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「数寄屋」はいかが?
『数寄屋建築(すきや)』
字面からして厳めしい。敷居が高い。
親しみを持てる「感じ」も「気」もしない。
そもそも「数寄屋建築」とはなんぞや?と聞かれることも多い。
「茶室とかのこと」と極シンプルに答えると高確率で「あー宮大工さんね!」と返ってくる。
「数寄屋大工」と「宮大工」、厳密には違う。
がしかし、そんなことを言ったところで「数寄屋大工」の方が市民権がないのだからとやかく言える立場ではない。
と言うか、いちいち訂正して説明するのがめんどくさい。
そうやって私は小さいころから過ごしてきた。
正直、どっちでも良い。
大人になって知ったことだが、父である親方は社寺建築の修行に出たことがあるので、歴とした「宮大工」でもある。
間違ってはいなかった。
両方に共通していることは『日本の伝統文化』であること。
日本人は大みそかに除夜の鐘を鳴らし、翌日には神社にお参りに行く。
お寺や神社は日常生活との距離が近い。
が、しかし・・・
スタバで抹茶ラテを飲むし、ハーゲンダッツの抹茶アイスは食べるのに茶室で抹茶は飲まない。
そして、日本人はすっかり正座が苦手になり苦行とすら感じる。
だから数寄屋建築は正直なところ先細りである。
今や夢のマイホームには畳の居場所はない。
「茶室は世界が日本に誇る伝統であり文化だからなくなってはいけない。」
きっと日本人の誰もが「そうだよね!」と共感してくれるはずだ。
(そうであってほしい。)
この矛盾を無責任というのか救いというのか分からないけれど、その「伝統」に従事する私たちは何かしらの方法と形で、何かしらの日本の伝統工法を未来に残していかないといけないと思う。
たとえ1000年後に全てがなくなり遺跡となり化石となっても、伝えていく義務がある。
理由はひとつ
伝統を守り伝えていく「当事者」だから。
そういったわけで、noteを始めました。
先細りの未来を可能な限り続けていくために情報を発信していきたいと思っている。
しかも、親方ではなく娘が。この文字の向こうにどれぐらいの人がいて、どれぐらいの影響があるのか…
でも、なにかしらを始めてみたいと思う。
お付き合いいただけたら幸いです。