映画「関心領域」極限の共感性について
皆さんこんばんは。日曜日の夜、 いかがお過ごしですか。
シン堕落論 第19回目の配信となります。お相手いたしますのは、坂口あんこでございます。
先週は映画「関心領域」二度と見ない理由3つについて お話ししました。
まず1つ目がですね、映画を見ていての慣れの怖さっていうことですね。
2つ目が、 共感性ゼロの登場人物。
そして3つ目が、その共感性ゼロの登場人物になぜか自分を重ね合わせて見てしまった。
こういったお話をしました。
1番目と2番目の理由に関しては、この映画を観られた方は言わんとしていることをわかっていただけるんじゃないかなと思います。
ただですね、3つ目の共感性ゼロの人間になぜ自分を重ねてしまうのか。
これを、1回目観てからずっと考えていたんですね。
先週の本編ではゆっくり答えを見つけていきたいと締めくくったわけなんですけども、 やはり答えを知りたい欲求がフツフツと沸き立っておりまして、今週、二度と観ないと言っていた「関心領域」をもう一度観て参りました。前言撤回、大変申し訳ございません。
今週の金曜日(2024年6月21日)、新宿ピカデリーの夜の部で見てきたんですが、なんとこの上映本編終了後に、ルドルフ・ヘスを演じたクリスティアン・フリーデルさんと音響を制作したジョニー・バーンさんとオンラインですが直接質問できる贅沢な時間が用意されていましたので、 この詳細はこの後お話ししてみたいと思います。それでは本編、 ごゆるりとお聴きくださいませ。
はい。ということで、ここから本編の方始まるんですけども、ネタバレを含むお話をするかもしれません。まだ未鑑賞の方はぜひご覧になってから聴いて頂ければと思います。
また、この映画の概要につきましては先週の回(映画「関心領域」鑑賞後に二度と観ないと思った三つの理由)でアナウンスしていますので、よろしかったら先週の回から聴くと分かりやすいのかなと思います。
早速ですね、二回目を観た感想なんですけども、やはり気づいていないところがすごく多かったことに気づきました。
この映画は情報が極端に排除しているように見えるんですが、排除しているわけではなくて、あえて隠しているんですよね。
ですから、一回目の後に観るとよくわかるような作りになっていました。
情報がこれほどかってぐらい溢れていた映画だったことに気付かされたんですね。
例えばオープニングの黒バックの上にですね、タイトル文字のThe Zone of Interestと記されている。 これが本当にゆっくり消えていくんですよね。それも全体が均一に消えていくわけではなく、所々が不自然に消えていく。残っている部分も最後にゆっくり沈んでいく。 これは人間の関心が薄れていく様を見事に表現しているオープニングタイトルだと思いました。
あと、オープニングで印象だったのは、やはり音ですよね。ピシンピシンっていう、、、表現できないんですけども、金属音にも似た音がずっと鳴り続けているんですよね。 計ってはいないんですが、体感的には2分から3分ぐらい鳴っていたんじゃないかなと思います。
観客は暗転したままの暗闇の中ですからね、何もわからない手探りの中、嫌でもあの音に関心を持つようになっていました。
アフタートークでジョニー・バーンさんがおっしゃっていましたけども、 まずは冒頭でこの映画が他の映画とは違うものであると、向き合い方を示したかったとおっしゃっていました。
ですから、オープニングの一連の音は、明らかに意図を持ってデザインされたものであると 今回の上映で分かることができました。
あとは、ルドルフとヘートヴィヒの夫婦関係なんですけども、 以前ここで落下の解剖学のお話をしたと思うんですが、あの映画に似ている関係性だなって。夫婦でお互い求めているものが違ってきている。
二人の関係がすでに愛情で繋がっていないのは、随所で示されています。特にヘートヴィヒの方は、彼といる理由が利害しかないんじゃないのっていう気さえしてくるんですよね。現状の裕福な暮らしとか、旦那の権力とか、それを使っての横暴、 こういうのが散見してるんですけど、彼女はこの暮らしが幼い頃から夢見ていた生活だっていうんです。それ以上だとも。
ルドルフに感謝を述べるんです。しかし彼女は彼の前では極端に女らしさっていうものを排除しているように映るんですね。
あの時代のドイツ女性の価値観っていうものがわからない部分ではあるんですけど、彼女がユダヤ人から奪った口紅を鏡の前で塗っているシーンがあるんですね。しかし彼が来るとそれをすぐに落としてしまう。ただ単純に気に入らなかったのかもしれないし、それは彼女の中にある、はしたなさとか、恥とか、 そういったものなのかもしれないけど、でも、そんな人間が間接的にとはいえ殺して奪ったものを喜んで自慢しないと思うんです。彼女は家族の前でも極端に女性であることを隠していました。
それは飼っている犬に対してもそうで、口紅をつけている時に他の部屋は犬が通れるように扉を少し開けているんですけども、彼女はそのドアを閉めていましたよね。
犬は扉を開けて開けてって、爪でカリカリカリってしてましたけど、あれって夫のルドルフ・ヘスそのものみたいだなって感じました。
彼の転勤のことで夫婦仲が一旦悪くなってしまう。彼は頑張ってお偉いさんに手紙書いたり、お金を自室で振り分けてるんですよ。 おそらく、お金はユダヤ人から奪ったお金なんでしょう。そういった説明は一切ないんですけども、多分賄賂に使ったんじゃないかなっていう気がします。 自分を引き立ててくれる人に対してのね。
彼女と家族が未来永劫この場所に住めるようになんとかしようとしていたんじゃないかな。涙ぐましい裏工作をしていたんじゃないかなって気がします。
その甲斐あってか彼は単身で転勤していくんですけども、 その転属先からちょくちょく彼女に電話してるんですよね。
色々頑張って、いよいよアウシュビッツに戻れそうだって、喜び勇んでヘートヴィヒに電話をかけるんですけども、 彼女は至ってふーんって感じで、結構冷めてるんですよね。「もう夜も遅いから切るわね」って、つれない感じなんです。
ルドルフはずっとヘートヴィヒに対して、扉をカリカリ、カリカリしてしていたんですけども、彼女は一向に扉を開けてはくれない。
これは穿った見方かもしれないんですけど、アウシュビッツ収容所の所長であったヘスは、ユダヤ人女性の 1人を性奴隷として扱っているんです。その彼女なんですけど、ちょっとね、ヘートヴィヒに似てるんです。顔が。
態度もどこか少し強気なんですよ。ヘスの前にある椅子に彼女座るんですけど、 持っていたバッグをポンって床に放り投げるんですよ。普通に考えたら自分の生殺与奪権を持った人間に対して、ああいった態度はなかなかできないんじゃないかなと思うんです。そう考えると彼は自分の心内の弱みっていうものを彼女にだけは見せていた可能性があります。
一方のヘートヴィヒ。これもおそらくですけど、 ヘートヴィヒは他の男性の前で女性性を見せていたんじゃないかって勝手にあんこは思っています。フランス製の香水を夫におねだりしてますけども、あれはヘスに嗅がせたいのではないんじゃないかな。
あるシーンでねビニールハウスの中でヘートヴィヒと一緒にタバコを吸っていたあの人、覚えてますかね。 ちょっとしか出てこないんですけども、おそらくユダヤ人だと思うんですが。。。タバコを吸ってるこの2人の間に流れていた時間(間)は、、、、男女の関係性を暗示していたんじゃないかなって感じました。
そう考えると単身赴任までして頑張っている夫のヘスが惨めな人間に映ると思うんですよね。私たちの身近にいてもおかしくないような人間であるように。 それを作為的な演出としてやっていたとするならば、この監督ちょっとやばいですよね。
前置き長くなってしまいましたけど、ここからテーマである、共感できない人物になぜ自分を重ね合わせてしまったのかっていうことなんですけど。
あんこなりの仮説を三つに分けてご説明していきます。
まず1つ目。それは登場人物を理解しようと努めたということなんです。
要はこの映画は歴史的な事実を下地にしていますよね。原案もあるということで映画の内容は分かりやすいと思うんですけど、 ただ、極端に情報を少なくしているまたは意図的に隠してるわけですよ。
登場人物が何をして、何を思っているかっていう説明がほとんどない。だから、観ている私たちは知らず知らず自分の経験則に照らし合わせて登場人物を補完していたんじゃないかなって思いました。
途中でこれは気付いたんですが、今回このルドルフやヘートヴィヒと自分をあまり重ね合わせをしなかったんです。それはこの映画を1度鑑賞し登場人物の下地が出来たからこそだと思います。自分と彼らを重ね合わせて補完する必要性が減ったんじゃないかと。それによって他の情報に意識が向くようになったのは映画体験として新鮮な面白さがありましたね。
2つ目の理由なんですけども、自分の位置の再確認だったのではないかということなんです。これに関しては直感的にわかりやすいのかなと思います。ルドルフ夫妻と自分を重ねることによって、自分の立ち位置っていうか、方角って言った方が分かりやすいのかな。ヘスが東にいるなら、自分は西にいるんだってことが座標として判別しやすくなると。
これはこの映画だけじゃなく、実生活でも無意識的に使っているような気がします。例えば、ニュースで流れている情報って、やはり一部的であったり、一方向だったりすると思うんですよね。
それは決して悪いってことじゃなくて、限られた時間でニュースを届けるっていうのはそうならざるを得ない部分はあると思うので。だけど、それを受け取った自分が、それだけで判断してしまうのは危険なのかな思います。方角を定められときっと楽なんです。考えなくて済むからです。 この人たちは私たちと違うんだって、自分の立ち位置を明確にすることによって安心感を得る。 そんな気がしますね。
怒られる発言かもしれないんですけど僕自身、どこかで(ユダヤ人)広く言うと(ユダヤ民族)っていうものを、 可哀想な人たちであるっていう方向性で観ていたんじゃないかっていうことですよね。
それは、今回の鑑賞で気づかされました。
次が最後の仮説になるんですけども、 それは人間の究極の共感性による重ね合わせだったんじゃないかということです。
今回の再鑑賞で気づいたのは、自分と重ね合わせたのがヘス夫妻ではなく、あの屋敷に住んでいるユダヤの人たちだったんですね。それと、姿が見えない壁の向こうの強制収容所の人たちだった。
前半、ヘートヴィヒがズタ袋からたくさんの女性用下着を出すんですけど、 それをお手伝いをさせてるユダヤの女性たちに分け与えるシーンがあります。 彼女たちはテーブルの上にある、無造作に置かれた下着を平然と手にしていくわけです。
まるでバーゲンセールの商品を手にするように、ゴムの具合とかを見ている。無表情というか、ためらいが一切ないんです。これ、めちゃくちゃ怖いなって観ていました。自分たちの同胞が殺され持ってきたものだよって。それなのに、どうして感情ないまま、そうやって手にできるかって思ったんです。
他にも ヘスの子供たちが川遊びから帰ってくると、大量の灰が付着してるんです。その灰というのは収容所から廃棄された灰であるっていうのは映像の文脈で理解できるようになっています。 その後、お手伝いさんである彼女たちはそれこそ泥でも落とすように洗い流すんですよね。
ためらいとか、怒りとか、恐怖といったものを彼女たちの表情から感じることができなかった。
浴槽に最後残った灰を若いお手伝いさんが流し落とすところで一瞬なんとも言えない表情をするんですが、、、同じような状況だったら果たして自分はどうするんだろうって重ね合わせていました。
あともう一つが、強制収容所の近所に住む少女が闇夜に隠れて、ユダヤの人たちにりんごを置いていくシーンがあるんです。言ってみればこの映画の中で唯一の救いっていうか、人間の良心を感じることができる場面です。
しかし翌朝、少女が善意で置いていったリンゴで収容所のユダヤ人が奪い合いをしている。壁の向こうから聞こえてくる。
そして彼らはおそらく内乱の罪によってドイツ兵に銃殺されている。ここを音だけで表現してるのもすごいですけど、ここであんこは自分と重ね合わせていました。
ただ、これらのシーンから極限の共感性の仮説を追い詰めていったかと云うとそうではないんですね。
決定的に閃いたのはこの映画ではなかったんです。
たまたま、ある映画を久しぶりに見たことで閃いたので紹介したいなと思います。
それがスタンリー・キューブリックの2001年宇宙の旅という映画です。有名な映画ですからご覧になった方は多いかと思います。
この映画の冒頭で猿人たちが殺し合いをする場面があるのを思いだしてもらえますでしょうか。
一方の猿人が動物の骨を武器として使うことを覚えて、同種の猿人を殴り殺すんですけども、仲間の猿たちは助けも反抗もせずただギャーギャー喚き散らすだけなんです。
でも、この時にあんこは猿人と自分を重ね合わせしていたんです。正直言って、猿人への共感性っていうのはなかったですよ!
だけれども、自分と重ね合わせてしまっている。で、一体これはなんでだろうと。
ここから仮説なんですが、あんこが思うにですね、人間は人間の悪、または連想させるものを見せられた時に、自己防衛的な共感性が発動するのではないかって思ったんですね。
現在、日本に暮らしている僕たちは、普段の生活の中で死と隣り合わせになるようことはほとんどないと思います。
ただ、今回の映画のようにすぐ隣にあるリアルな死とか生存を脅かす環境変化っていうものがあると、 それまでの社会的立場とか価値観とか身に纏っていたものが剥ぎ取られ裸の自分になってしまう。裸の自分はあまりにも無力な存在であるが故に自分で自分を直視できずに置き換え(重ね合わせ)しているのではないかと。
それも無意識的にです。
ですから、稀代の悪人であろうと、考えられない状況であろうが、猿人だろうが無意識的に自分と置き換えてしまう。
これは後付けの情報になりますが、 アウシュビッツ強制収容所で生き残った人たちへのインタビューを観ていたんです。収容所内でもし食べ物を盗んだり奪った人がいると夜中にこっそりみんなで殺していたらしいんですよね。
この 逸話を聞いた皆さんは何を想起しましたか??いろんな価値観が渦巻いたと思うんですけども、価値観が発動する前ってどうでしたかね。
あんこは殺しているユダヤ人と自分を重ね合わせていました。
殺された方ではなく、殺している人間にです。なぜ殺した方なのかと云うと、とにもかくにも生き残っているからじゃないかなと。生存していることに共感性を覚えた。
極限の状況の中、素っ裸になった私たちは生存の共感性というべき置き換え作業が行われていると閃いた。
この置き換えはおそらく数秒のうちに価値観や社会性っていうものが発動して、すぐ見えなくなってしまうものだと思います。
だけれども、心の中でのモヤモヤした違和感はどうしたって残る。
なぜなら、認めちゃいけないって覆いかぶさった価値観がノイズを送っているからだと思います。
もしジョナサン・グレイザー監督が、ここまで人間の心理を理解し設計したものだとすれば、この映画、本当に怖いな。そう思いました。
はい。ということでね、本編の方、いかがでしたでしょうか。ちょっと駆け足で、お話してしまったんですけども、共感性ゼロの人間になぜ自分を重ね合わせをしてしまうのか、3つの理由というか、仮説を考えてみました。
今回は2回目の鑑賞ということで、1回目では気づかないことがいっぱいあることに気づけました。で、これが3回、4回と観るとまた違った見方にはなってくるんだろうなと思うんですけども、 監督がこの構想にだいぶ時間をかけていたらしいんですね。かなり緻密に設計された映画だなって改めて思いましたね。
最初にお話したんですけども、上映後にですね、ルドルフ・ヘスを演じたクリスチャン・フリーデルさんと音響制作を担当しましたジョニー・バンさんへ質疑応答できる時間がありました。
やはりこの機会を逃してはならないということで、頑張って手を挙げてみました。(えらい!)
そうしましたら、1発目にあてられまして、ジョニー・バンさんに質問してきました。
音に関しての質問をしたんですが、それはシン堕落論で先週お話した内容でしたね。
「この映画で2つ怖いって感じたことがありました。1つはルドルフ家の生活の後ろから聞こえてくる音。バックグラウンドの音が怖いなと思って聴いていました。 そしてもう1つ怖かったのが時間が経つにつれ、その音に慣れてしまった自分がいた。慣れてしまって怖さを感じなくなってしまったんです。 ジョニー・バーンさんはこれらの音は慣れを意図してデザインしたのですか?」
と質問してみたんですね。
そうしましたら、このジョニー・バーンさんはこう答えてくれました。
「いや、全く意図してデザインはしてません。私も編集してる段階で慣れていくのがわかった。私も驚いたし怖くなった。なので編集する度、音が狂わないよう毎日初めから聞き直して慣れっていうものを確認しながら作っていた」とおっしゃってました。
先ほど監督は意図してこの映画を設計(デザイン)したんじゃないかって言いましたが、音響に関してジョニー・バーンさんは「慣れに私もびっくりした」と言っていたのが印象に残りました。
他の観客はクリスティアン・フリーデルさんに質問されていまして、
「シナリオの読んでのファーストインプレッションはどういう感じしましたか」って聞いていましたね。
フリーデルさんは、
「シナリオの段階で、情報はすごく制限されていた。自分も最初わからないことが多かった」とおっしゃっていました。
また演技の方では、
「マルチカメラでの撮影がすごくやりやすかった。演技しがいがあった。ゆっくりゆっくり演じることができたと。即興なんかも交えやっていたよ」とおっしゃっていました(一体何処のシーンだったのか知りたい!!)
他にもたくさんの質問が出ていましたが、
2人が共通しておっしゃっていたのは、監督は歴史映画を作っているわけではなくて、現在、やはり、進行形の物語として作ったと。 そこで私たちの慣れの怖さをテーマに映画をつくった。観客にはそこに気づき立ち止まって振り返るきっかけになればいい。そしてこの映画が今世界で起きていることへの私たちの決断の懸け橋になることを願う。と締めくくっていました。
すごく、貴重な時間でしたね。
この場をお借りして、お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
映画「関心領域」二週にわたってお話しました。本来二週になるつもりはなかったんですけども、自分で納得っていうか、違和感を抱えたまま終わることはできなかった映画でしたのでこういうことになりました。
日曜日の夜、ほんとに遅くまで聞いて頂きありがとうございました。
映画「関心領域」まだ観られていない方は是非劇場で観てください。関心を持って観ればすごくいい映画だと思います。一度観られた方も機会あれば是非また観て貰えればと思います。気づくことが毎回それぞれあるんじゃないかなと思いますので。
それではですね。皆様、どうぞごゆっくりおやすみなさいませ。
お相手は坂口あんこでございました。
グンナイ。
メモ
今回の投稿はシン・堕落論 『第19回 映画「関心領域」極限の共感性』を修正・加筆したものとなります。
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