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第15回 労災認定判断に係る相当因果関係論の限界-(1)法的判断のケースについて-

 
1.相当因果関係とは?
 労災保険法において業務上の災害であると認められるためには、業務と傷病との間に相当因果関係が存在することを必要とされ、このことを特別な用語として「業務起因性」と呼んでいる。因果関係とは、「ある事実が、それに先行する他の事実に起因するという関係のこと」をいうが、事実をたどっていくと、被災労働者に生じた傷病が業務に関連して生じたものであるか否かは比較的容易に判断し得る。ところが、業務起因性があると認められるために必要とされる相当因果関係の存否については、度々困難な判断となる。弁護士の方には釈迦に説法であろうが、相当因果関係という用語は、民法においては損害賠償の範囲を当事者の予見可能性の範囲等に限定する意味合いを持ち、刑法においては、結果に対して行為者に帰責しうる範囲を限定するとの意味を持つ(諸説あり)。つまり、単に因果関係という言葉で原因と結果に対する牽連だけを捉えると、偶発的に生じた結果に対しても責任を問うことになり得ることから、債務者または行為者に酷であるとして、責任を限定するという効果を持つものである。

2.業務上判断における相当因果関係の意味
 労災保険において言及される相当因果関係がいかなる意味を持つものであるのかについては、深く考察されたことはない。日本の場合、労災であるか否かは0か100かの選択となるものであることから、相当性のある範囲に補償責任を限定するという考え方は馴染まない。したがって、相当因果関係を求めるとの意味合いは、予見可能性があること並びに帰責し得る範囲において結果たる傷病を発生させたものであるということになろう。そして、予見可能であるとは、その仕事をしていたらそのような災害に遭うことはあるであろうとの意味であり、言い換えれば、業務に内在している危険であるかを問うものである。一方、帰責しうる範囲における傷病とは、発生した災害が引き起こしたと認められる範囲内の傷病ないしは死亡であることを求めるものであると考えてよかろう。
 説明が長くなったが、実は、業務災害と言えるか否かの判断においては、相当因果関係について何をどこまで求めるものなのかを自問自答することになることが多い。やや専門的な話になってしまうが、労災認定実務における苦悩の一端を共有していただければと思う。

3.悪ふざけで同僚に怪我をさせたケース
 ある労働者が業務で使用する機械を用いて同僚に悪ふざけをして、怪我を負わせてしまったというケースを考えてみてほしい。業務で使用する機械によって生じた災害であると捉えれば、業務に内在する危険であるといえようが、故意の悪ふざけが原因になっていることを考えれば、帰責する範囲を超えているといえるかもしれない。おそらく、多くの人は、業務機械を使って悪ふざけをして怪我をしたことまで、業務災害であると認めることには違和感を持たれるのではないだろうか。この点、労働者自身が当該機械を用いて遊んでいた際に起こったものであるとすれば、自招行為とみなされるであろうし、また、同僚が単なる悪ふざけではなく、被害労働者に恨みをもっていたために行った行為であるとすれば、私怨に基づくものということになり、いずれも業務災害とみなされる可能性は低いものとなる。問題は、被災労働者には何らの帰責事由のない業務遂行中の災害であるものの、厳格な意味においては業務との相当因果関係は認められないこととなる本件のような事態について、法は救済を予定していると考えるべきか否かとなる。

4.第三者行為災害の場合との比較
 認定基準(通達)では、業務遂行中に発生した第三者の行為による災害は、自招行為や私怨に基づくものでない限り、業務上の事由によるものと判断するとされている。つまり、上記のような被害についていえば、外部から職場に侵入してきた第三者によって行われた加害行為であったとすれば、それが自招行為や私怨に基づくものでない限り、業務上の災害とみなされることになる。すると、職場に乱入してきた第三者が同様の行為を行った場合には業務上の災害とみなされるものの、同僚による悪ふざけ行為であれば業務外になるという結果になってしまう。
 業務に内在する危険をどこまで想定するのかという問題であろうが、職場への侵入者によって加害行為を受けるよりも、同僚による悪ふざけ行為の方がまだ生じ得る危険ということはできそうな気がする。予見可能(内在する危険)な範囲とは、本来、当該職種や職務環境に照らして論理的に導かれるべきものであろうが、現実の事件はきわめて多様な様相を呈するため、法の論理の追究には限界が生じることがある。制度の趣旨や社会的妥当性といった不安定な要素をもって判断することは極力避けるべきだとの思いはあるが、一方において、判断に係る物差しにはバランスが必要となることも事実である。
 労災認定の判断においては、被災労働者の過失等を問わないことが原則であるが、偶発的に発生した本件のような災害については、被災労働者に帰責する事由がなければ業務上であるとの判断になる可能性が高くなる。その理由は、こうしたバランスを考慮するためであるといえる。

5.昼休み時間に自家用車内で死亡したケース
 もっとも、被害者の行動に落ち度がある場合についても、業務起因性の判断に悩むことになる場合がある。例えば、ある雑貨品量販店において、従業員が昼休みに弁当を食べるために、会社敷地内にある屋外駐車場に置いていた自分の車の中でエンジンをかけたまま食事をし、その後居眠りをしてしまっていたところ、折からの大雪により雪がマフラーを塞いでしまい、一酸化炭素中毒によって亡くなってしまったという事件があった。昼休みであっても、昼食は生理的必要行為であると考えられ、また会社敷地内であったことから、業務遂行性は否定されないと考えて良い。しかしながら、業務に起因して生じた災害であるといえるかは、昼休み時間中に屋外にて居眠りをしていた際に発生した事故であると考えれば、否定的に解さざるを得ないものであろう。また、雪が降りしきる中、エンジンを付けたまま車内で居眠りをしたことは、雪国に住む者であればその危険性を認識し得たと考えられ、当人に過失があったといえなくもなかろう。ただし、考慮すべき点として、被災労働者がわざわざ自家用車に行って昼食を取ることにした背景には、通常利用していた休憩室に多くの従業員がいたため利用できなかったという事情であったと推認される点がある。
 この事件において、被災労働者の仕事ないしは休憩時間の過ごし方について、いかに予見の範囲を拡大してみても、自家用車の中で中毒死することまでを想定することはできないものであろう。その意味において、この事件の被災労働者を救済するとすれば、もはや法論理的な意味での相当因果関係論からは遠く離れてしまわざるを得ない。しかし、本件は、一見突飛な事件に見えるが、被災労働者の行動自体は、一人でゆっくりと昼食をとるために駐車場に停めていた自家用車に行ったというだけであり、何ら責任を問われるものではない。確かに、結果論として、軽率な面があったとの評価はあり得るが、例えば、社内食堂に行くことを急いだために階段で足を踏み外して怪我をしたというケースとどこが違うのかと問われると、説明には苦慮するように思われる。

6.労災保険における相当因果関係の捉え方
 労働者に生じた私傷病が、業務に起因して生じたものであるか否かの判断に際しては、当該「業務」の範囲をどこまでとみるかに留まらず、労働者が過ごす時間・空間において起こり得る様々な事態について、想像力を持って思索することが必要であると考える。「業務」の概念や「相当因果関係」の論理に執着し過ぎると、制度全体の整合性やバランスを崩してしまうという、より大きな弊害をもたらすのではないかと思われる。もちろん、制度の安定性や不平等を生じさせないために、法の論理の枠組みが必要であることはいうまでもないが、労働の形態や就業環境が急速に変化している昨今においては、当該枠組み自体について柔軟な思考が求められるような気がする。
 もっとも、医学的な因果関係については、より厳格であるべきだとの持論を持つ。この点、いつかテーマとして取り上げる所存である。なお、上記の事案は、いずれも労働保険審査会の裁決例(取消事案)として公開されている。

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