映画「ルックバック」漫画(原作)と映画の相思相愛関係とは
皆さん、こんばんは。日曜日の夜いかがお過ごしですか。
シン・堕落論、第20回目の配信となります。
お相手いたしますのは、坂口あんこでございます。
今日は映画「ルックバック」のお話をしていきたいと思います。
ネタバレを含む可能性もありますので、まだ未鑑賞の方はぜひですね、 鑑賞後にまたこのラジオを聞いていただければなと思います。
うだるような暑さの中、観に行ったんですけども、 劇場は長蛇の列で映画館の外まで並んでました。
何かね、ただならぬ現象が起きているのかなという風に感じましたね。
ですから、これから観に行かれる方は、是非ですね、時間に余裕を持っていかれることをお勧めいたします。
まずですね、この映画の概要を少しお伝えしますね。
2024年6月28日公開、58分、日本での製作になっております。
御存じの方も多いと思うんですけども、原作は藤本タツキさん。少年ジャンプで「チェンソーマン」を連載しておりまして、連載終了後に読み切り漫画として本作「ルックバック」を発表、大きな話題となりました。
今作の監督が、あんこは存じ上げなかったんですけども、 岡山清貴さんとなります。2007年の「電脳コイル」で初の作画監督を担当。
以降、「エヴァンゲリオン新劇場版・破」「借りぐらしのアリエッティ」「風立ちぬ」「 君たちはどう生きるか」数多くの劇場作品に携わったアニメーターで、今作が劇場アニメとしては おそらく初監督作品になると思います。偶然なんですけども、この映画を観賞する前日にですね、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を二度目の観賞してきました。
以前このラジオでも少し話したんですけども、一度目はですね、徹夜明けということで、ほんと失礼なんですけども、ほぼほぼ後半眠ってしまったんですね。で、わけわからずのまんまで、ずっと心残りと言いますか、もう罪悪感にいつものごとく苛まされていたんですけども、ようやく再鑑賞ができて最初から最後までしっかり見てきました。ようやく、昇華されたと言うか、映画館を出た時の多幸感がすごい気持ち良かったですね。
今日はですね「ルックバック」がメインですので「君たちはどう生きるか」につきましては、また改めてお話できればなと思います。
あらすじなんですけども、ちょっと感想を少し交えながらお話ししていきますね。
小学校4年生の藤野はクラスで発行している学級新聞の4コマ漫画を担当しているんですけども、クラスのみんな持て囃すわけですよ。すごい、すごいって風にね。 藤野は自分が学年いや同い年で一番画ががうまいと思っているところにですね、先生に呼び出されるわけなんです。そうしましたら、隣のクラスに学校来られないでいる京本っていう子がいて、その子もどうやら漫画書いてるから学級新聞に載せてやってもいいかっていうふうに頼まれるんですね。
藤野はもう自分が一番だと思ってますから、もうどうぞどうぞっていう感じで承諾するんですけど、 いざですね、自分の4コマの隣に京本の漫画が掲載されますと、藤野は驚愕するんですよね。
あの、やばいっていう感じ、見事に映画で表現されていたと思うんですけども、 そこから藤野は、絶対に負けたくないと 全てを投げ打って、画の訓練にいそしむ訳なんです。友達との遊びとか、テレビとか、大好きな漫画も犠牲にして、もう描いて描いて描きまくると。
ただ、小学校6年になってですね、突如気付くわけなんですよ。やっぱ私、この子に勝てない。
で、そこから藤野の反動がまたすごいんですけども、一気に漫画を画を描くことをやめちゃうんですね。極端なんですよ。0か100か。めちゃくちゃ正拳付いてました。描くことを諦めた藤野なんですけども、 小学校の卒業式に、また先生に頼まれるんですね。卒業証書を京本に持って行ってくれと。 で、フジノはいやいやいやって断るんですけども、先生がね、どうしても頼むということで、嫌々ながら藤野は京本の家に持っていくんです。 そこには、大量のスケッチブックが積まれているんですよね。 もう何の説明もなく、絵とカット割りだけで観せていくんですけども、ほんと、秀逸だったと思います。積まれたスケッチブック越しの藤野の表情っていうのが、今何を思っているのかっていうのが、セリフなくてもダイレクトに伝わってくるんですよね。
藤野はそこで1枚の絵コンテ紙に4コマ漫画を書くんですけども、それが運命の悪戯と申しましょうか、 運命の出会いと申しましょうか、その4コマ漫画を描いた紙が扉の隙間にすっと滑り込んで、京本の手に渡るんですね。慌てて帰ろうとする藤野に、引きこもっていた京本が裸足で追いかけてくるんです。そうして、顔を赤らめて言うわけです。「ずっとファンでした、藤野先生!!」って。
もうね、こうなると藤野は有頂天ですよね。自分に敗北感を与え続けてきた張本人が、自分を神のように崇めているわけなんですよ。そこから2人の物語が始まっていくっていうのが、序章になるんですよね。
で、このルックバックなんですけども、2021年、ジャンププラスで全編無料で発表され、あんこもですね、映画好きの友達からこの漫画やばいからちょっと読んでみてって、回ってきたんですよね。
あんこは最新作とか話題の漫画から、しばらく遠ざかっていたというのもありまして、 情けないんですけども、今の少年漫画のセリフ量とか情報量に、ちょっとついていけなくなってしまったんですよ。ドラゴンボールぐらいまでなんですよ、情報量のキャパシティが。
でもですね、教えてもらったこのサイトで読んでみたんですけど、 もう、スクロールする手が止まりませんでした。
読み終わるまでが、本当にあっという間で、久しく忘れていた漫画で、身体が引き込まれるような体験をしたんですよね。
あっああっあああああっっー!!みたいな感じで。まるでこう、自分事っていうか、このラジオでもお話した、 共感ノスタルジーっていうやつですね。共感ノスタルジーを知りたい方は第十五回の本編を聴いてみてください!
あんこは中学校の時なんですけども、ナマズくんっていう4コマ漫画を書いていたんです。
ナマズが主人公なんですけども、 シュールに世間へ一言物申すみたいな感じの4コマ漫画だったんです。ある時からクラスで評判になったんですよ。 この映画みたいに!!休み時間になると、クラスのみんなが見せて見せてみたいな感じで集まってくる。
もうあんこはこの世の絶頂でしたね。来たなと。俺の時代が来たんだなっていう風に思ったわけです。藤野と一緒ですね。寝る間も惜しんで、考える訳なんですよ。ネタを。深夜ラジオを聞きながらですよ。 たまにこう、ちょっと、ネタをパクったりもしてましたけども。。。
それで、さも今、授業中に考えましたけどみたいな感じで描くんですよ。
一時期、本当にね、クラスの掲示板とかにもね、貼られてましたよ。
ナマズ君。
でも、ある時、東京から山田くんって転校生がやってくるんですけども、この子が人気者になっていくんですよね。何かね、 山田くんは標準語で、べらべらと言うわけですよ。
原宿ってとか、渋谷行ってみたんだけどって感じで。絶対、1人で行ったことないんすよ。中学生だし。でも、なんか、知ってますみたいな話するから、みんな山田くんの話を聴きに行くんです。
あんこは必死に、この休み時間の時代をね、取り戻すべくね、色々やるわけなんですけども。もう波がね、引いていくのっていうのは、すごく感じるんですよね。。。
そこで、起死回生であることをやるんですけども、
それが、ナマズ君に下ネタをぶっこんでいくっていうことを。 最悪の手ですよね、悪手をついてしまうわけなんです。これで少ない女性読者も、 完全に離れてしまいました。
クラスの人気は、山田くんに完全に移っていくんわけなんですけど、でもその山田くんの時代も、そんな長くは続かなくてですね、次に吉沢さんと女子が急に霊が見えると言い始めた。その女の子に時代は移り変わっていくんですね。
話が大分逸れてしまいましたけども、この「ルックバック」って当時非常に映画的な漫画だなって思ってたんです。3年後にこうして映画化されるとは思ってもみなかったので、素直に嬉しかったです。一方で、原作を知っているが故に一抹の不安があったのも正直な気持ちでした。もしかしたらあの漫画はそのまま紙面っていうか、正確にはスマホの画面なんですけども、その方が良かったんじゃないかなって。
それは去年公開された「ザ ファーストス ラムダンク」にも感じた思いでした。両作とも原作を読んでいるというのが共通点であるものの、あんこはそこまでね、強い思い入れがあるファンでもなかったのですが、この映画を観るということが、観客にとってもそれぞれ思い入れが違うのかもしれない。 ただ、やはり元々あった漫画原作をアニメ化する、映画化するっていうのは、これを読んだ人ならば拭いきれない不安はあったんじゃないですか?
で、このドキドキ具合というか、不安っていうか、上映前の劇場を包んでいたと思います。
満席だったんですけども、あんまり、ガヤガヤしてなかったんですよね。程良い緊張感ていうのかな、そういうのがあったと思います。
この作品、結論から言うとですね、あんこは、好きです。
本当に見て良かったなと思いました。漫画原作の映画化としては、現時点での正解を出していたと思います。今日はですね、その理由を3つに分けてお話してみたいなと思うんですけども、
まず1つ目がですね、それはお互い両思いだったということですね。
この漫画なんですけども、最初っから映画っていうものを意識していたんじゃないかな って思ったんです。
それは映画化っていうわけではなく、映画を漫画に落とし込んだらどうなるのだろうという、ある意味、漫画から映画への告白みたいな。そんな感じがしました。
それに対して3年越しのアンサーとして今回の映画ができたんじゃないかなと。 アニメに関しての作画法というのはよくわからないところもあるんですけども、この映画ですね、原作に対し忠実って言うか、尊重して作っているなっていうのは観ていて感じました。
アニメ的な演出っていうのが、邪魔していないっていうか、構成はほぼ漫画通りでしたし、 アニメ的な演出もなんか随所随所で出てくるんですけど、例えばオープニングですね。ゆらゆらとこう揺れ落ちてくるシーンっていうのは、やはりアニメならではだなって。あと、地味なんですけども、貧乏ゆすりのシーンですね、 藤野のですね。体の細かい動きっていうのをですね、やはり漫画では伝え切るのは難しかったところもあったと思うんですけど、アニメならではの手法で藤野のキャラであったり、心情っていうのをうまく表現していたと思います。
基本、漫画の映画化って、連載ものとかが多いと思うんですよね。
人気が出た作品や、古い良作のアニメ化だったり、映画化だったり、実写化されると思うんですけども、基本このスタイルだと映画って2時間、平均2時間だと思うんですけども、 枠に収めること自体が難しいと思うんです。これをね、全部ぎゅっと収めると、 ただのダイジェスト版になってしまうと。
それと、原作を読んでいないであろう観客の人たちに対しては説明がひとまず入ってしまう。そうなると、原作を読んでいる人たちにはかったるいわけですよね。 大事な漫画のコアな部分がおざなりにされてしまったと感じてしまう。
で、これを解決するために改変っていうものが映画化、特に実写化の方に多いと思うんですけれども、これがですね、良くない方向に行きがちだなと。 原作者を含め原作ファンはこれは許せないっていうパターンになってしまう。
最近これの最適解を出したのが、先ほどお話したんですけども、
「ファースト スラムダンク」だったんじゃないかなって。
このアニメも、公開前に極端に情報が伏せられていましたよね。
で、観てみたらもうばっさり切ってましたよね。
この漫画のコアっていうか、クライマックスを主人公の入れ替えっていう大胆な発想で乗り切った。
ある意味では潔かったんですけども、それでも、それでもですよね、 やはり大事な場面がなかったとか、主人公はあの人が良かったっていう物議は少なからず出てましたよね。
それはやはりどんなに凝縮しても漏れ出てしまう。皮肉なんですけども。スラムダンクっていう作品が、 あの試合だけでも名シーンがすごく多いんですよね。それを映画の2時間という枠に収めるには、 ちょっと難しい部分はあったのかなというふうに思います。
その点、今回の「ルックバック」は、漫画と映画っていう関係性においては、まさしく、相想相愛の関係性だったんじゃないかな 思います。
次がですね、2つ目なんですがこれは声優さんです。
この映画の成功の大きな一つの要因として、声優さんの存在があるのかなあと思いました。知ったふうな感じで語っていますけども、このラジオを聞いている方はご存じかと思うんですけども、 あんこはですね、俳優さんとかを語るってことをあまりしないんです。
で、ましてや声優さんとなると、門外漢でございまして分からない分野ではあるんです。
ただ、漫画ってやはりこう読んでいると、脳内で読者が声を作っているわけなので、 アニメ化された際の違和感というのはぬぐえないものがあると思うんです。
連続シリーズのアニメとかになると、時間による刷り込みで徐々に、違和感を消していけると思うんですけども、映画となると1発勝負ですからね。 なかなかチューニングを合わせていくのも大変だし難しいんじゃないかなと思います。
今はもう慣れましたけども。「風立ちぬ」の主人公の堀越二郎。
あれは、最初劇場で見た時びっくりっていうか、劇場出ようかなっていうところまで、ほんと思いましたね。
今は逆にね、あんの声がいいなってなっちゃいましたけども、不思議ですよね。
美味しんぼで言うところのマグロの刺身にマヨネーズつけて食べるっていう回ありましたけども、
海原雄山はマグロは刺身醤油だろってカンカンでしたけど、でも今は普通にありますもんね。サラダとかでも。海原雄山も多分その後もやっていたんじゃないですかね。
すいません、また話それちゃいましたけど、それぐらい脳内で作り上げた声にチューニングを合わせていくのが難しいんじゃないかなって、特に初見ではね、難しいと思うんですけども。藤野の声を演じた河合優美さん、京本を声を演じた吉田美月喜さん。どちらも素晴らしかった。
そもそもね、最近あんまり漫画読んでなかったっていうのもあるんですけども、 この「ルックバック」を読んでる段階で、登場人物の声って意識していなかったかもしれません。
なんででしょう。読み切りだったっていうのもあるかもしれないし、もしかしたら。漫画を読んでいて、セリフを脳内で自作するっていう作業をしていなかった可能性ありますね。文字で読んじゃっていたかもしれない。年齢からくるものですか?そうだったとしたら悲し過ぎます。でも、それを差し引いても、今回の声優さんはすごく良かったと思いますし、登場人物に彼女たちの声がそのままフィットしていましたよね。キャスティングに心から感謝したいです。
最後ですね、3つ目なんですけども、 それが上映時間です。これは、1つ目の理由と若干被る部分ではあるんですけども、上映尺が58分なんですね。58分と言うと、短編でもないし、長編でもないところだと思うんですけども、間をついてきたのがこの映画のすごいところだなと。
皆さんはどうでしたかね。長いと感じましたか。 短いと感じましたかね。
あんこは実時間よりはちょっと長く感じたんですよね。
凝縮された濃い時間は長く感じるようにできてるのかな?て思ったりもしたんですけど。
ただ、つまらないっていうと失礼だけども、時計を何回も見ちゃうような映画ね、これも長く感じますよね。ってなると、この説、間違ってたのかなって不安になるんですけども、 どうなんですかね。「ルックバック」がもし2時間あったらどうでしたか。面白かったですかね。それとも途中ダレたりしたんですかね。 これは想像でしかないんですけども、 うーん、58分っていうこの時間がちょうど良かったんじゃないかなと思います。
58分という時間の中に、様々な映画的なテクニックを入れていたと思います。
例えばなんですけどもジャンプカットっていう編集の手法があるんですね。
結構この映画使ってましたね。ジャンプカットっていうのは、同じショットの時間を、経過を飛ばしてつなぎ合わせる手法のことなんですけども、これをやると、時間の流れていく様を、大胆に吹っ飛ばすことができるんですよね。
映画で有名なのは、「ロッキー」ですね。ボクシングの映画であるんですけども、これの練習風景ですね。 サンドバッグ打ってたり、腕立て伏せしていたり、腹筋していたりとかランニングしていたりと。
これをジャンプカットでバーって繋げていくんですよね。最後に、美術館の階段を上って、 ロッキーが手をあげて、叫ぶシーンがあるんですけども、これはジャンプカットですね。
あとは、マフィア映画で有名なんですけども、「グッドフェローズ」って映画があるんですけども、これにもジャンプカットが使われてますね。「ロッキー」も「グッドフェローズ」そして今回の「ルックバック」もそうなんですけど、音楽に乗せて行くんです。
見ている方としては、細かい箇所をあんまり気にせず見続けられる。ちょっと、心地いい感じがするんですよね。
藤野と京本のシーンなんか、これ結構多用されていました。
これはでもある意味ちょっと諸刃の剣っていうか。このジャンプカットをあまりに多用すると、見ている瞬間は気持ちいいんですけども、映画としての余韻ていうのは結構少なくなるっていうか、軽い感じになってしまうー部分もあるのかなって思います。
あとはなんだろうな。徐々にコミックが増えていく、時間の経過と漫画が息長く続いているっていうシーンあったと思うんですけども、 ああいうところもジャンプカットに近いものがあるのかなって。
あとは、そうですね、グラフのシーンはちょっと安直にも感じましたね。別にあそこって、本屋に平積みされている表紙がシャークキックとか、コミックを立ち読みしてる人たちとか、 子供たちが見てるアニメがシャークキックじゃダメだったのかなって考えました。そんなに尺は取らないと思うんですよ。それこそジャンプカットで構わないので、繋げてしまってもよかったんじゃないかなと思ったんですけども、皆さんどうでしょう。
ただね、先ほども言ったんですけども、この手法っていうのはね、使いすぎるとやや重みに欠けてしまう感が出てしまう。
この作品において不思議なのは、これだけ時間を短くさせるような手法を多用しているにも関わらず、本作は見終わった時に実時間より長く感じた。これは少し矛盾してるんですよね。
この謎が分かる方いらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいなと思います。
以上ですね。ルックバック成功した理由3つをちょっとお話ししてみました。 皆さんのご感想お待ちしております。
ありがとうございました。
はい。ということでね、本編の方いかがでしたでしょうか。
原作の映画化が成功した理由っていうのをね、3つ映画的な視点からお話してみました。
全然成功理由じゃない?もし他に何かこの映画の成功の理由わかるようでしたら、 本編の謎を含めてコメントなどで教えてくださいね。
褒めてばかりはなんですからね。最後、ちょっとこの映画で気になった部分もお話してみたいなと思います。
それがまずですね、音楽ですね。この劇中に流れてる音楽なんですけども、 ちょっと全体的に押しが強い気がしましたね。
なんか感動させようとしてません??っていうのが見え隠れしている感じしました。特にですね、あぜ道を藤野が踊り歩くシーンがあるんですけども、
あそこはですね、音楽がすごく強いっていう感じがしましたね。
名場面なんですけども、漫画の想像を殺したまではいかないんですけども、ちょっとミスマッチだったんじゃないかなって気はしています。
「雨に歌えば」(原題:Singin' in the Rain) とかね、そういう映画の音楽を流してもよかったんじゃないのかなって、あんこ的には思いました。
あとは、これはもうちょっとね、漫画の方になっちゃうんですけども、藤野の成功は果たして必要だったのかなということなんですよね。
これは原作者の藤本さんを恐らくなぞっていますから、登場人物二人とも。全然ありっちゃありなんですけども、 藤野が描いている連載漫画。これはもう、三巻ぐらいで打ち切りでもよかったんじゃないかなって勝手に思ってます。反復になっちゃうかもしれないんですが、小学校時代の藤野と重ね合わせて、打ち切りで漫画を辞めちゃっていてもよかった。そこできっぱり画を諦めて、普通の仕事をしてる。普通のOLさんとかやっている、そういうタイミングであの事件を知ることになる。
藤野は薄暗いあの京本の部屋の中で、 3巻しか出ていないシャークキックがたくさん置いてあるのを目にする。小学校で見たあのスケッチブックのように。そこで自分の漫画を読み終えた藤野はもう1度ペンを握って部屋を出る。というのでもよかったのかなって。
藤野をあえて成功させた理由っていうのは、もちろんあるとは思うんです。それは多分ね、 勝手な予想なんですけども、2人の関係性のバランスを取ったと思うんですよね。 その表現をしたんじゃないかなっていう風に思っています。
ですので、明日のアフタートークではですね、このルックバックの藤野と京本の人間関係における幸福のバランスについて少しお話できたらなと思います。
一体ね、どんな話になるのかっていうのが、まだあんこもモヤモヤした段階なんですけども、なんとか言語化して明日お伝えできればなと思います。それではね、ほんとに遅い時間までありがとうございました。
どうぞごゆっくりお休みくださいませ。
お相手は坂口あんこでございました。
グンナイ。
メモ
今回の投稿はシン・堕落論 『第20回 映画「ルックバック」漫画(原作)と映画の相思相愛関係とは』 を修正、加筆したものとなります。