【怖い話】紫色の屋根の家
住んでいた町の一角に、紫色の屋根の家があった。
2000年代、まだ様々な遊具が危険視され撤去される前。
その家の隣にあった公園を、僕たちはむらさき公園と呼んでいた。
むらさき公園には、子どもの遊び心をくすぐる遊具がいっぱいあった。
ブランコやジャングルジムはもちろん、コーヒーカップのように回転するものから、はたまた巨大な海賊船を模したヴァイキングのようなものまで。
僕たちにとっては無料の遊園地だった。
小学校低学年の頃だった。鼻水を垂らして、靴底をすり減らして、冬でも汗をかいて大笑いしながら走り回っていた。
むらさき公園からは、紫色の屋根の家の掃き出し窓が植え込みとフェンスを隔てて目視できた。
といっても植え込みは十分な高さだったので、そのフェンスをよじ登るか、丁度そこに背を向けて建つブランコに乗りながら後ろを見るしか覗き込む方法はなかった。
ずっと雨戸が降りていたから、家は無人だったんだと思う。
とある日、いつものようにむらさき公園に遊びに来た。
その頃、ブランコに乗って誰が一番靴を飛ばせるか競い合うのが僕らのブームだった。
ブランコを大きく漕がなくてはならないスリル、靴をより遠くに飛ばすための脱ぐタイミング、友達との競争。
そんな些細なことでドーパミンが溢れて仕方のなかったように思える。
何回目かの靴飛ばし。
僕は靴がうまく脱げなくて、タイミングが遅れてしまった。
それどころか、バイシクルキックのように、位置エネルギーが最大の地点で、真後ろに飛ばしてしまった。
やーい、マイナスじゃーんと野次を受けながら、靴の着地地点を振り返る。
と同時に紫色の屋根の家が視界に入る。
雨戸が、上がっていた。
でもそんなことはどうでも良かった。
ブランコを飛び降り、靴を回収して「もう一回やらせて!」と友達におねだりし、また、ブランコに乗る。
誰よりも靴を遠くへ飛ばしたくて、僕は必死にブランコを漕いだ。
小学生の体力は無尽蔵だが、空腹には勝てない。
黄昏時、公園は茜色より少し深く暗い色に包まれていた。
晩ごはんの時間を指す時計を見て、僕たちは解散した。
一人きりの帰路の途中、少し肌寒さを感じた。
しまった。上着を公園に忘れた。
遊んでいるうちに暑くなり、ブランコの柵にかけておいたのを忘れていた。
上着を取りに急いで公園に戻ると、もうそこには誰もいなかった。
数十分前には、あんなにはしゃぐ声でいっぱいだったのに、すでに静寂が一面を網羅していた。
今考えたら、あんなに騒がしい公園の隣に建てられた家なんてうるさくて敵わないだろう。ずっと無人だったのも頷ける。
ブランコの柵に上着を見つけ、ふと目線を少し上にやる。
紫色の屋根が見える。
そういえば、今日は雨戸が上がっていたな。
誰かが時折空気の入れ替えにでも来てるんだろうか。
さっきは気にならなかった普段と違う光景が、無性に気になり始めた。誰もいない公園に一人、という非日常感もその好奇心を育てていく。
ちょっとだけ、のぞいてやろう。
所々が錆びた緑色の網目フェンスを、がしゃんがしゃん、と登っていく。そうして植込みから頭を突き出すと、想像もしていなかった余りに異質な光景が飛び込んできて、僕は呼吸を忘れ暫く凍りついたように固まってしまった。
掃き出し窓いっぱいに、1枚の大きな絵が貼ってある。
それは、下手くそな女の子の絵だった。
小学校2年生か3年生くらいの女の子が描くような絵。当時の同級生も似たような絵を描いていたから既視感はあった。
半円の顔の輪郭に、すだれ状に直線を並べた前髪。
両側にはいびつな円のヘアゴムから出るひじきのようなサイドテール。
黒く塗りつぶされただけの楕円状の目と、アーチ型にウインクをした目、それらに生えているまつ毛のようなもの。
くの字の鼻と、かまぼこのような笑顔の口。
顔の大きさに似合わない不気味なほど細い首の下には、台形のワンピースらしき服が描かれている。
肩関節も肘関節もないゴムのような両手は、左手だけ挙げており、「やっほー」という台詞が今にも聞こえてきそうだった。
そんな絵が、窓枠いっぱいにべたっと貼り付けられている。
まるで覗くものを拒むように。あるいは僕の行動を予期していたかのように。僕を待っていたかのように。
日常でも目にしたことのあるものが、異様な大きさ、異様な場所、異様なタイミングになるとこうも薄気味悪くなるものなのか。
慌ててフェンスを飛び降りて、もう一度帰路に向かう。今度は全速力で。二度とここには近付かないと決意しながら。
あれから、どれだけ誘われようともむらさき公園には行かなかった。
中学生になる頃には、遊具での事故が危険視され始め、あらゆるニュース番組で取り上げられていた。卒業する前にはむらさき公園の花形だった遊具はほとんど撤去されてしまったらしいと噂で聞いた。
遊具もなくなり寂寞とした公園のどこかにも、まだあの絵が僕を待っているような気がした。
結局就職を機に実家を出るまで、紫色の屋根の家には新しい住人が来たという話は聞かなかった。
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