教えないことで教える
僕にはドラムの師匠が居ます。
ベタな表現ですが、今の自分があるのは師匠のお陰と心から思ってます。
こんな言い方をすると怒られるかもしれませんが、師匠から教わったことで今も印象に残っているのはドラムじゃないことだったりしますw
今回は、師匠から教わったことや感じたこと、そこから得た「教えることと教わること」について書いてます。
師匠という存在が居ない方が多いでしょうが、学ぶという意味で誰しもに当てはまる内容かと思うので参考になれば幸いです。
意図
師匠からは基本何かを教えてくれることはありません。
質問をすれば答えてくれることもありますが、「むしろ俺が教えて欲しいよ〜」なんてはぐらかされたりしますw
一番多いのは「自分はどうしてるの(思ってるの)?」と質問で帰ってくることが多いです。
教えてくれなかったり質問をしてくるのには明確な意図があるんです。
試されている
まず、教えないというのがふるいになってます。
「弟子になったのに何も教えてくれない!」と受動的な人は続かないことが分かっているんです。
それならお互いの為に早めに辞めてもらった方がいいといったような意図があります。
教えないことで教えている
音楽には技術のような分かりやすい(有形の)要素もありますが、感覚やセンスのような(無形の)要素も大切になります。
無形のものは掴み所がなく育むもの難しいし、明確な答えがなかったりするので教えられることじゃなかったりします。
なので、
自分で学びを見つけられる、自分の頭で考えられる力が必要になります。
その力を育むために「教えない」ことで教えてくれています。
能動性・観察力・内省力・質問力
面白いもので教えてもらえないと何か盗めるものはないか!って考えたりしますw
能動的になるわけです。
そして、
盗み取る為、師匠の演奏はもちろん、発言や動き、立ち振る舞いなどを観察するようになり観察力が養われます。
観察をしていると、自分が何に反応し何に興味関心があるのかも分かるようになります。
普段は質問を茶化す師匠ですが、こちらが真剣に考えていたり悩んでいたりする時には答えてくれるから上手い。
質問に答えてもらえないのは、考えが足りない浅かったり、然るべきタイミングじゃなかったりするわけです。
師匠語録
印象に残っている師匠の言葉の1つに、
「野生では自分で餌を取れないと死んじゃうじゃない?」
というのがあります。
餌をあげることはできるけど、自分で餌の取り方が分からないと自立できないと。
音楽業界という荒野を生きていけないよと伝えてくれているわけです。
自分の経験と記憶
例えば、
目的地に行くにあたり、誰かが道を案内してくれたら安全に確実に最短ルートで着けるかもしれません。
その道を覚えればひとりでも辿りつけるかもしれません。
しかし、
目的地が変わってしまったらどうでしょう?
道に迷ったり間違えたり危ない目に遭ったりしながら自分でルートを考えることだったり、
道の途中に思わぬ発見があったりと、道中に感じること学んだことが身に沁みて記憶として残ります。
その記憶と経験が色んなことに活きてくるわけです。
スポンジ
師匠の言葉でもう1つ印象に残っているのが、
「スポンジは乾いてないと水を吸わない」
というもの。
僕も今やドラムを教える立場になりました。
教える側として、伝えたいことは山ほどあります。
しかし、
大事と思って色々伝えたとしても伝わらない難しさを痛感しました。
仮に僕が正しいことや答えを言っていたとしても、
受け手が今欲していることや理解のキャパシティ、タイミングの違いによって伝わらなかったりします。
教えるスキル
スポンジは乾いてないと水を吸わないし、スポンジによって吸収する量も違うし、水の鮮度も大事だったりします。
適切なことを、適切な量で、適切なタイミングで伝える。
それは教える側のスキルなんだということを教えてくれたいたんです。
ジレンマ
お金をもらって教えていたりすると、対価として何かを与えないとという気持ちがあります。
それは悪いことではないですが、教え過ぎてしまったり、相手の反応や態度が悪くてネガティヴな感情が湧いたりします。
教え過ぎても教えなさ過ぎてもいけないというジレンマですね。
情報の洪水
今やインターネットでは情報が無限のようにあり色んなことが学べます。
望まなくても「自分に最適とされる」ものを提案されますよね。
ただ、
それが本当に自分が欲しているのかを自分で取捨選択出来ないと、自分が自分を分からないようなことになっていくように思います。
活きた学び
学びもサービスも受動的ではなく能動的に、与え過ぎず教え過ぎず。
師匠からの教えは今も活きています。