため、今日はKAAT神奈川芸術劇場まで足を運んだ。
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昨年、振付家の山田うんさんから「いま、《紙の神》をテーマに踊りを作っているところなの」と聞いていたが、ホワイエに展示されていたサルバドール・プラセンシアによる著作『紙の民』が目にとまり、わずかな聞き違いがあったことに気がついた(けれど、紙の民はきっと、紙の神とともに日々を暮らしていることだろう)。
和紙をはじめとする紙々が巧みに活用された多彩な表現は、いずれも意表をつく驚きに満ちていたが、とりわけ印象に残ったのは、舞台上に広げられた巨大な模造紙の上での群舞という、ある意味シンプルなアイデアに基づくシーンだった。
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日ごろダンサーが踊り慣れているリノリウムなどの床とはちがい、模造紙の上をゆく足はすべり、紙と床とのあいだにはズレが生じ、しまいには紙そのものが破れてしまう。そのような奇怪難解なる踊りの環境に投げ込まれたダンサーたちが、ときに紙に手を触れながら、紙の声に耳を澄ますようにして、そこに瑞々しい思考を、一度かぎりの試行錯誤を、二度とは繰り返されない身体の軌跡を生みだしていく。
ダンサーが模造紙の上をすべるごとに皺がより、波打った紙がふたたび引き伸ばされてはかすれた音を立て、どこかで紙が裂けたかと思えば、またどこかに穴があいている。フロアとのあいだに差し挟まれた紙一重の不安定が、ダンサーの意思をも超えた一歩を引きだし、下手を踏めば破れてしまう紙の弱さが、ダンサーのもっとも繊細な感覚を呼びおこす。それでいて、ダンサーの踊りをしばし支えるほどに、紙は強かった。
一方、ヲノサトルによる音楽を改めて振りかえると、その音楽的主張はいつにもまして控えめだった。まるで、ダンサーとの接触から生まれる紙のさざめきこそが、この日の主旋律であったかのように。ここでは、ダンサーばかりか観客までが紙の声に耳を澄ますよう導かれていた。
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土着の踊りをリサーチしてきた山田うんの振付には、その土地を踏むときいかに足を「土に着く」のか、あるいは足に「土が着く」のか、人と大地の関係をたしかめるように、そうして大地との関係を取り結ぶように踊りを組み立てていく視点がある。
今回「紙」という新たな「思考の大地」の上でおどられた踊りは、なかば山田うんに振り付けられた踊りのようであり、なかば「紙」に振り付けられた踊りのようであり、そこに踊るダンサーたちの姿は、紙の神との交流をはかろうとする紙の民のようだった。
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紙は思考の地面でしょう
知能の発達に文化の発展に
紙幣にトイレットペーパーに分断に破滅に
ペーパーレス革命が起きても
私たちまだ紙と生きている
紙は全知能、地球の神なのか
時は流れて
いつかここに紙を使って暮らしていた人々が
たくさん住んでいたことを想像してみます
ここから一番遠いところから
私に向かって手を伸ばすことをしてみます
それは書き忘れた早足の夢
透けた白紙の裏表