【恐い話】水子供養
カクヨムなどのWeb小説媒体で、ホラー作品を執筆している知人から、自身の経験を基にした短編を寄稿していただいた。
クリエイターが自身の作品を我が子のように可愛がる、というのは、こうして筆を執りはじめてから痛いほど分かるようになった。
手間暇かけて心血を注ぎ生み出した作品というのは、腹を痛めて産んだ子の如く、何物にも代え難い程に愛しいし、いいねやコメントで評価を受ければ、自分が褒められたというよりも我が子に共感を持ってくれた優しい人がいることに喜びを感じているような気さえする。
だからこそ、安易にAI学習の餌と表現し絵柄をトレースするような輩がいることには憤慨を覚えるし、みだりに他者の作品を貶す人々が存在する事に深い悲しみを覚えることもある。
物書きと名乗ってはいけないような、端くれの端くれの端くれの端くれの私にも、生む苦しみを感じることがある。
ネタが思い浮かばない、話のオチが上手くつけられない、書き切ったがどこか見たことのある展開だ、など苦悩し煩悶したことは数限りない。
書き始めたものの上手く折り合いがつけられずに泣く泣く身を切る思いでボツにするものもある。
普段私はノートパソコンのメモ帳で執筆を行うようにしているのだが、そうしてできあがったテキストファイルを、3つのフォルダに仕分けしている。
1つは『投稿済』、1つは、『下書き』、もう1つは『水子供養』だ。
『投稿済』、『下書き』については言うまでもないだろう。
『水子供養』とは、ホラー作家気取りである私なりの洒落である。
筆を執るもどうしてもボツにする他ないような作品はこちらのフォルダに格納している。
先に触れたように、作品とは我が子のようなものであるから、ボツになったとしても消してしまうのはいたたまれない。私自身の力不足が原因なのがより辛い。
そうした気持ちから『水子供養』のフォルダにしまっておき、ときたま見返す。
ちゃんと作品にしてあげられなくて、ごめんねと思いながら。
すると時折不思議なことが起きる。
ボツにしたはずだった作品が、殊の外面白い流れになっているのだ。または、このオチに変えたら化けるのでは、と今までに生まれなかった発想が浮かんだりもする。
私はこれを転生と呼び、また戻ってきてくれてありがとうという気持ちと共に、続きを書き上げる。
長い間、『水子供養』フォルダに入ったままのテキストファイルは、名前が全て「邨カ蟇セ縺ォ險ア縺輔↑縺」になってしまう。それだけがこのフォルダの悩みの種である。
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