悲喜こもごも9 〜書籍紹介〜
『100万回生きたねこ』
作・絵 佐野洋子 出版社:講談社
主人公のねこは100万回生まれ変わったねこです。あるときは王様の飼い猫、またあるときはどろぼうの飼い猫でした。様々な環境に生まれ変わり、傍目には羨ましいような一生も多く経験しました。しかし当のねこは、幸せを感じていないようでした。そうしてみると羨ましいというのも、ないものねだりということなのでしょう。自分と他とを比べて、自分のことを確認しようとしているのですね。それでは、そこに真の充実と言えるものがあるのでしょうか。考えてみると自分にも思い当たることがあります。他人を羨んだり、羨ましがらせるように振舞う事ことです。例えばSNSへの投稿ですが、グッドの数字が、多ければ多いほど、やはり嬉しいものです。ではそれが本当の私の生き甲斐なのでしょうか。グッドの数こそが真に生きているという全てなのでしょうか。そこには「自分の所在」を明らかにしたいという根底の願いがあって、そのようにしてしまうのではないでしょうか。
「後生の一大事」
今回のテーマは「後生の一大事」です。「後生」というのは死後の世界の事です。つまり亡くなった後の死後の世界の一番大事なことが「後生の一大事」ということです。
宗祖親鸞聖人はこの「一大事」について「出世の一大事」という言い方をされています。生きて行く上での生き甲斐ということでは、この世に生まれてきて(出世)、一番大事なこと(一大事)、と聞いた方が分かりやすいと思います。
しかしながら蓮如上人は、「後生の一大事」と表されていて、「死」を目前にしても揺るがないものは何なのかと、問うておられます。この場合の「一大事」というのは、死後の世界の、この一点が明らかになれば、「生」が生き生きとしてくるのだという事を蓮如上人は、おっしゃっているのです。それは比較によって得られる評価といったことではないのだということです。蓮如上人は、お手紙(御文章)の中で、「後生の一大事」を心にかけることが自分の所在が明らかになり、真の生を歩んでいくことなのだとおっしゃっています。蓮如上人が「後生の一大事」とされたのは、あえて避けることのできない「死」を目前にしたときに、あれもこれも積み上げてきたけれど、何一つ「死」を超えて、持っていけるものはないというのが、突き付けられる現実だからなのです。
主人公のねこは、野良猫として生まれてきたときに、初めて他のねこ(白いねこ)のことを大好きになるのですが、この出会いが、ねこに「自分の人生をしっかりと生きる」ことに気づかせてくれたのです。結局、ねこは100万回の次はもう生まれてこなかったのです。
主人公のねこが、野良猫として生まれてきて、白い猫に出会ったことは、この世で「これだけだ」といえる、生きる喜びに出会うきっかけでした。そのことによってねこは遂に「自分の所在」がはっきりしたのです。100万回生まれ変わったことは決して無駄ではなかったと感じたとき、ほっと胸をなでおろすことが出来ました。この絵本を通して主人公の猫と同じように、私も「自分の人生をしっかりと生きる」こと、そしてそのことを通して、ずっとずっと前から阿弥陀様に願われている私であったことを改めてお知らせ頂きました。
この絵本は1977年(昭和52年)に発表されました。今も読み継がれるこの絵本は、読むタイミングで様々に異なった思いが広がります。大人になってまた読んでみると、新しい発見がある、何度も何度も読み返したい絵本です。
(合掌)