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逃げてばっかりの柔道人生①

こんにちは、ソーマです🐴

今回は私自身のことについてお話しようかなと思います。

とはいっても特に目立った人生送ってないので(笑)約10年間、私の人生に欠かせなかった柔道について振り返ってみようと思います。

私は隣町がド田舎の準田舎のような町に産まれ、育ちました。

父親に似たのか小学生の頃は周りの同級生より体格が大きく、背の順で並べば後ろから数えた方が早いほどでした。友達に怪我をさせて親を呼ばれるほど荒れた性格でもありました。

小学生4年生になる前の春休み、柔道世界選手権のテレビが放送されていました。
日本人選手が大きい外国人選手を投げ飛ばす姿は圧巻

「俺柔道やりたい」

水泳一筋だった私は親に伝えました。
そこかは楽園のような、はたまた、地獄のような柔道生活が始まりました。。

VS最強の女の子小学生

小学4年生から始めた柔道。最初に述べた通り、体格でほぼ勝っていたのでほぼ力技で勝てました😊

長年道場で無敗だった同級生にも半年ほどで勝ってしまうほどに。しかし、思わぬライバルが誕生します。

隣町のライバル道場にそれはそれは男勝りな女の子がいました。名を日比野(ヒビノ)と言いますマジで、でかいです。中学生にも引けを取らないでかさでした。(女の子にでかいでかい言うな)

当時の団体戦は男女混同でした。小学五年生の春の地区大会、男子個人戦で優勝した私は団体戦にも出場し、順当に決勝までコマを進めました。

決勝戦の相手は言わずもがな日比野率いる隣町道場。団体戦は5人制、日比野と当たる確率は5分の1です。

「どーせ日比野と当たったんだろ?」と思いますよね。はい、当たりました。

日比野は五年生ながら県大会でも準優勝。
年上の6年生をバッタバッタ投げ飛ばして準優勝。

「来年は全中(全国中体連の略)に出れるだろう」まさに期待の星でした。

私は5人制団体戦の大将を任されました。

先鋒から順に、次鋒、中堅、副将、そして大将の順に試合を進めます。

2回勝って、2回負け。私が勝てば優勝、負ければ準優勝というプレッシャーも半端ない状態で私の番が回ってきました。

審判の「始め!」の合図で試合が始まります。

私も体格がでかい方でしたが、それよりもでかい。でかいということはパワーも強い。
組手で押され、終始圧倒されました。

柔道では消極的(攻めない)な試合をすると「指導」をもらってしまいます。指導を4つもらった時点で反則負け。開始2分で指導2つ。当時は指導2つで「有効」となります。

このままでは私の負けです。

その時、なんの意識もせず技を入る振りをしたんです。私の得意技「内股」です。

相手を前方に投げる技です。なので相手は投げられまいと後方に体重をかけて技を防ごうとします。

内股に入る振りをして、1度体制を整え、次に相手を後方に投げる(大内刈)を全力でかけました。

「1本!!」

相手は内股を警戒し、やや後ろに体重をかけた状態でした。その力の流れを上手く利用した結果、見事大内刈が決まったのです。

もう10年以上前になりますが、今でも鮮明に覚えています。

まさか投げれると思っていなかったので、私もびっくりして鼻水がブバッと出てしまっていました。

小学生なので許してください。

私の道場側の保護者は大歓声、見事地区大会予選を優勝することができました。


ちなみにその1年後。小学生最後の大会。

またもや地区大会の決勝は日比野率いる隣町道場。

またもや、大将同士同じ顔合わせに。

、、、、

はい、秒殺されました。

「去年大内刈で倒したんだから大内刈をかけてやる!」

バレっバレでした。

開始早々、組んだ瞬間大内刈に行くも思っきり返されて宙を舞いました。

恥ずかしい。これだけは記憶から消したい。

小学生の時の話だけでも大変なボリュームですね。なかなか文章をコンパクトにするって難しいです。。

パート2は中学生時代編でも書こうかなと思います🤣
てことは、高校生編、社会人編と続くのか!?
需要ありますか?笑

ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回の更新をお楽しみに〜!

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