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【ビジネス本再読】長谷部誠「心を整える~勝利をたぐり寄せるための習慣」⑥脱皮する・誠を意識する

いよいよ最終回となってしまいました、長谷部誠選手のベストセラー「心を整える~勝利をたぐり寄せるための56の習慣」。この本からエッセンスを学んで仕事に活かそうと、もがいていた当時を思い出しつつ、今改めて読むことで振り返ってみたり、新しい発見があったり・・・と、やっぱりこうして読み直す楽しみというのは「本」ならではの素晴らしい特徴ですよね。ラストとなりますが、ぜひお付き合い頂ければと思います!


変化に対応する。

「正解は一つではない」僕は何に対しても、固定観念に囚われないように注意している。正解を決めつけてしまうと、自分が知らないものの見方や価値観に対して、臆病になってしまう可能性がある。自分の殻に閉じこもってしまわないためにも、正解はその時々に応じて変わるものだと考えるようにしている。「考えは生き物。常に変化していい。」

何度も書いたが、岡田監督はワールドカップ直前に戦術変更という重大な決断を下した。僕は迷いをふっ切り、監督の新たな戦術をとことん信じるようにした。もしまわりが脱皮しようとしているのに、自分だけが古い皮をかぶったままだったら、チームに迷惑をかけてしまっていたと思う。考えも、正解も変化していくものだ。僕はその変化に柔軟に対応できる選手でいたい。

「心を整える~勝利をたぐり寄せるための56の習慣」長谷部誠著より抜粋

年齢のせいにはしたくないですが、やはり年ともに考え方が保守的になっていくように思います。この場合の私なりの保守の定義とは「新しいことに挑戦せず、これまでの自分の考え・手法に固執すること」というように考えています。本来であればもっと違ったやり方、考え方によって飛躍できるかもしれないのに、「いや、いつものやり方・考えで良いだろう」と思って躊躇してしまう。これって本当は勿体ないことですよね。良い意味で年齢を重ねても「若々しい」方っていますよね、そういう方々は常に好奇心が旺盛で、どんどん新しいことに飛び込んでいく。しかも、それが若者に迎合するわけでなく、自分たちなりのスタンスを保たれていますよね。これが妙な「若作り」になるとちょっとイタいんですが、そうではない「素敵な加齢」というんでしょうかね。こうありたいと思います。まずは「歳だからさ・・・」という言い訳をしないところから始めたいと思います(笑)。


迷った時こそ、難しい道を選ぶ。

人生の岐路に立たされたとき、どんなに自信があっても迷いは生まれるものだと思う。では、岐路に立った時に、僕は何を大切にしているか。それは、「あえて難しいと思った方を選択する」ということだ。僕は知っている。難しい道ほど自分に多くのモノをもたらし、新しい世界が目の前に広がることを。今自分が言えるのは、挑戦し続け、その場その場で全力でもがき続けると、人間は変われるということだ。背伸びをしても、ジャンプをしても、先が見えないような壁の方が、乗り越えた時に新たな世界が広がるし、新たな自分が発見できる。だからこそ僕は常に「難しい道」を選び続けられる人間でありたい。

同上

これも反省ですね・・・どんどん「楽な道」を選んでいる自分がいます。たしかにこの本を最初に読んだ当時はどんどん新しいことにチャレンジしていたように思います。仕事においても、なかなか難儀なプロジェクトだったり、それこそ常に任された職場を回すだけでも、パワーがいる毎日でしたので、歯を食いしばってやっていたように思います。しかし、時が経つにつれ、職種や立場が変わることで、「守勢」になっている自分がいることに改めて気づきました。それはそれで居心地は良いのですが、成長はしないですよね・・・。成長しない人生ではちょっと味気ないですからね。ちなみにこの長谷部選手のエピソードを読んでいてMr.Childrenの「終わりなき旅」の歌詞を思い出しました(←世代なんで・笑)。


感謝は自分の成長につながる。

ワールドカップでパラグアイに敗れ、帰国が決まった時のことだ。選手同士で話し合い、代表チームのスタッフ全員に、サインとメッセージを入れたユニフォームを渡そうということになった。ホテルの食堂の大きなテーブルに、日本代表のユニフォームをずらっと並べて、選手全員がサインとメッセージを書き込んでいった。一文字、一文字に感謝の気持ちを込める。チームメイト、監督、スタッフ、事務所の人たちなど、周りには支えてくれる人たちがたくさんいる。みんなの助けがあってこそ、僕はピッチに立つことができる。

同上

いいですね、こういうエピソード。選手を支えるスタッフ陣は裏方とはいえ、選手たちにとってなくてはならない存在。立場上、あまり日の目を浴びないポジションながらも、こうして選手たちからサプライズをしてもらえたら本当に嬉しいですよね、サインを書いている選手チーム、そしてユニフォームをプレゼントされたときのスタッフたちの喜ぶ様子が目に浮かんでくるようです。

時に有頂天になって天狗になってしまう選手(のみならず芸能人、政治家、著名人、先生と名のつく職業の人たち、○○長という役職の人たちなどなど多数)はいるもので、そういう人たちは結局、末路はあまり浮かばれなかったりするんですよね、やっぱり因果応報。特に日本では「お天道様が見ている」ではありますが、そうした文化・慣習が根付いているように思います。


友達から「オマエはマメだよな」と言われることがある。感謝する能力は意識次第でいくらでも伸ばせるし、それに感謝は自分のためでもある。もし自分が感謝の気持ちを忘れなければ、周りがどんどん自分にポジティブなエネルギーをくれるはずだ。周囲から助けてもらえる選手と助けてもらえない選手では、成長スピードに差も出る。少し観念的だけれど、関わる人すべてを幸せにするつもりで働けば、その気持ちは結果として還ってくる。僕はそう信じている。

同上

一流の選手陣は必ずと言って良いほど、この話をされるように思います。なぜ感謝するのか?それは回りまわって自分に返ってくるということを経験として学んでいらっしゃるんだと思います。応援をしてくれるファンの方々の「言霊」を全身で浴びて、その期待に応えようとする。きっと自分一人の力だけでなく、そうしたファンの方々の「思い」も力になってパワーが増すのではないでしょうか。

そしてこれは何もスポーツだけの話ではないと思います。私がかつて努めていた業界でも、周りの応援の力も勇気になって本番を見事乗り切ってくれた(と思いたい)というエピソードは数多くありました。勉強であっても試験会場に到着するまでは「受験は団体戦」だと私自身も本気で信じていましたし。もちろん当日、会場の机で問題を解くのは受験生一人一人ですが、それまでの長い期間はクラスの仲間やご家族、さらには先生方の応援あってだと思いますからね。そういう意味でも「感謝」は相手のためではなく、結果として自分のためでもあるという長谷部選手の考えには100%賛成です。

笑顔の連鎖を巻き起こす。

「サッカー=仕事」。24時間のすべての判断のベースはサッカーだ。好きなことが仕事であり、そして、それが当然ながら全く苦ではない。僕がサッカーを楽しめば、それを見てくれる人も楽しんでくれる。つまりは人生を楽しむ連鎖を生みたいということなのかもしれない。僕がサッカーをするのは、「人が喜んでいる顔を見たい」ということもある。これは同郷のサポーターに応援してもらえると、より力が発揮できるというナショナリズムかもしれない。

同上

いいですね、自分のためではなく、周りのためにプレーする、という域に達していらっしゃる長谷部選手。これが30代に書かれたということが驚きです。そしてそのまま今に至るまで第一線(立場は選手から指導者に代わっていますが)で活躍(それも異国の地で!)されているのだから、その精神力のみならずバイタリティに感服しかありません。

そして今にして思うことは、この場合の「楽しむ」というのは単に面白がって楽しむ(amuse)ではないように思います。これは丁度、プロ野球、日本ハムファイターズの新庄監督が、後半のCS戦などで「楽しめ!」と選手たちを鼓舞していた時の「楽しむ」と同義であるように感じました(このあたり文章が拙くて説明不足でスミマセン、ご理解頂けると嬉しいのですが・・・)。この「楽しむ」感覚(=めちゃくちゃ真面目に真剣にプレーしつつも、辛くなりすぎず、核の部分では「楽しむ」気持ちを持っている)をスポーツ選手だけでなく、誰もが持ちながら生活できたら、なんだか凄い国の凄い人たちって感じがしませんか?きっとこんな国、世界中にどこにもないですよね。これは今回読み直して、新たに頭に浮かんだ新しい感想です。

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