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流れる汗が土に落ちる時

2009年 5月 聖公会新聞

 5月の連休と言えは、北海道では桜の季節。沖縄では2月に開花するらしいが、その頃こちらは冬祭り真っ只中。日本列島の南北の広がりを実感する。


北海道の春には、勢いがある。木々の新芽がぐんぐん伸び、春の花がいっせいに咲き乱れる。雪は四月上旬にすっかり消えるのだが、だからといって直ぐに花や野菜を植えてはならない。突然の寒波(シバレ)や、季節はずれの雪を警戒する必要があるからだ。


旭川聖マルコ教会には、家庭菜園と呼ぶには広すぎるのでは・・・と感じる規模で野菜を栽培する方が数人いらっしゃる。夏はキュウリやトマト、ナス、マメ、サラダ菜など、秋にはジャガイモやゴボウ、タマネギ、カボチャ、ダイコンなどが日曜日の昼食に登場し、「これはウチの○○です。」と、紹介される。冬になっても、春になっても、「ウチの野菜」たちは登場し続ける。かしこい貯蔵術の賜物なのだが、それを知らされるたびに、食卓を囲む人たちの目は、喜びと感動に輝くのである。


昨年の7月、旧牧師館跡地が畑に整備された。保育園と教会が半分ずつ使用するのが目的である。実は私も、家庭?菜園の仲間入りをしたのである。菜園初心者の初回の成績は、秋まきダイコン大成功。約50本を子どもたちと収穫。美味しいタクアンになり、毎日曜日の昼食に登場した。秋まきニンジン失敗。極小7本収穫。残念な結果を真摯に受け入れ、セミプロたちのアドバイスを素直に聞こうと思ったのは、言うまでもない。


セミプロたちの言葉には、経験と実績に裏付けられた知恵がある。土の準備、植える時期、水やりのタイミングや支柱の立て方、病気や虫を薬を避けて防ぐ方法など、話し始めると終わりがない。しかし、そのような手間と労働は、新鮮で安全な食料となり、いのちと健康を支える力となるのである。収穫の喜びこそ、家庭菜園の醍醐味である。


陽の光を浴びながら土を掘り返し、流れる汗が土に落ちる時、自分もまた土から創られた者であることを考える。人は、神様のみ手の中で創られた地上の実り。鼻にいのちの息が与えられ、地を耕す者となったのだ。菜園で土と共に暮らすことは、収穫の喜びを得るのと同時に、自分もまた神様の収穫であることの発見でもある。

「神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」
使徒言行録 14章17節


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