映画「関心領域」鑑賞後に二度と観ないと思った三つの理由
皆さんこんばんは。日曜日の夜、 いかがお過ごしですか。
シン堕落論 第18回目の配信となります。お相手いたしますのは、
坂口あんこでございます。
週末に家の庭の草むしりしてたんですけども、紫陽花咲いてまして、妻が実家のお母様に届けたいっていうことでね、少し切って 実家に持って行ったらしいんですけども、LINEが入りまして。
何やらアジサイの茎にカビみたいなのがいっぱいくっついてたと。
それをとろうと思って素手で触ったら、ぴょんって。あれ?。もう一回触るとぴょんぴょんって。実はカビではなく小さい白い虫がいっぱいくっついいたらしいんですね。
妻とお母様の悲鳴が今にも聞こえてきそうなLINEでした。
大変だっていうことで、急遽調べて(アオバハゴロモの幼虫と判明)ホームセンターに薬を買いに行き、 拙宅の紫陽花に吹きかけましたところ、本当にぴょんぴょんぴょんって白い虫が跳ね飛び、ものすごい気持ち悪かったんです。
でも、考えてみるとね、その虫の方が(正確には虫の先祖)が我が家の庭に住んでいたわけで、それを無慈悲にね抹殺するっていうのは、いかがなものだろうか?なんだか少し心が痛んだ週末でした。
ここから本編の方に入っていきたいと思います。
映画「関心領域」を観ることができましたので、今日はこちらのお話をしていきたいなと思います。
普段映画観るときは、先入観を入れないように情報をシャットダウンすることの方が多いんですけども、この映画、日本での公開までの時間がありましたので、情報はおのずと入ってきました。
映画祭でも様々な賞を受賞しましたよね。
(第96回アカデミー賞 国際長編映画賞と音響賞の2部門を受賞)
あんこ的には待ちに待って、かなりぐぐっとハードルが上がった状態で見れたわけなんです。
最初に1回観終わっての率直な感想をお伝えしたいなと思うんですけども、 この映画を観終わった直後ですね、2度と見ることはないなと思ったんです。
今日はですね、それの理由をお話ししていきたいと思います。
まずは、この映画の概要からお伝えしていきたいと思います。
下記情報の方は、映画ドットコムさんの方から引用してお話していきたいと思います。
映画タイトル「関心領域」
「The Zone of Interest」が英語のタイトルになりますね。
2023年製作 上映時間105分 アメリカ・イギリス・ポーランド合作。
105分ですか。なんかそんな感じもしなかったですけども。
昨今の映画にしては少し短めな感じがしますね。
監督がジョナサン・クレイザー
原案がイギリスの作家マーティンエイミス。
タイトルの「The Zone of Interest」というのは、 第2次世界大戦中、ナチス新衛隊がポーランド郊外にある アウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉だそうです。
映画の中では、アウシュビッツ強制収容所と壁1枚隔てた屋敷に住む、収容所の所長ルドルフ・ヘス一家の暮らしを描いていくお話になります。
妻のヘートヴィヒ・ヘス役は落下の解剖学でも主演を演じたサンドラ・ヒューラー。すごくいい演技だったので、今回もかなり期待して観に行きました。夫のルドルフ・ヘスはクリスティアン・フリーデルが演じています。
この映画はホロコーストを扱った映画なんですけど、 今までもホロコーストを扱った作品は色々あったと思うんです。ただ、アウシュビッツ収容所の中ではなく、その外にある所長の家族を描くっていうのは、かなり斬新な作りだと思いました。
詳しい内容を触れる前にですね、映画制作のお話をしていこうかなと思います。
まず、この映画の監督のジョナサン・グレイザー。
監督の作品はどれも未鑑賞でありまして、 今回の関心領域観終わって、配信で何かあるかなと思って他の作品を探してみたんですけども、 あんこが入会しているものではちょっとやってなかったです。
彼はロンドン出身で、 ミュージックビデオやCMをやっていたということで、1990年代にジャミロクワイの Virtual Insanityを撮った監督であったと知ってびっくりしました。
あの頃はネットもよちよち歩きの状態で、YOUTUBEなんかもない時代でしたけど、 音楽好きだった人はもちろんなんですけども、それ以外の人もミュージックビデオは見たことあるんじゃないかっていうぐらい流行りました。僕はジャミロクワイがそんな好きではなく、テレビなんかでこのミュージックビデオが流れてきたらチャンネルを回してましたね。
それで、令和のこの時代に改めてこのミュージックビデオ観てみたんですけど、めちゃくちゃかっこよかったですね。
https://www.youtube.com/watch?v=4JkIs37a2JE
映画と同じ監督とは結びつかなかったです。
いかにもセンスドクドク系90年代って感じですかね。
そう考えると、クリストファー・ノーランとかね、デーウィット・フィンチャーかな、 あとはスパイク・ジョーンズなんかと出自は似ているなっていう感じです。
斬新な映像バンバン撮りますみたいな人かなと思うんですけど、 今回の映画はそういったテイストじゃないんですよね。
どちらかというと90年代でもドグマ95。それに近い感じがしましたね。
少しテーマ重めみたいな。 ドグマ95については、また改めてお話ししたいなと思うんですけども、簡単に言うとですね、映画制作において、色々制限を設けてる運動なんですよね。
例えば、照明を使ってはならないとか、セットを作っての撮影はダメとか。全てロケーション撮影しなさい。効果音もダメ、 三脚もダメで、手持ち撮影しなさい。どれだけドMな運動なんだっていうことなんですけども。
関心領域はそこまでストイックではないにしろ、効果音を使ってますしね。効果音っていうのはこの映画で重要な要素になっています。
ただ、照明に関しては使わないで、ほぼ自然光での撮影らしいです。
それであそこま美しい画が撮れるのですから凄いです。
ショットに関してはほぼ固定です。ワイドショットで、動きがない。カメラワークがない状態で、今時はちょっと珍しい撮影方法かなと思いました。 昨今のテクニックとしては、観客にいかに気づかれず、カメラワークで観客の気持を、感情を誘導していくっていうことがある。
わかりやすいのは、登場人物にカメラをぐっと寄せていくクローズアップ撮影。 そういったものをみせられると、無意識に自分の感情っていうのをコントロールされてしまうと思うんですよね。
この映画は、クローズアップ撮影っていうか寄りのショットさえほとんどなかったじゃないかなと思います。ルドルフ・ヘスに何回か寄ってるなっていう時がありましたけど、 演出的に感情移入の一歩前ぐらいで、制限している、かなり計算していたんじゃないかと推測されます。
室内での撮影は10台のマルチ撮影。すべて無人で、地下室からのリモート撮影だったということです。
これの意味することっていうのは、近くにカメラマンがいないということですよね。 照明は炊いていないから、照明マンもいないと。で、おそらく、マイクも仕込みでしょう。
そうなると、劇中に登場する俳優しかそこには存在しないわけなんですね。 これはすごく贅沢な撮り方だと思いますね。
俳優さんは登場人物になりきって演技することができますからね。
ただ、この撮影にもね、やはり難点があって、同時レックで撮影していくので それこそデータ量といったらすごいことになったと思いますね。後工程の編集マンは めちゃくちゃ大変だったんじゃないかなっていうのが、なんとなく想像できます。
ここからはですね、ネタバレありの感想となっていますので、 まだご鑑賞されていない方は、どうかご鑑賞後に聞いていただければなと思います。
ホロコーストはナチス政府によるユダヤ人の大量殺戮のことを言います。近代史の中では最近ですよね。それが私たちのすぐ隣に横たわっているっていう、この事実ですよね。
ホロコーストを扱った映画っていうのは いっぱいあると思うんですけども、そういった映画は被害者側、ユダヤ人にフォーカスして、 憐憫な感情を私たちに与えることで、物語の推進力にしていった。一方、加害者側に立ってみると、 血も涙もないナチスの恐ろしい人間として描かれることによって、私たちの良心が保たれるという作りになっていた。
これらの映画の功績として、人類の汚点であるホロコーストというものを風化させない役割があったと今でも思いますし、大きな意義を果たした映画が多かったんじゃないかなと思います。
今回の関心領域は、ホロコーストの悲惨な映像であったり、ノスタルジックな演出っていうのは一切見せないんですよね。
後半にですね、ユダヤ人側、劇中でいうところの壁の内側が映し出されるんですけど、それも間接的なものであって、ほぼ全編アウシュビッツの壁の外をこの映画は描いてます。 まるで現代劇のように淡々と現在進行形の家族の日常を追っていくんですね。
近くの川へピクニックに行ったり、お父さんの誕生日をみんなで祝ったり、お母さんは家庭菜園をしていたり、上流家庭の観察映画を観ているような映画でした。
ただ、彼らはアウシュビッツ収容所のすぐ隣、壁1枚隔てて住んでいる ナチス将校の家族であると。これが特殊なんですよね。
言ってみれば、ユダヤ人の生き血を吸って、現在の幸せを享受しているわけです。
この映画の手法というかね、やり方っていうのは語弊を生むかもしれないですけども、すごくいいアイディアだなと思いましたね。
それは、前回お話したタランティーノがなぜサンプリング的な手法が映画で使えたかっていうことと、ちょっと似てる。
要するに膨大なアーカイブがあった からタランティーノはサンプリング手法を使えたように、今回の映画はやはりこの ホロコーストまたはこの第2次世界大戦でのナチスドイツというものを題材にした映画がたくさんある中での、ネガ的な映画になるわけです。今までのホロコーストを描いた映画がポジ的な映画だとしたら、それを逆から描く映画なんじゃないかなと思います。
話を戻しますと、 彼らの幸せな生活というのは、ユダヤ人の大量の死体の上にあるっていうのはね、ある程度観ている側もわかると思うんですよ。それこそ私たちの歴史認識の上に成り立ってる。
そしてこの映画のすごいところは見せないで見せるっていうことなんですね。
まず音ですよね。冒頭、しばらくこう、真っ暗なままなんですけども、次第にこう、 キュンキュンキュンキュンみたいな音の後に小鳥のさえずりが聞こえてくるわけですよ。
鳥のさえずりって平和の象徴みたいな鳴き声だと思うんですけども、しかし、そのうち、劇中で幸せな団欒の後ろから、乾いたパンパンと銃声の音がしている。他にも叱りつけるような怒号であったり、悲鳴にも似た声なき声がずっと聞こえ続けるわけなんですね。
想像させるわけですよ。この壁の向こうで何が起こっているのかって。 幸せなそうな家族の団欒の向こう側で、煙突からずっと煙が上がってるいる。これは、歴史知識がある程度わかる方であれば、この意味することはわかると思うんですよね。
この映画は見せないで見せる演出っていうのは他にもあったと思います。
例えばね、冒頭シーンで家族がピクニックから帰ってくるシーンがあるんですけども、獣道を家族が一列に並んで歩いている。
我が家に帰り道でもあるんですけども、もう一方で、 帰ることもできない強制収容所のガス室の前に並んでいる人たちっていうのも想起させるんです。
あとはこの家の中でのシーンなんですけども、廊下のシーンが多くなかったですかね?
記憶違いだったらごめんなさいなんですけど、 照明も当たっていない薄暗い廊下。 やっぱり想像しちゃうんですよね。
こうなってくると、シーン一つ一つが壁の内側を想起せずにはいられない状態になってくるんです。この映画が私たちの想起に寄りかかったものであることがわかるんですね。
ここからね、2度と見たくないって理由に入ってくるんですけど、3つお伝えしていきたいなと思います。
まず1つがですね、慣れです。
先ほど後ろで、銃声だったり、怒号であったり、監視の犬かな、わんわんわんって!あとは、やはりユダヤ人たちの悲鳴であったり、うっすら聞こえてくるんです。
最初聞いてるうちは、いやだなって、ずっと考えながら観てしまうんですけども、 これが何分ぐらいかな、40分、中盤ちょっと手前ぐらいに入ってくると、それに慣れちゃった自分がいたんです。その音に。
この音に慣れてしまった自分ていうものが、とても嫌になりましたね。
想像はできるんだけど、その想像に慣れてしまうって怖いことだなって思います。
ウクライナやガザでの侵攻と一緒で、当初はニュースに関心を示していただろうし、何かアクションを起こした方も大勢いたと思うんです。そこから1年、2年って経ってくると、 やはり皆さんの興味も薄れてきてるのは僕は正直なところだろうと思うし、政治的にもお金での支援もだんだん減ってきているのかなって。最近、新たに基金を作っているというのも聞きましたけど。
私たちはこの日常の忙しさだったり、そういったものにどんどん埋没していってるのが現状じゃないかなと思うんですよね。先ほどお話した105分、この105分の中でさえ人間の慣れが出てしまうんです。
映像っていうものは注意を保つことはできるのかもしれませんけども、こと音に関しては慣れてしまったのがあんこは観ていて勝手な罪悪感が生まれました。
もう一方の解釈で言えば映像は目を閉じれば情報として入ってこないですが、音というのは動けない状態であれば(映画館など半自由空間)逆に遮断するのが難しい人間の感覚であるのが怖いところだと思います。映画館を出ない限り聞こえないようにしたくても聞こえてくるのですから。
理由その2ですね。それが共感性ゼロの登場人物です。
この映画で主要な登場人物が所長のルドルフ・ヘスと妻のヘートヴィヒになりますね。で、この二人に全く共感できないですよね。やはり映画を見てる中でいいお父さんだったり、いいお母さんだったりするんですよ。子供を可愛がって、日常のちょっとしたことに、喜んだり悲しんだり、そういったところは僕たちとそう変わらない。 やや、上流の生活ではありますけども、子供がいて、一家団欒で夕食をとるとなったら、僕たちと同じ人間じゃないかって思う。しかしこれが全く共感できないと。
それはなぜかっていうのは、先ほど演出の方で少しお話ししたんですけども、ヨリのショットがほぼないということですね。監視カメラで捉えてる映像を見せられている感じなんですね。
監視カメラよりは肉白はしてると思うんですけども、それでも外部から観察しているっていう感は否めない。
結局彼らに対しての共感意識っていうのは、105分一切感じることはできなかったです。
何よりこの二人が人間としてがめついっていうのも大きな理由で、人間の嫌な部分っていうものを出している。例えばですね、ユダヤ人の方々って、強制収容所に入れられた時には、私物っていうのは多分取り上げられている。ナチスはそれを保管しているらしいんですけども(劇中ではカナダと呼ばれている。制終了所のガス室で死亡したユダヤ人の荷物の格納倉庫の事)、それを奥様方は、持ってこさせることができたらしいんですね。ご主人の権力とかによっても異なると思うんですけども。
ただ、ユダヤ人の人たちも、なんとか生き残るための戦略として、宝石を歯磨き粉の中に隠したりとか実際にしていたらしいんです。でも、そういったものまで没収されて、ナチス将校の妻たちは、それら隠し財産を嬉々として自分のものしていく。
それを自慢げに話し合ってるわけですね。
他にも毛皮のコートの中に口紅が入っていたんですね。女性物の口紅です。
それを妻のヘートヴィヒが鏡の前でつけるんですけど、 人が使った口紅を使うのも、おこがましいっていうか、考えられないですけども、それが無理やり引っ張ってきて、今から殺そうとしている、または殺された人間の口紅を平然と鏡の前でつけているっていうのが、 言葉悪いですけど、胸くそ悪いな奴と思いましたね。
ルドルフ・ヘスなんかとってもいいお父さんなんですよ、家の中では。奥さんには頭上がらない何処にでもいそうな気弱な夫です。
しかし彼も収容所の中では所長っていう権力を使って、ユダヤ人の少女に対して性的な欲求の捌け口にしていたりする。
そして、事が終わったであろう直後に自分の性器を不浄なものを洗うかのごとく姿に(不覚にもあんこはこのシーンの映像の美しさに興奮を覚える)人間の罪悪を超越した神の視線を感じずにはいられなかったのです。
そして、1番恐ろしいなって思ったのは、その家にはお手伝いさんが何人かいるんですね。説明はないんですけども、ユダヤ人であろうというのはわかるわけです。
そのお手伝いさんの一人が ちょっとしたミスを犯すわけなんですね。
(ミスではなく単にヘートヴィヒの機嫌が悪かっただけ)
もう、怒られるわけなんですよね。
「何やってるのよ、 あなた、私に対しての嫌がらせね。私の主人に言って灰にさせるわよって」この人恐ろしいなって!
これは確かではないんですけども、その数シーン後に唐突に別のユダヤ人が灰を庭に巻いてるシーンがあるんですよ。
で、それが誰の灰であるかのかって説明はないんですけども、おそらく、先ほど、叱りつけたお手伝いさんのユダヤ人の灰なんじゃないかって想像しちゃう。
実際は、そんな1人1人を丁寧に火葬してるわけではなく、おそらくガス室で亡くなった方々を山積みにして、 燃えやすいようにガソリンもかけて一気に燃やすと思うんで、お手伝いさんの灰かどうかわからない。違うかもしれないんですけども、そういう風なことを想像させるぐらい、このヘートヴィヒであったり、 ルドルフ・ヘスは、共感の隙間もない人たちだなって、観ていて思いました。これが理由その2になります。
次が最後ですね、2度と見たくないくなった理由その3です。
先ほどの理由2にちょっと関連していくんですけど、
共感性ゼロの人物たちに、自分を重ね合わせてしまうっていうことなんですよね。
これが言葉にはうまくできないんですけども、登場人物に共感は全くできないんですよね。
できないんですけども、ヘートヴィッヒとルドルフを自分と重ね合わせて観てしまってるんです。そうなってくると、この映画を見ながら罪悪感ってものがすごく湧き出てくるんですよね。心の奥底から。これは気持ち悪い体験だったし、胸が痛くなる体験でしたね。
できればもう1回観に行って、この理由を解明はしたいと思うんですけども、 今はですね、この分からなさをすごく大事にしたいなって思ってます。
すぐ答えを出すんではなくて、ちょっと時間をかけてね、 ゆっくり考えていきたいなと思います。
ただ、わかる人がいたらコメントなんかで教えて欲しいです。
僕はこう思うよっていうのをね。
全然、言っていただきたいなと思うんですけども。
以上、映画「関心領域」を2度と見たくない3つの理由でした。
近々、観に行くってことは、もう1回観るんじゃねえかって?
はい、もう1回、観に行きます。
映画を観終わった直後、帰りの電車の中では、
「この映画、気持ちも悪いしもうないな」っていう考えが漠然とあったんですよね。
家に着きまして妻がもう寝てましたけども、
「どうだった」と聞いてきた。
で、正直な感想を言ったんですよね、もう2度と観ないかもしれないって。
自分でもそう納得するしかなかったんだと思います。
ただ、2日、3日して。
このラジオ収録するにあたり、ホロコーストのことであったり、ユダヤ民族の歴史であったり、ナチス政権というものがなぜ生まれたのかを、色々調べていく中で、前回のオッペンハイマーとちょっと似ているんですけど歴史的事実がすでにあった時に、それに対して自分がどの角度から見るのか、うーん、原爆であったり、このホロコーストっていうものをどういった立場で、 しっかりと言葉に出して言えるか。
それは多分、あんこ的にまだわかってないんだなと思うんですよ。
だから答えも出ていないんじゃないかなと。
これから先、この映画っていうものを通してね、調べていきたいし、この映画の意義っていうのは、やはりそこにあるんじゃないかなと思いました。先ほど、慣れっていう話もしましたけども、やはり慣れてはいけない、もう一回立ち止まって、何があったんだろうと。そして、現在進行形で今起きているものっていうのは、どう始まって、どう終わらせるのかっていうのは、関心を持って考えていくべきなんじゃないかなと思います。
はい。ということでね、本編の方は以上になりましたけども、 すごく難しい映画でしたね。 1回の鑑賞では総括できないと思います。
歴史的に地続きで現在も起きてるじゃないですか。イスラエルとパレスチナの問題もそうですよね。
ユダヤ人がいいとか悪いとかじゃなくてですね、 実際起きてることなんですよ。今も空爆によって子供たちが死んでいっている。この負の連鎖がずっと繋がっていくっていうのは、やはり悲しいですよ。
この連鎖を打ち切りたいと世界中の人たちが考えている中で、興味関心を持ち続けることが難しい現代において、考えていることすらもしかしたら貴重な行いになっているのかもしれません。
ここから、この映画に関連しそうな映画を紹介します。
人間がその環境や立場、権威っていうものに触れた時に、どんな変容があるのかっていうのを描いた三作品になります。
「es」アルファベットでesと書いてエスですね。
2001年制作、119分、ドイツの映画になりますね。
実際にあった実験を題材としているんですが、スタンフォード大学で行われた心理実験を映画化したものになります。有名な実験なのでご存じの方も多いんじゃないかなと思います。この実験は看守役と囚人役に振り分けて、模擬刑務所の中でそれぞれ役割を演じながら生活していくというものになります。立場っていうものが人間にどういった変容をもたらすのか描いてる作品です。全ての人間に当てはまるとは思わないんですけども、1つの事例としてこういった実験があったというのを参考にしながら観てみると、今回の関心領域っていうのもまた幅が広がるんじゃないかなと思います。
2つ目が「アメリカン・ヒストリーX」になります。
1999年制作、120分。アメリカ
監督はトニー・ケイ
この映画何を扱っているかっていうと、無自覚な差別を扱っているんですね。 そして無自覚の差別っていうのがどこから植えつけられるのかっていうことも示唆している。
差別から生まれる負の連鎖。この負の連鎖を断ち切ろうとする映画でもあるんですけど、、、、
でもこの映画はヒントを少しだけど描いてるんじゃないかなと思います。
最後はですね、ドキュメンタリー映画になるんですけども、「 アクト・オブ・キリング」という映画になります。
2012年制作、121分。デンマーク、ノルウェー、イギリス合作の映画となっております。
1960年代、インドネシアで100万人以上の大量虐殺があったんですけども、これを加害者側の視点から描いたドキュメンタリー映画になってるんですね。
先ほど「関心領域」ネガ的映画じゃないかってなるんですけど、「アクト・オブ・キリング」は極ネガ映画っていうネガなのに出演者がギラギラしていて、往年のスター俳優みたいになっています。
加害者側の視点からの映画になってますけども、この制作に至る過程までも結構面白いんですよね。面白いって言ったら、怒られちゃうかもしれないんですけども、この加害者側たちが、カメラの前で自分たちが犯した蛮行を喜んでやってみせる。頭の中おかしくなったのは自分だけでしょうか。とにかく衝撃的な映画でした。
だいぶ夜もふけってまいりましたが、遅い時間までお付き合いいただき、本当にありがとうございますね。、どうぞごゆっくりお休みくださいませ。
お相手は坂口あんこでございました。
グンナイ。
メモ
今回の投稿はシン・堕落論 『第18回 映画「関心領域」鑑賞後に2度と観ないだろうと思った3つの理由』を修正・加筆したものとなります。