今日1日を生きる

脚下照顧(きゃっかしょうこ)という言葉があります。
辞書によると、

身近なことに十分気をつけるべきだということ。また、自分のことをよく反省すべきだということ。他人にとやかく言う前に、まず自分自身を見つめ直せという戒めのことば。

という意味です。遠くのことばかりみていないで、足元のこと、自分のこと、そして今日のこと、今この瞬間のことを大切にしよう。そういう言葉です。私が大好きで大切にしている言葉です。

30歳でうつ病を患い、来年の1月3日でついに40歳を迎えます。うつ病との付き合いは10年になりました。幸いにして、ここ数年は予防的観点から薬(抗鬱薬)は飲み続けているもののフルタイムで健常者と同じように働く事ができています。これは、ひとえに周囲の人達の支えのおかげであり、素晴らしい主治医の先生と医学のおかげであります(ノリトレンという素晴らしい薬に出会えたことは本当に幸運でした)。

そして、この鬱の経験を通して気づきを得たことが沢山あります。その内の一つが脚下照顧の考え方です。人は永遠には生きられません。当たり前ですが。ですので、亡くなる日、そのXデーは必ずやってくるのです。そして、それは今日かもしれない。こういうことを鬱を通して沢山考えました。

「今日、亡くなるかもしれないのだから、今日を精一杯生きよう。未来を思い悩むことも、過去を悔いることもやめよう。今に、目の前に集中しよう」

そう思った日からとても気持ちが楽になりましたし、実際に鬱も快方に向かい始めました(もちろん薬や休養が十分取れてきたタイミングでもありましたので、考え方の転換だけで鬱が良くなった訳ではありませんが)。

時間に関して、確実に言えることが3つあります。

1. 1日は誰にとっても24時間である
2. 未来は誰にもわからない
3. 過去は誰にも変えられない

この3つは絶対に変えられません。変えられないことにリソースをつぎ込むのはもったいないですから、未来と過去を思い悩むことは斬って捨て、変えられる今日一日(24時間)に集中する、これは自然な帰結だと考えています。

2018年も本当に沢山の方にご支援いただいて、とても素晴らしい一年となりました。2019年も脚下照顧を胸に頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。

皆様にとって2019年が幸多い一年となりますよう。

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