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第37回 労災保険・給付基礎日額算定の困難事案

1.厳格さが要求される給付基礎日額の算定
 労災保険における審査及び再審査事件としては、業務外(通勤途上外)判断に対する不服が最も多く、これに障害等級に対する不服が続くのであるが、実は、労災認定がなされた後に、(補償)給付額の基礎となる日額の算定について不服があるとする例もかなり多い。例えば、給付基礎日額が100円少なく見積もられると、月額の休業(補償)給付の額は3000円少なくなる。この額でも決して無視できないものであるが、これが障害(補償)給付や遺族(補償)給付になると一時金であってもかなり大きな差異が生じ、さらに年金支給である場合には生涯にわたって大きな差となってくる。給付基礎日額は、算定方法が明確に定められており、間違いが生じることはないはずであるが、実際には原処分庁の判断を取消すという結論になる例は多い。単純に計算違いといった場合もあるが、被災労働者の労働実態に係る事実認定に間違いがあるといった場合も少なくない。給付基礎日額の算定においては、曖昧さは許されず、1円の誤差であっても原処分庁の計算や判断に間違いがあれば取消すこととなる。

2.給付基礎日額算定に間違いが生じやすい理由
 原処分庁において間違いが生じる背景には、2つの事情があるように感じられる。第1に、人員不足もあり、調査に時間をかけることができないことである。労災の発生件数は都道府県によって大きな差があり、特に発生件数の多い都市部における労災補償担当官の負担は極めて重くなっている。近年、精神障害に係る労災申請件数が増加しているが、働き方改革のため監督部門が重視されることとなり、労災補償の担当官はむしろ減らされるという傾向にあることも拍車をかけている。精神障害の申立てを担当する補償課職員(労基監督官等)の仕事は、調査、聞き取り、復命書作成など、極めて煩雑なものとなるものであり、例えば同時に給付基礎日額の算定を担当することになった場合、細かなことまで新たに調査するといったことはできにくくなる。第2に、労災保険制度に関する知識はあったとしても、労働基準法の知識は十分でない職員が増えていることである。ご承知のとおり、近年の労働法の変化は、制定法だけをとっても著しく、それに最高裁の判断や通達・取扱要領等を勘案して問題処理をするよう求められることになるのだが、必ずしも高度な法教育を受けたとはいえない一般職員にそうした要求をすることは難しい。一昔前までは、相当レベルの知識を持った管理職がアドバイスをすることで、問題点を事前に指摘するといったことがあったようであるが、現在はそうした専門家といえる職員もほとんどいなくなってしまっているのである。 
 今回は、給付基礎日額の算定において、どのような間違いが生じやすく、そこにいかなる問題点があるのかについて話をしていく。

3.典型的な間違いのパターン
 給付基礎日額の算定において、原処分庁が犯す典型的な間違いは、業務上であるか否かの判断に際しては、給与に反映されていない時間外労働等を含めて業務上と結論付けられたものであるにも関わらず、日額の算定においては使用者が支払った給与明細のみに依拠して計算をするというパターンである。言うまでもなく、業務上外の判断に際して労働時間と認定した以上、使用者が当該時間外労働分の賃金を支払っていなかったとしても、給付基礎日額においてはこれを含むべきものとなる。
 一般的に、業務上外の判断における時間外労働時間数の確定は、例えば過労死や精神障害の認定であれば、一定時間を超えていれば業務上と判断されるという基準があるため、必ずしも緻密なものである必要はない。ところが、給付基礎日額の算定においては、上記のとおり、少しの誤差でも大きな違いになるため、極めて緻密かつ論理的な作業が必要とされる。その際、通常の事業所内での労働であれば、就業規則とともに、勤務記録やパソコンの出退勤記録によって比較的容易に時間把握は可能となるが、事業所外労働や裁量労働の場合には、労働の実態把握が必要となるため、かなり大変な作業量になるのである。

4.事務的処理の問題では済まない日額の算定
 給付基礎日額が問題となるのは、こうした過労死や精神障害の申立てのケースばかりではない。管理監督者であったとして定額の管理職手当が支払われていたものの、実際には管理監督者としての地位にはなかったことから、時間外労働時間に応じた手当を基礎として日額が算定されるべきだとの申立てがなされる場合がある。災害が生じるまでは、管理監督者であるとして支払われていた手当に不服を申立てることはなかったものの、業務災害発生後の日額算定の段階において、こうした申立てがなされるのである。業務上外の判断は、請求主義ではなく、職権探知主義であるため、請求に理由があるか否かによって判断が左右されるものではないが、こうした申立てがあった場合には、無視するわけには行かず、事実関係を調べてから判断することとなる。こうしたことは、時間外労働に対して定額で支払うとされている、いわゆる固定残業代が実際の時間外労働に見合うものではなかったという主張や、休憩時間とされている時間について実際には休憩することはできなかったという主張など、様々なパターンがある。つまり、給付基礎日額の算定というと、事務的な処理の問題であるように感じられるかもしれないが、実際には、労使間の契約や労働の実態に踏み込んだ事実関係を調査・探索しなければならないケースが多いのである。

5.賃金の概念や手続き要件を巻き込むケース
 さらに、賃金の概念や手続き要件の問題が、給付基礎日額の問題に絡むという複雑なケースもある。記憶するものとしては、出退勤時に他の労働者を送迎するよう依頼されていた労働者が業務災害に遭ったケースにおいて、1回の送迎につき定額の手当が支払われていたことを捉え、これも賃金であると申立てたものがあった。使用者が依頼していたという点から見れば、業務命令であり、その対価としての手当は賃金であるといえそうであるが、自らの出退勤時に他の労働者の家に立ち寄ったに過ぎず、しかも送迎は不定期に行われていたという実態を鑑みると、一時的な報酬であり、賃金とはいえないということになろう。結論をどのようにしたかは失念したが、当該手当がどのように支払われ、また実態としてどの程度の額になっていたかなどを勘案して、結論を出したように記憶する。
 手続き要件が問題となったケースとは、変形労働時間制を採用していた会社の従業員が業務災害に遭った際、当該変形労働時間制は必要とされる手続き要件を具備していないため、変形制を前提として時間外労働時間を算定することは間違いであり、通常の労働時間制であると考えて時間外労働時間数を計算すべきであると主張したものである。同会社については、就業規則も実際の労働時間管理もかなり怪しいものであり、請求人の主張には一定の理由があることは認められるのであるが、はたして給付基礎日額算定の判断において、手続き不備を理由に変形制が成立していなかったと結論づけることが妥当であるかは疑問であった。

6.被害が発生するまで沈黙する職場の問題点
 労働者は、労働条件や就労環境に疑問がある場合にも、受忍して働き続けることが多い。就労を継続するためには、できるだけ使用者との諍いは避けたいと思うのは当然であろうが、業務災害の発生に限らず、何か問題が起こると、そうした不満は結局表面化することになる。災害の発生自体において会社の責任が問われることがない場合でも、給付基礎日額の算定や労働者性を判断する場面において、会社の問題点が顕わになるといったことも少なからずあった。会社の労働条件や労務管理の不備は、思わぬところで労働基準監督署の知るところになるといったことを頭においておく必要があろう。
 一方、不法ないしは不当な労働条件の下で働いている労働者が、労務災害や解雇といった厳しい状況に至るまで沈黙を保つという実態も、大いに問題であるように思われる。労働組合が弱体化するなかで、労働に関する日常的な問題を相談・解決するような会社内部の組織ないしは機関が必要であると考えるが、労務問題をタブー視する風潮が蔓延する企業の実態の前では、非現実的な理想論に過ぎないのかもしれない。


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