人から外に出るもの

人から外に出るものは基本的に汚いものが多い。
ラジオ「文化放送おとなりさん」にて、高橋優さんの言葉。

「人から外に出るもの」と聞いて何を想像するだろうか。
…。

まず想像したのは物理的なもの

うん、パッと思いついたのは物理的なもの。そしてそれは確かに汚いものが多いかもしれない。

高橋優さんは、人から出るものは汚いものが多いなかで、いいものが出せるか、人に喜んでもらうものが出せるかというのを自分の信条としているという。

人に喜んでもらえるもの。
高橋優さんの場合は、歌だったり、歌詞の言葉だったり、最近だったら料理だったり。
話を聞いていて、自分の中にあるなにかを「表現」するものを指しているように思えた。

表現の先には

「表現の先には人の喜びがある」
それ自体はとてもステキなことで、私も目指したいものだ。
ただ、私の場合、いつしか主眼が自分の中にあるものを表現することから、人が喜びそうな表現を考えて創作することにすり替わってしまうことがままある。

自分を失っていく感覚。
人に迎合し、ご機嫌取りをしているかのような感覚。

なんとも表しづらいが、
「人のため」が自分の中で極端に大きくなりすぎてしまって、そのほかのものが圧迫されて自分から出て行ってしまうような…。
自分が望んでやっていることのはずなのに、いつしか心が苦しくなってしまうことが多い気がする。

私には、
あくまで自分が表現したいと思うものがまずあって、その先に人の喜びに繋がればいい、というくらいの考えの方が合っているのかなと感じた。


シャンパンタワーの法則

これはまさによく耳にする「シャンパンタワーの法則」だ。
シャンパンタワーとは、文字通りピラミッド状に並べられたシャンパングラスのタワーだ。

上からシャンパンを注いでいって、一番上の段が満たされたら、溢れたシャンパンが二段目に注がれていき、二段目も満たされたらまた次の段に…という仕組みのもの。
当然二段目からシャンパンを注いだら一段目のグラスが満たされることはない。

この仕組みになぞらえて、
一段目のシャンパングラスは「自分自身」
二段目は「家族や特に親しくしている人」
三段目は「友達や同僚など身近な人」
四段目は「それ以外の知人」…
と考えてみる。

例えば、「身近な人のために」と思って、
自分や家族などはさておいて、三段目の友達や同僚などのために全身全霊で何かに取り組むとする。

そうしたら、二段目の「家族」や一段目の「自分自身」が満たされることはない。(実際はたまにはあるかもしれないが)
それどころか、どこかで無理が生じ、不満が高まり、持続不可能な営みとなることが多い。

シャンパンタワーと同じように、まず一段目の「自分自身」を満たすことで二段目の「家族など」にもエネルギーを注ぐことができる。そして、余裕が生まれることで、三段目の「友達や同僚など」にもエネルギーを注ぐことができ、結果的に「身近な人のために」なることができる。
というものである。

本当にその通りだなと感じる。
私は不器用な生き方だからなおさらだ。

だからこそ、「シャンパンタワーの法則」を心に留め、
自分自身が何をどう表現していきたいかを自分自身に問い、
心の声に耳を傾けながら過ごす癖をつけていきたいと感じた。

自分の心の声に耳を傾けることも下手くそだからこそ。
人の声に耳を傾けるのは得意なのにね。笑

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