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【お城巡り】熊本城
熊本城は、加藤・細川の大大名が築城した肥後54万石の巨城です。
明治10年の西南戦争において近代戦を経験している希少なお城で、このとき天守や御殿が謎の火災で焼失したものの、城の防衛力が証明された実践型の城です。
櫓、門、塀が重要文化財に指定されているものの現存天守でも国宝でもありませんが、最近は観光客数日本一だという、ふるさと自慢のお城です。
ふるさとの城
熊本城は、阿蘇山とともに私の故郷の2大シンボルです。
小学生の頃は遠足や写生大会などの学校イベントで、中高生からは市民プール、植物園、博物館、美術館、加藤神社などの城内施設をよく訪れてきました。受験の夏は水筒持参でクーラーの効いた城内図書館で勉強したり、二の丸広場などは、特に用事がなくふらっと散策するとこともありました。
街の中心地である鶴屋百貨店まえの電車通りからいつも見上げていたお城は、誇らしくもあり安心感を与えてくれます。
市民にとっては、正月の初詣から始まり、春は花見、秋は火の国祭りの会場とてとても身近な城なのです。
熊本市民の心の中心にドンとそびえ建つお城と言って良いと思います。
震災前の熊本城
2014年1月、家族みんなで初めて熊本城を訪れました。
市電(路面電車)の電停「熊本城前」を降りて、坪井川沿いを歩くと、美しい直線の長塀が向こう岸から出迎えてくれます。徐々にお城の世界に入り込むワクワク感が満載です。
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みゆき坂を上り、入場料を払って城内に入ると、一気に戦国時代にタイムスリップします。石垣また石垣の連続迷路が続きます。
熊本城の一番の醍醐味は、この石垣による防衛要塞の壮大さを体験できることだと思います。天守まで無事にたどり着くとは到底思えません。櫓の狭間から鉄砲で狙われ、桝形門に閉じ込められると、生きた心地がしませんが、そんな気持ちのまま、城防衛隊に見下ろされながら、石垣の谷底を曲がって昇っての繰り返しは恐怖しかありません。
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天守・宇土櫓
大天守と小天守は昭和に復元されていて、内部は展望台や資料館となっています。現存ではないのが残念ですが、これはこれで良いところもあります。
外観は重厚感のあるどっしりとした石積み土台の上に堂々たる黒天守が雄大に聳えています。大きな千鳥破風がカッコイイです。熊本市民は、この勇姿を当たり前のように繁華街から日頃見上げて暮らしています。
大小天守の横にある宇土櫓は、創建当時の櫓です。櫓といえども巨大なので立派な天守で、私はお堀の対岸から見る宇土櫓が大好きです。お堀の底から積み上げられた石垣の高さは如何程か。それはそれは雄大です。おまけに櫓の奥には大小天守も見られ、贅沢なビューポイントです。
宇土櫓の内部は梁、床、壁、柱全てが戦国の雰囲気を醸し出していてワクワクします。廊下には鴨居付きの仕切壁を何枚も作り、敵が槍や刀を振り回せないよう、且つ守備隊が待伏せできるよう工夫されています。
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本丸御殿
私が上京した後に復元された本丸御殿に入ることができました。
金キラ金。今も昔も金は豪勢です。富と権力の象徴でしょう。
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震災
2016年4月 熊本では震度7の大地震が発生し、熊本城も大きな被害がでました。
この年の年末12月30日、約2年ぶりに家族で訪れ、子供たちはそれぞれ1万円を自分で寄付して復興城主となりました。
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坪井川と長塀
電停を降り、坪井川沿いを歩くと、いきなり、川向こうの長塀が倒壊している姿に足が止まります。テレビでは見ていましたが、実際の被害の空気感はココに来ないとわかりませんね。
清正公(せいしょこさん)の銅像に挨拶して、いざ御幸坂と思いきや、入口が封鎖されています。ここでボランティアガイドのおじさんと雑談して、城全体の現状が大雑把にわかってきました。主要エリアのほとんどが立入禁止です。ただ、二の丸を通って時計回りにぐるっと回り、加藤神社経由で通町方面に出られるとのこと。
早速、スタートすると、飯田丸の櫓の石垣をはじめ、崩壊した石垣があちらこちらで確認できます。こんなに壊れるもんなんだ、と残念でなりません。じわーっとショックです。
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二の丸・戌亥櫓
二の丸広場に来ると、城の西側に延々と伸びる西出丸城壁が一望できます。その城壁の北端、つまり城の北西に位置する櫓が戌亥櫓です。戌亥は北西ですね。
この戌亥櫓を支える石垣も崩落していて、奇跡的にわずかに一本足だけが残る危うい状態です。
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天守
二の丸広場のあと、加藤神社までくると宇土櫓や大小天守がお堀越しに間近に見られます。
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天守の瓦が崩れ、緑の草が生えている姿が見えてきます。これまでの気持ちとはまた違う感情が湧き出てきました。残念・悲しいというよりも、よくもここまで踏ん張ったね、流石だね、という感謝の思いです。美しい姿からは程遠いけれども、痛々しい気持ちはもあるけれども、それよりも褒めてあげたい。なんとも複雑な気持ちです。
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復興中の天守
2017年7月
鶴屋前から眺める復興中の熊本城大天守です。
足場やクレーンの姿が頼もしくて勇気を与えてくれます。現場で働く方々、ありがとうございます。
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おまけ
私が父から聞いた話です。
熊本城観光の入口"御幸坂"を登る途中、右手に備前堀と言う堀があります。
この堀の下には第二次世界大戦中、防空壕があって、父が小学生の頃、しばらく暮らしていたそうです。
通町にあった家が空襲で焼け、この防空壕に避難してたそうですが、堀の溜り水で茶碗をあらっていたので赤痢が蔓延し、全員が防空壕を出されたとのこと。
このエピソードだけでも凄い話しですが、なんとこの防空壕、西南戦争のときに明治政府軍が作戦として掘ったトンネルの跡だそうです。
防空壕が今も残っているのか、どこまでが本当なのか、真偽のほどはわかりませんが、妙にリアルな話です。