てる

ことばの修行場所です。夕暮れとヒグラシが好き。

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最近の記事

そして一度読んだら、読まなかった以前にはもう戻れないのです。

    • 本屋に足繁く運んでいると、その本とふと「目が合ってしまった」ということがありますよね。そうして手に取って読んでいくと、見ざるを得ないものを見てしまった、なんてものを見せてくれたんだという、動揺というか、苛立ちを包んだ感動のようなものを感じ得たりするのですよね。

      • なぜか会える私たち、矛盾

        「私たちの存在の仕方自体の絶対矛盾」 池田晶子の著、相変わらず痛快なことば。 私たちの存在自体が矛盾である、と。 私たちは矛盾そのものでしかないのだ! やはり、不可解なことがすべての基本ではないだろうか。 哲学作家飲茶氏は、この世界で初めて『約束』という概念に気がついたヤツは哲学者だ!、と言っていた。 昨日まで会っていた相手と明日必ず会えるとは限らない。なぜそれでも会うことになるのか、ほんとうは不思議なことではないか。 理解できないことに慄く必要ももう無いのではな

        • からだがなければ何もできないはずなのに、このからだが有限であることがもどかしい。なんて思いすらどうしようもなくナンセンスなのに。からだよ開け!自由に!飛べ

        そして一度読んだら、読まなかった以前にはもう戻れないのです。

        • 本屋に足繁く運んでいると、その本とふと「目が合ってしまった」ということがありますよね。そうして手に取って読んでいくと、見ざるを得ないものを見てしまった、なんてものを見せてくれたんだという、動揺というか、苛立ちを包んだ感動のようなものを感じ得たりするのですよね。

        • なぜか会える私たち、矛盾

        • からだがなければ何もできないはずなのに、このからだが有限であることがもどかしい。なんて思いすらどうしようもなくナンセンスなのに。からだよ開け!自由に!飛べ

          『観想』!「theoria」!直観!この言葉が何かとても重要なものを秘めたキーワード

          『観想』!「theoria」!直観!この言葉が何かとても重要なものを秘めたキーワード

          今まで当たり前に可能だったものができなくなった、一体どうなってるんだ、という戸惑いに対しては、もう分かっていますよね。 このような時世になるより前からずっと、それははじめらから当たり前として存在してはいなかったのですよ!ということをいま一度、理解しておくべきなのでしょう。

          今まで当たり前に可能だったものができなくなった、一体どうなってるんだ、という戸惑いに対しては、もう分かっていますよね。 このような時世になるより前からずっと、それははじめらから当たり前として存在してはいなかったのですよ!ということをいま一度、理解しておくべきなのでしょう。

          梅雨明け待たれる今日この頃

          年齢を訊かれたときに、何歳です、って普通に答えるのがなんか癪なんですよ。というか不思議なんですよね、えーと自分たぶん○○歳だと思うんですけど…っていう疑惑と、で、それがなにか?という戸惑い。わかってもらえないですかね。お相手が歳下の方でも、歳上であっても。まだお互い大して知りもしないのにいきなり「○○歳」なんだね、っていう属性を把握される違和感がどうにも。なんか昔からそうなんです。というか年齢尋ねる行為って御役所機関関係以外要らなくないですか。 そして私、外見から人の年齢を

          梅雨明け待たれる今日この頃

          ことばに固執すると真意からは外れていきますね。最初に生まれた一瞬の蠢き、それが書きたいのです。手段の目的化というのは、まったく! ところで最近夜の散歩と、そこでの読書が楽しいことに気がついた。

          ことばに固執すると真意からは外れていきますね。最初に生まれた一瞬の蠢き、それが書きたいのです。手段の目的化というのは、まったく! ところで最近夜の散歩と、そこでの読書が楽しいことに気がついた。

          わたしはこの世界に生かされている。わたしが自分で生きているのではなく。 このことを忘れずに持っていなければ、きっとことばは空虚なものになってしまう。だからことばは、わたしのものではない。そうか、そこにいま一度立ち返らなけば、と思いました。

          わたしはこの世界に生かされている。わたしが自分で生きているのではなく。 このことを忘れずに持っていなければ、きっとことばは空虚なものになってしまう。だからことばは、わたしのものではない。そうか、そこにいま一度立ち返らなけば、と思いました。

          こんなに真正面を切られて、、、私たちになにか大事なことでも言いたげな、そんな月ですね。「わたしはここですべて見ているぞ、」とでもいうような。見つめられてこうソワソワする、これは何か。

          こんなに真正面を切られて、、、私たちになにか大事なことでも言いたげな、そんな月ですね。「わたしはここですべて見ているぞ、」とでもいうような。見つめられてこうソワソワする、これは何か。

          そうか今日は夏至でしたか。ずいぶん印象的な夕空だったので

          そうか今日は夏至でしたか。ずいぶん印象的な夕空だったので

          「どのように生きるか」を考える前に「そもそも生きるとはどういうことか」を考えていなくちゃならない、という。そんな命題を与えられたら、もうどうしようもなく途方にくれて泣きそうになってしまいませんか。それでもそこを考えずにはいられなさそうなので。大丈夫、私はちゃんと生きてます

          「どのように生きるか」を考える前に「そもそも生きるとはどういうことか」を考えていなくちゃならない、という。そんな命題を与えられたら、もうどうしようもなく途方にくれて泣きそうになってしまいませんか。それでもそこを考えずにはいられなさそうなので。大丈夫、私はちゃんと生きてます

          正しさとはなにか 続き。

          正しさとはどこにあるのか、ということについて再び。 本当に正しいことがどこかにあるとするならば 他者が主張する正しさAと わたしが考える正しさBとの狭間で わたしはその「本当の正解」をどうやって求めればいいのか。 ここでひとつ。 今すぐに回答を出さずに、保留にして抱えておくことは当然アリだということ。どちらともつかない考えを持て余している時間は何にもかえがたい。果たしてその考えをより味わい深くしてくれるのか、よりドツボにハマるのか、わからなくても。おでんの蓋は味が染み込

          正しさとはなにか 続き。

          うちの地域の氏神の八幡様です。古墳があります。御神木はどれか分かりませんがスギ、マツ、クスノキ、どれも活き活きしてます。なかなか素敵な神社だと自負しております。

          うちの地域の氏神の八幡様です。古墳があります。御神木はどれか分かりませんがスギ、マツ、クスノキ、どれも活き活きしてます。なかなか素敵な神社だと自負しております。

          梅雨、ヨガ、正しくなれない

          今日のヨガのレッスンでは 「判断に迷ったとき、わたしにとっての〝正しさ〟をどこからもってくるのか」という様なことについての話がなされた。 ここ最近のレッスンの中で、自分の核とはなにか、ということが幾度かテーマにあげられていた。 無数の答えをもつ問いに対して、 客観的な考え方(あいまいな定義ですがたぶん大多数の人たちの考えのこと)と、それと対立する自分の思いとの狭間で その答えをどう選択するのか。 そこでひとつ先生がおっしゃった考え。 今のわたしのベストでいたときに現れ

          梅雨、ヨガ、正しくなれない

          「大人なんて生き物はいない」、「若者なんて生き物はいない」

          「まあでも、あんたはまだ若いからね」というセリフ、またはそれに類する、ジェネレーションの対比を意識させる会話の一文。 大体は見過ごしてしまうほどの、よくある他愛ない会話の中に現れる一コマであるが、 これらを耳にするたび、どこか苦々しい気持ちを抱いていたことに気づいた。 なんなのだろう?このなんとも鈍い苦みを孕んだセリフは。 「わたしはもう若くないから」というくたびれた視線を向けられているように感じるからだろうか。 自身と他者とを年齢という時間によって隔て、お相手に距離

          「大人なんて生き物はいない」、「若者なんて生き物はいない」