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かごめかごめの都市伝説に物申す 1/2
結論から言うと、わらべうたのどこか一部分だけを切り取って検証することや、単語ひとつをとりあげて意味を追求していくようなやり方には問題がある……と私は考えています。
今日は分かりやすく『かごめかごめ』を例に挙げますが、この歌に限らず、
〝本当は怖い〇〇〟
〝〇〇に隠された真実〟
のような語り口で、伝承歌や昔話に関する誤情報をひろめるものは多く、注意が必要です。
(A)なぜそういう追求の仕方が問題なのか。
(B)どうすれば誤情報にまどわされないか。(ファクトチェックの大事さ)
この(A)と(B)を伝えることを目標として、記事を書いてみます。
Ⅰ.〝本当は怖い〇〇〟系……センセーショナルな題で興味を引こうとするもの
本当は怖いグリム童話、本当は怖い有名絵画…… そういったものが一時期ブームになりました。いまだに書店には本が並んでいるかと思います。
信憑性が薄い話でも「ひょっとすると…」「信じるかは貴方次第ですが…」と解釈の余地を残してくるところが特徴です。(ずるいところ!)
『本当は怖いかごめかごめ』も、インターネットを中心に、昔からよく出回っている噂話です。いつの世も話題性には事欠かないようですね……。
世界の暗部を説くものは(陰謀論もそうですが)、センセーショナルに人の興味を引きつけますし、「自分だけが知っている」という歪んだ優越感を与えることもあってか、なかなか無くなりません。
かくいう私も、前回の記事では〝恨み節と怨念〟について書きましたが、それは土地柄と人間性について向き合いたかったからであり、本当は怖い系の話を鵜呑みにしているのとはまったく違います。
“・唄のなかに残る〝怨み〟について、私の思うこと”URL
↑前回記事です。ご興味ありましたら読んでください😌
98%の人が笑いとばしたとしても、2%の人々は信じてしまうかもしれない。それが都市伝説の厄介なところです。だからこそ、明らかにくだらない与太話だとしても、真面目に解説しておくことも無駄ではないかな?と思いました。
ここでは、噂でよく語られている〝二つの要素〟を取りあげて、私の考えを書いていきます。
・鶴と亀
鶴と亀は、日本では縁起の良いモチーフの代表格です。
にも拘わらず、「鶴と亀がすべった」と歌詞にあることから、かごめかごめは不吉な唄ではないか?と語る系統があります。主に〝流産を歌った説〟の根拠として使われる部分です。
これは、かごめかごめの類歌と元歌を探していくことで解決します。
(類歌とは、伝承歌が伝播していく途中で派生した別のバージョンであったり、限りなく似ている歌が地域によって複数存在する、というもの。)
♬かァごめかごめ。か(引)ごのなかの鳥は。いついつでやる。夜明けのばんに。つるつる つッペェつた。なべのなべのそこぬけ。そこぬいて(引)たァもれ。
***
※(引)は、江戸時代には現代のような記号表記がなかったために、音の動きを漢字表記で工夫しているものです。
これは1820年の江戸時代の文献に、おそらく一番古い『かごめかごめ』の記録として残されている歌詞です。
鶴と亀ではなく「つるつる つッぺぇった」と書かれており、おそらく「つるつるっと滑った」というような意味だと考えられます。
そして京都周辺では、今も「つるつる」で歌っているところがあります。
つまりは、「鶴と亀」は後から連想ゲーム的に広がった替え歌(バリエーション違い)であり、特に深い意味はないと理解するのが妥当ではないでしょうか?
現代でなぜ「鶴と亀」のみが広く浸透しているかというと、昔とは伝播の仕方が違うからだろうと推測できます。
昔々のわらべうたは、伝言ゲームのように口伝えにすこしずつ広まっていくものだったので、途中で派生形がたくさん発生したものでした。
しかしラジオ・テレビなどが出現して以降、『あんたがたどこさ』にしろ『でんでらりゅう』にしろ、何かひとつ人気の歌が登場するとものすごいスピードで全国分布し、地域の差異なく定着するようになります。
以前はわらべうた遊びというといくつも類歌が存在したものですが、今はひとつの有名なバージョンのみが残って、他が淘汰されていくような傾向があります。
類歌を見ていくこと、採集地域・年代とをチェックすることは、わらべうたを調べる際に私が特にこころがけていることです。
派生の元をたどってできるかぎり『元歌』を特定することができたら一番良いのですが、それが難しくても、〝複数の資料を読み比べてみること〟は最低限やっておきたいですね。
・後ろの正面
うしろなの? 正面なの? ということで、混乱が邪推をうんできた歌詞です。
これも不穏に感じられやすいのか、〝首をはねられた説〟や、〝殺人の犯人さがし説〟の根拠として語られがちです。
……といっても、この部分はシンプルに「遊びの体系」を表しているにすぎません! ですから、都市伝説もすぐ否定することができます。
実際わらべうたでよく遊んでいる方ならばよくご存じでしょう。
これはいわゆる、後ろの正面型、の遊びにおける決まり文句であり、他の歌にも見られるものです。
有名なとことろだと、以下に記す『ぼうさんぼうさん』のわらべうたがあります。
坊さん坊さん どこいくの
私は田んぼに稲刈りに
それなら私もつれしゃんせ
お前がくると邪魔になる
このカンカン坊主クソ坊主
うしろの正面だぁれ
歌が終わったところで、鬼が「〇〇ちゃん!」と答え、後ろにいる人物を当てます。(後ろにいる人を当てるというのは、声を頼りにする人当て遊びとしては理にかなっています、人の耳は後ろ方向の音が聞き取りやすいようになっているからです。)
また、先に引用した「つるつるつッぺェつた」バージョン・江戸時代のかごめかごめに関しては、「後ろの正面」という歌詞すらありません。
なんとなんと、これは、遊び方自体が違ったからです。
〝後ろの正面型〟ではなく〝くぐり型〟の遊びが江戸における主流だったのだろうと、尾原昭夫先生が著書にて解説してくださっています。以下、引用します。
「かごめかごめ」は、今からおよそ二百年前の宝暦・明和の頃の江戸のわらべうたを集めた釈行智編『童謡集』にも書かれている古い遊びです。古いだけに各地にさまざまな歌詞の変化や、遊び方の変化が見られます。
ここにあげた歌詞と旋律および遊び方はまさに全国的で、遊び方からいうと<うしろの正面型>とでもいう方法です。
そのほかに<くぐり型><目隠し鬼型><だれのうしろ型><かごの鳥型><身ぶり型>などの遊び方があります。
***
江戸時代の『童謡集』では
♬かァごめかごめ。か(引)ごのなかの鳥は。いついつでやる。夜明けのばんに。つるつるッペェつた。なべのなべのそこぬけ。そこぬいて(引)たァもれ。
となっていて、実は『童謡集』や『幼稚遊昔雛形』の天保にかけて、江戸では「くぐり型」の遊び方が主であったことがわかります。
以上のことから、やはり「後ろの正面」という言葉は遊び方に由来するものであり、なんらかの詩的表現を与えるものではないということが言えます。
ちなみに、くぐり型とは、輪になって手を繋いだまま、どこか一箇所の手繋ぎの下を全員がうまくくぐり抜けると、輪をひっくり返した状態ができるという遊びです。
いわゆる『なべなべそこぬけ』の遊び方です。
最近だと二人で遊ぶものというイメージが強いかもしれませんが、大人数で輪をつくって遊ぶこともできます。(なかなかダイナミックな隊列移動が生じて楽しい遊びです。)
◇大事なことは……
I項のまとめです。
最も大事なこと、私が声を大にして言いたいことは一つ、『わらべうたを言葉だけで見るな!』ということです。
『わらべうたは必ず動きをともなう、動きありきで歌がある。』
というのを、基本のキとして知っておくと、理解がスムーズに進むのではないかと思います。
第一に、子どもが遊びの連続性を高める(楽しく続かせる)ために<リズムと音節>の組み合わせに趣向をこらしてつくった歌が〝伝承遊びの唄〟なのだ、という理解が必要です。
その視点をもって見てみると、多少の意味不明な部分は気にせず、聞き間違い・言い間違いなど偶然の発生こそ面白がって受け入れる……子ども達にそういった大らかさがあることが分かってきます。
<リズム・音節>を基準として言葉がつけられていくのは、調子を合わせるためでもあります。友達と息をあわせて遊ぶために、または道具をうまく扱うために(縄跳びであれば縄の動き・タイミングと合わないと上手くなれませんよね)、歌と動きはぴったり合っていなければならないのです。
例えば、かごめかごめの場合は、〝輪になって歩く〟ことと、次がどうなるか分からないドキドキ感のためにはある程度〝歌に長さが必要〟であることから、このようなテンポ、このような時間的進行性が必要だったと考えられます。
(時間的進行性とは、少し難しい用語ですが、要するに全体像に応じて部分部分にメリハリをつけたり、意味の連続性をつけるようなことです。)
遊びとは、時間が進行していくこと(状況が動いていくこと)を楽しむものです。ちょっと詩的な言い方をすれば「生きているもの」が遊びなのです。
反して、記録として言葉だけで本に記されたわらべうたは、ある種「死んでいるもの」と言えるかもしれません。紙面とは停止しているものだからです。記録だけのものから生命をよみがえらせるためには、読み解き方が重要です。
ノウハウがあれば、元の遊びを復活させたり、面白さの性質を想像することができますが……。遊び方を無視して単語の解釈だけを試みていては、なかなか本質の理解へと繋がりません。
つまりは、言葉のひとつひとつを取りざたするのではなく、実際の子どもの遊びと心理を理解しようとすることが必要なのです。また当然、歌の背景にある人間生活へのリスペクト(尊敬)を欠いてはなりません。
またしても書きすぎて長くなってしまいました……。続きは後日!(´;ω;`)
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