分かりそうな気配

何かが分かりそうな気配がずっとある。
自分が変われそうな、自分の転機になりそうな。
何かにもう気づいているような、あと少しで気づけるような。

ずっと勘違いしていた、何かがずれているのに気がつかずにいた、
自信を持って拘っていた、頑として譲らなかった、
不変だと思っていた、そういう自分の何かが、あと少しで転換する。
たぶん変われる。今がその時期だと感じる。

そういう気配があるのだけど、一歩手前で逡巡している。
この気配の正体は何なんだろう。何がきっかけなんだろう。
コロナ禍で変貌した世界のせいなのかな、年齢から来るものなのかな、今の仕事や同僚の影響なのかな。はっきりとは分からない。どれも、そうなんだろう。

一方で、とても不安である。何がどうなっても、頑固で窮屈な私のこだわりは、この先も変われないのではないかという不安。今を逃したら、そのまま固形化して二度と別の形にはなれないのではないかという不安。
後悔と落胆と開き直りを繰り返してきた、その延長でしかない後半の人生。

ここ10年ほどだろうか。持っていた拘りへの自信を急速に失っていき、足元が揺らぎ始め、周りの人の価値観がどっと流れ込んできて、右往左往している。居場所を得て、普通に(少なくともそう見える)社会生活を送っているけれど、本当はそんな資格ないんじゃないかと、ひたすら落ち込む。そんなここ10年ほどの自分に、「大丈夫、気づいて良かったと思っていいよ、そのまま進もう」と声をかけてあげられたらいいなと思う。結果はどうあれ、懸命に考えて、目を凝らして、向き合ってきた証拠だと思うから。

そのためにも、今のこの、何かが分かりそうな気配を、逃したくない。