【怖い話】おこめさんひとつぶ
ニコ生が廃れて、配信といえばVtuberという時代になったこの令和では、一攫千金を夢見て受肉する若者も珍しくない。
斯くいう僕もその一人、所謂個人勢弱小Vtuberだ。
個人なのに、勢とつくのもいかがなものかといったところだが、対義語に海外進出まで果たし莫大な年商を稼いでいるVtuber会社があるなら、そこに所属できない有象無象の表現としては最適だろう。プロとアマ、いや、絵師に払ったなけなしの10万円をまだ回収できていない僕はアマですらないのかもしれない。
それでも継続は力なりとは金言で、地道に配信を続けていくうちに固定の視聴者がちらほらとついてきた。たまに少額のスパチャも飛んでくる。小さいがコミュニティを形成できたのは達成感の一言で、それなりに楽しんで配信や実況を行っていた。
ある日、流行っているホラゲの配信をやってみたところ、意外にも評判が良かった。僕は自分が思っている以上にビビりだったらしく、情けない悲鳴と画面越しにさえ伝わる怯え方が視聴者に響いたみたいだ。
『このノリで心スポ凸配信してくれたら、スパチャ1万送るわw』
という魅惑的なコメントを僕は見逃さなかった。
よっしゃ、行ってやるからスパチャの準備しとけよと、ホラゲ配信を終え次第、早速近くにある心霊スポットを探してみた。
へぇ、意外とないもんなんだな。
いざ探してみると、本当に出ると謂れのあるような場所は思ったよりも少なかったことに驚いた。別に期待していた訳ではないけど、どうせならお墨付きのところがいいだろう。
小一時間探した末に見つけたのは、仏壇の戸が急に開いたり、電灯が揺れだすなどの怪現象が仏間で起こるという曰くの付いた、隣の県との境にある山間部に残された廃屋だった。
物が動く現象なら動画的にも撮れ高がありそうだ、と場所をここにしようと決めた。そのままスケジュールを確認し日程も決め、内容をSNSで告知した。
『◯月◯日!初の心霊スポット凸を行います!
山奥なのでおそらく配信は厳しそう…
動画撮ってUPするのでお楽しみに!』
そうして当日。
懐中電灯とGoProを持って件の廃屋へと向かう。
道中の心模様は複雑だった。
撮れ高的には何か起きてほしいが、恐いので何も起こってほしくないという気持ちが相対して、興奮に似た奇妙な感情を育てていく。
上下する坂道を車でいくつか乗り越えて、山あいの目的地に着くと、そこには年季の入っているだけで存外力強く建っている家があった。廃屋といえど少し手直しを加えれば充分に住めるような気さえする。
スマホの電波を確認すると、5Gはおろか4Gすら入っていない。こんな状況では配信は難しそうだろう、撮影用にGoProを持ってきたのは正解だった。
早速電源を入れ、廃屋の手前辺りの乱雑に生える藪を映しながら撮影を開始する。
「はい、というわけでね、本日は心霊スポットに突撃してみた、ということでね、やってまいりましたよこのG県とN県の間、県境の山間ですね」
ここでティルトアップ、廃屋全体をカメラに収める。
「こんな山の中にぽつんと佇む一軒家、今は誰も住んでいない廃屋だそうですが、中ではポルターガイストのような現象が起こるそうです」
少しズームイン。
窓ガラスなどが割れて、さも廃屋であろう箇所を映す。
「早速中に入りたいのですが、玄関は…当然閉まっていますね。とりあえず、一周ぐるっと回ってみましょうか」
藪をかき分け辺りを回る。
心霊スポット然とした、冷たい雰囲気が肌身に染み入る。
小声で喋ってしまうのは、害意がないことを霊にアピールしたいのか、予期せぬ輩との遭遇を避けるためなのか。自分の中でも分からないが本能的に大声を出すことを躊躇っていた。迷惑系YouTuber、という言葉が世間に定着して久しい。面倒事は勘弁したいところである。
「おっ、裏口がありましたね…ここは、おお、開いていました。それではここからお邪魔してみましょう」
ぎぎ、という錆びれた音から、この扉が人の手から随分と離れていたことが分かる。懐中電灯とGoProのフラッシュを付け中へと潜入する。
案の定、裏口から繋がるキッチンは荒れ果てていた。お菓子のゴミや袋ラーメンの残骸が色褪せて散乱している。これは侵入者の残した痕跡なのか、それとも元住人のものなのか。シンクは錆だらけでヘドロのような茶色い層が幾重にも連なり、久しく水を流した跡はないことが伺える。
「いやー、さすがに雰囲気ありますね、ちょっとこれは…」
家主を失った家は、何故こんなにも不気味に成り果てるのか。まるで家そのものが外界との接点を断ってしまったかのように、壁を隔てたその内側は異空間そのものだった。
遠野物語のマヨイガも、富をもたらしてくれるという噂がなければ絶対に避けるだろう。そんなことを考えながら辺りを見回していると、当時の名残もないほどに黄ばんで変色したレースカーテンの先に廊下が続いていた。
「じゃあ、ちょっと先へ進んでみましょうか…」
全く気は乗らないが、視聴者とスパチャの為に重い足を廊下に伸ばした。
「廊下出て左手には、洗濯機かな、2段構造のやつなんで相当に古いですね。えーっと、右手は居間みたいです。今回の目的は仏間なので、一旦スルーしようかな」
埃が積層する廊下をとつとつと進んでいくと、突き当たりに玄関が見えた。三和土には片足だけのサンダルが転がっている。
「あー、こんなサンダルとか生活感あるもんって、こういう場所で見るとなんとなく気味悪いっすねぇ…うわ、右手に続く廊下があるんでそっち進んでみましょうか」
埃臭さと黴臭さが鼻を突く中、仏間を探して進んでいくのはいいが、心霊現象らしきものは何も起こっていない。まずいな、このままだと撮れ高がないぞ。若干の焦りがあったが、足取りはなかなか進まない。霊はもちろん恐ろしいが、山奥の廃屋に一人なのだから、ヤクザや半グレなどの生身の人間に出くわしたときの恐怖も多分にあった。今ここで変なやつに殺されたら僕の死体はいつ見つかるんだろうな。きっと腐敗して身元不詳になっているんだろう。
「こっちに進んでいくと、あーなるほど、左手に縁側が見えますね、んで、ここ…かな」
縁側を背に向けて立つと、両引き戸が眼前に現れた。おそらくここが仏間だろう。一片の隙間もないほどぴっちりと閉められたその引き戸からは来訪者を拒む意思が感じられるようだった。
「で、では開けてみましょうかね、し、失礼しまーす…」
経年劣化で滑らかに開かない戸を少し力を込めて右方向に引くと、ガタガタと苦しそうに音を立てた。そうして口を開いた、幽々たる部屋に懐中電灯の光を差し込めると、左側の壁に連なってしっかりと閉められている仏壇が見えた。続けざまに天井を照らすと、裸電球に傘のかかったものが死んだように静止している。ここが怪現象の起こる仏間だと確信すると、恐怖と緊張と一握の興奮が身体を迸る。
「ああ…ここが噂の仏間ですね…今は電灯も動いていないし、仏壇も閉じていますが、どうなんでしょう、す、少し中に入ってみましょうか…」
仏壇を照らしながら少しずつ身体を部屋へ潜ませる。今、この瞬間にきぃっ、と開いたらどうしようか、表から出た方が早いが鍵の仕組みが分からずもたつくかもしれない。やはり来た道をそのまま戻って裏口から出た方が堅実か。
なんとか仏壇の前までは進もうと、及び腰で一歩ずつ踏みしめる最中。
右足の裏からぬちゃあっというおぞましい感触が脳天までを貫いた。
「う、うわああああああっ」
何を踏んだのか分からないまま、慌てて右足の体重を抜いて二、三歩前へつんのめると、勢い良く何かを蹴り飛ばしてしまった。たちまちカラァンカンと金属音が鳴り響いた。
「え、えーっとですね、何かを踏んでしまって、驚いた拍子に何かを蹴っちゃってしまったのですが…なん、えーっと、な、なんだったんでしょうか、えー、あ、あの、柔らかくて粘っこい感触の…」
動画のためにと、精一杯冷静に、努めて俯瞰で喋ろうとしているが帰って見直すまでもなくひどいものだと自覚していた。
おずおずと、踏んでしまったであろう物体に光とカメラを向ける。ああ、動物の死骸とかだったら嫌だな、というより動画に使えないしカットだな、と嫌悪感と不安を募らせながらも踏みつけたものが何かは確認しておきたいと、いやいやそれを観察する。
それは白く、つぶつぶとしていた。
僕は、蛆が何かに集っているのだと思い、絶句した。
カメラも懐中電灯の光も、身体の芯から怯え震えている僕に共振している。
だか、光を当てて幾秒かの間、それらはぴくりとも動かなかった。
不思議に思いながら、少しだけ、ほんの少しだけ近づいて観察を続ける。
「あーっとですね、なんと僕が踏んでしまったのは、小さい、うーん、小さいおにぎりみたいですね、これ、これさ、多分、多分だけどお米だと思うんですけど、えっどうだろう、違うのかな」
正体は炊き上げられ、水気を含んだ柔らかな白いご飯の塊だった。
そして、蹴り上げた金属音の正体もついでに探す。
仏壇があり、ご飯が落ちていたということは、とおおよその予想はついていた。おそらく小さいワイングラスのような形をした、仏飯器だろう。
「はい、やっぱそですね、さっきのカランカランって音は僕が仏飯器を蹴っちゃったみたいですね、うん、やっぱり真鍮で出来てる、はあ、ビビったけど、ただのご飯でよかっ…」
逡巡する。
待て、なんでこんなにきれいなご飯が落ちているんだ。
ここは廃屋だろう。腐っていたり黴びていたり、せめて水気を失いカピカピに固まっているはずではないか。
誰かの悪戯にしても、仏飯器に米を盛って廃屋の仏間へ置いておくなんて悪趣味にも程がある。
考えを張り巡らせば巡らす程に、奇異さと不可解さが周りの空気に染み込み、溜まっていくような気がした。そしてその淀んだ空気を、
「あーあ」
という老婆の、落胆が手に取るように伝わるような声色の台詞が切り裂いた。
その声色を外耳に受け止めた僕は、心臓さえも止まってしまったのかと思うほどに硬直していた。
頼む、頼むから猫か何かの鳴き声であってくれ。
カメラを回していることなど疾うに忘れていた。ふと見やったGoProの画面には、潰れたご飯粒が暗闇の中に映されている。
がたっ、と仏壇の方から物音がした。
その音をきっかけに、僕は仏間から矢のように飛び出した。その音は仏壇の戸が空いたからなのかもしれないし、本当にどこかに猫がいたのかもしれない。
しかし最早そんなことはもどうでもよく、真実を振り返ることもせず、ひたすらに裏口へと走った。がむしゃらに駆け抜けたことで、埃が舞い散る廊下をにちゃにちゃと足裏の潰れた白米がへばりつく。裏口を蹴り開け、停めておいた車に飛び乗ろうとしたが、ハッと気づき足裏のご飯粒を地面に擦り付け取り除いた。
それは、こんなものを家や車内に持ち込みたくないというある種穢れを嫌うような感情が生まれていたからだった。本来ご先祖様に裕福に暮らしておりますよ、という意味で手向けられるご飯がやにわに穢らわしく感じられたのは、場所のせいなのか、老婆のような悲観的な声のせいなのか、あの場所に似つかない綺麗な状態だったことが醸し出す歪さのせいなのか、はたまた全てか。
完全に足裏から取り去った事を確認し、暗然たる思いで帰路に着いた。
家に無事たどり着き、シャワーを軽く済ませ、泥のように眠った。そうして昼過ぎに目覚めた僕は、昨日の事を動画として公開すべきか悩んでいた。
起き抜けに動画を確認すると、なぜか「あーあ」という声は取れていなかった。即ち、その動画素材は心霊スポットと呼ばれている場所で、ただ単に無名なVtuberがご飯を踏んづけて悲鳴を上げているだけの何の面白味もないものだった。
確かに、あんな廃屋に炊いて間もないご飯が落ちていることは不自然ではあるが、それ自体は心霊現象とは断定出来ないだろう。誰かが悪戯で置いた可能性も排除出来ない以上、心霊企画としては成立していない。
が、しょうがない。
告知もしてしまった以上、何とか編集して公開するか。
まずは顔洗ってトイレに行って、そしたら腹ごしらえでもしようか、と寝室のドアを開けると、寝室から玄関へ続く廊下に白い粒の行列ができていた。
僕はまたもや蛆か、もしくはシロアリか、はたまたまだ寝ぼけているのかとさえ考えたが、それは紛れもなく生米だった。たちどころに昨日の出来事がフラッシュバックし、ぬちゃっとした感覚が右足の裏をくすぐるようだった。
怪異と断定できないほどの不可思議な現象が僕の心臓を縮み上がらせる。一体何が起きているんだ、と一先ずキッチンの米びつを確認するが特に荒らされた形跡はなかった。空き巣や鼠の仕業ではなさそうだ。もしそうだったのなら昔話に出てくる程の滑稽さがあってまだ救われるのだが。
行列は玄関まで続き、ドアの向こうまで達しているようだった。恐々としつつもドアノブに手をかけ、開ける。
そうして見えた玄関前には、茶碗に山盛り一杯よそわれたご飯が鎮座していた。まだ湯気も出ている。
特筆すべきは、箸が一本綺麗にご飯の中心に立てられており、それと十字を成すように、横から平行にもう一本刺されていたことだった。
まるで、お供え物じゃないか。
昨日に引き続き何なんだ、と狼狽え気が動転していた僕は、矢も盾もたまらずそのご飯を茶碗ごと蹴り飛ばした。
壁にぶつかりパリンと陶器が割れる音を背に、ドアにしっかりと鍵を閉め、廊下の米粒を掃除機で回収し、自分に言い聞かせる。落ち着け、たまたまだ、偶然変な奴らの悪戯であんなものが置かれていただけだ、大丈夫。世の中には変な人間が山程いる。何も不思議なことはない。そう、ただの偶然だ。
そうは言って聞かせたものの、やはり不気味であることには変わりない。昨日の事を思い返してしまいそうで配信も動画の編集もする気にならず、悶々としながら夜を迎えたその日は、早めに床についた。
ふと、目が覚めると午前三時過ぎをスマホの待受が告げていた。どうやら早く寝過ぎて、変な時間に起きてしまったみたいだ。水でも飲もうと、寝室を出てキッチンに向かおうとする。
そして廊下に出た途端に、夜の静寂を遮るように奇妙な音が囀っているのを耳にした。
しゃっ
しゃっ
ぼそぼそ
しゃっ
しゃっ
ぼそぼそ
玄関の外から不思議な音と、人が何かを喋っているような、くぐもった声が響いてくる。
十中八九あれに関連していることは、厭でも予想がつく。目先の承認欲求と小銭の為に犯した愚かな行為。
僕は不法侵入をし、仏壇に供えられていたはずのご飯を踏み潰し、汚物のように地面に擦り付けたのだ。
たとえあれが誰かの悪戯でも、日本人であるが故に罪悪感を感じ得ないはずがない。
僕はあの仏壇に祟られているのかもしれないという思い込みすら浮かんできた。
それでも、ただの不審者の可能性があるからには、正体を確認する外はない。警察に介入してもらうには相手が人間じゃないとどうしようもない。
覚束ない足取りで玄関に向かっていくと、だんだん音が大きくなる。僕は一度深呼吸をし、意を決してドアスコープを覗き見る。
じゃっじゃぱぁっ
「おこめさんひとつぶにはなあ」
じゃぱっじゃっじゃっ
「7にんのんかみさまがおるでなあ」
じゃっじゃっ
「だいじにしんといかんよお」
じゃぱっじゃっじゃぱっ
「おこめさんどんくらいかそかなあ」
じゃらっじゃっ
「…あーあ」
襤褸切れのような割烹着を纏った老婆が、玄関前で木の桶に生米と水を入れ、研いでいた。
その声色はまさしく、あの廃屋で聞いたものだった。
もう、限界だった。
踵を返してベッドまで一目散に駆け込み、布団を被りひたすらに頭の中で謝り続けた。
空が白んできたことを確認してから、玄関から靴を持ってきてベランダから外に出た。
そのままネカフェで近くの不動産仲介会社が開く時間になるまで過ごし、開店とともに最短で引っ越しができる物件を決めて、鍵をもらうギリギリの日までカプセルホテルで過ごす事にした。
引っ越し用に荷物をまとめる予定の日、家に帰っておそるおそる玄関を見るとほんの二、三粒だけ生米が落ちているだけだった。
結局あの老婆は、生者だったのか亡者だったのかは分からないまま、二度と声も姿も認識することはなかった。
ただ時折、ガムでも踏んだかのように、右の足裏がぬちゃっと粘つく感じがすることがあった。