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【TRAVEL】鹿児島知覧・鹿屋②~英霊たちの祖国を思う気持ちに触れて

前回に引き続き、鹿児島知覧と鹿屋にある歴史資料館(知覧特攻平和会館と鹿屋航空基地史料館)巡りにまつわる話です。あれこれと書いていたら、後いう間に3000文字ということで、前回伝えきれなかった内容を改めてまとめてみました。


きっかけはYouTube番組

知覧と鹿屋について知るきっかけとなったのは、昨年見たYouTube番組でした。「デイリーWILL」という、カテゴリーとしては時事問題を扱う番組の企画でこの二つの史料館を訪れていたことがきっかけでした。それまでも「知覧」という地名や「特攻の基地」という断片としてだけは耳にしていましたが、このタイミングでなんとなく頭のフックに引っかかったというか、アンテナに留まったような感じでした。

実際のアクションはもちろんあの映画

そしてもちろん「これは行くしかない!」と行動に移すきっかけはあの映画「あの花が咲く丘で君とまた出会えたら」です。不思議なもので、興味を持つとなんとなく、いろいろなものがつながってくるということってよくあると思いますが、もしかしたら今回もそういう不思議な「縁」、いや、もっとカッコつけた言い方をすると、なにかに「呼ばれた」ような感覚になりました。

多くの人が見学に集まっていました

知覧の特攻平和会館を訪れたのはちょうど日曜日ということもあり、館内は割とというか、ちょうどいい具合の混雑状態でした。老若男女、家族連れ、団体で・・・と本当に様々。視聴覚室で開催された職員による解説会や映像に熱心に聞き入る、見入る様子、さらには特攻隊員が残した数々の貴重な遺品を見つめる姿・・・どれも真剣。そして思わず涙する方も少なくなかったように思います(ま、中でも相当号泣していたのは私だと思いますが・・・笑)。恐らく平日には学校の修学旅行などでも訪れる生徒さんたちも多いと思いますが、こうして(概ね)自らの意志で見学に集まる方々がこれだけいるということに安心感というか、日本もまだまだ「心」を失っていないな、と思いましたね。

知覧「特攻平和会館」表玄関

鹿屋の航空基地史料館での奇蹟

これは私自身にまつわる奇蹟ではなく、こうした不思議話ってあるんだな、というエピソードを。これは鹿屋の史料館での話になりますが、新たに史料館を新設するタイミングでなんと、零戦が近くの海から発見されたというのです、しかも2機!個人的にはこうした「不思議話」が好きなほうなので、元になる資料にも書かれていましたが、きっと「この機体を展示して欲しい」という強い思いが現実となったのかもしれませんね。時にこうした人智を超えた出来事ってあるんだと思うんですよね。

アットホームさを感じる富屋食堂の展示物

ちょっと不謹慎な表現かもしれませんが、上記史料館が「キッチリ」「カッチリ」したものである一方、「富屋食堂」はいい意味で「アットホーム」というと、少し砕けた感じになってしまいますが、実際にこの場で特攻隊の方々と食堂の鳥浜トメさんたちが交流したことを思うと、どことなくそうした温かいやりとりの雰囲気を感じることができました。展示物には食堂にいたネコを可愛がる隊員のエピソード、ホタルになって戻ってきた隊員の話、そして一番心に残ったのが、最期のお手紙内で「郷里の自分の本棚に残した本」に関するエピソードです。これは実際に現地でご覧になって頂きたいのですが、なんともロマンチックな甘酸っぱいエピソードで、だからこそより一層、戦争の不条理、憤り、辛さ、悔しさを感じる号泣必至のストーリーです。

富屋食堂のとなりにある「富屋旅館」

戦争反対!だけでいいのだろうか?

ここまで隊員たちの残した最期の手紙、さらにはお手伝いをされた「なでしこ隊」たち、そしてトメさんのような民間の立場で隊員たちをサポートした方々のエピソードに触れ、とにかく感じたのは「単なる戦争反対!を唱えるだけでいいのだろうか?」ということです。もちろんこうした考えに異論もあると思いますが、あくまでも私見ということでお許し下さい(もし、ここまでで不快な印象を持たれた場合は、スキップしてください)。

手紙に触れ、目を通す中で、多くの隊員たちが「この戦いに勝利することは難しい」ということを悟っていたのだと思いました。もちろん手紙には威勢のいい内容も書かれてはいますが、行間から滲んでくるのは、家族(とくにお母さん、そして結婚されている方は子どもや奥さん)への強い思いです。きっともう二度と会えないことが分かっているから、なんとしても思いを伝えたい、という一心だったのだと思うのです。

では、なぜそれでも沖縄へ飛び立っていったのか?もちろん真実は分かりません。私が思うに、とにかく沖縄で食い止めることで、本土決戦だけは避けたい、そしてこの国を守りたいという強い使命感だったのではないかと思うのです。本当の意味での「決死」ですよね、自分の命と代えてまでして国を守りたい・・・そんな気持ちだったのではないでしょうか。

だとしたら、戦後、平和を享受し、必死に先祖の方々が再建を果たし、先進国の仲間入りをし、今も(かろうじて)G7の一員として世界を代表する国になるまでに発展を遂げた日本が、単に現実を見ずして「戦争反対!」を唱えるだけで本当にいいのでしょうか?戦後80年近くが経ったにも関わらず、あまり成長しない私たちは相変わらず世界各地で紛争を繰り広げ、悲しいことにその戦禍は徐々に大きく広がりつつあります(しかも、日本の近辺で起こっているという!)。そんな中で、現実を直視せずに盲目に「これまでも何もなかったんだから、今まで通り戦争反対!を唱えていれば大丈夫」というのはちょっと呑気過ぎるのではないでしょうか?


言霊信仰の国、ニッポン

とはいえ、ではおまえに何が出来るんだ?戦場に行けるのか?などと極論で誤魔化す方もいますが、今こそ、こうした現実に目を背けることなく議論はするべきだと思うのです。これは終戦直後に発表された「失敗の本質」や歴史作家の井沢元彦さんが唱えている「言霊理論」でも知られていますが、特に我々日本人には「言葉は言霊」という考えがあり、悪いことを口にすると、それが本当になってしまうから、考えてはいけない、という思想があるそうです。「失敗の本質」でも、こうした考えから、「失敗」について考えないようにするために、自分たちの都合の良い筋書きを採用していった・・・ということが書かれていたように思います。

三角兵舎(再現)/知覧「特攻平和会館」にて

大切なのは「この国を守る」「愛する祖国を未来に繋ぐ」こと

今こそ、思想の右左など関係なく、「この国をどうやって守るか?」ー守るというと単に攻撃されたら迎撃する、というようなイメージですが、守るためにも戦う準備を常に整えておく、ということが実はより大切なのだと思います。私のような単なる市井の一般人でさえ、このくらいは考えつくのですから、学者さんや議員さん、知識人や専門家と呼ばれる、優秀な方々にはなんとしてもこうした問題について真剣に議論を重ねて欲しいものです。いろんな意見があっていいんです、方向が「この国を守りたい、未来に繋いでいきたい」という思いであれば。というか、ぜひともお偉いさんたちこそここ知覧と鹿屋をマストで訪れて欲しいですね、ここで何も感じないとしたら・・・本当に残念なことです。

「富屋食堂」前にある、映画「ホタル」紹介コーナー

何かに「呼ばれている」のか!?この不思議な「ハマり」具合

自他認める「影響を受けやすい人間」としては、せっかく興味を持ったので引き続きこのテーマの作品に触れていきたいと思っています。恥ずかしながら未だ百田尚樹さんの傑作「永遠の0」も未読ですし、石原慎太郎さんの「俺は、君のためにこそ死ににいく」という、まさに知覧を舞台にした作品もあるそうです。高倉健さんの遺作「ホタル」もまた、知覧が舞台の作品ですし、まだまだたくさんの作品があります。かつて見た「月光の夏」という作品も特攻隊に関する実話を基にしたことを思い出しました。こうなるときっと何かに「呼ばれている」のかもしれません(苦笑)。ま、実は単にハマりやすいタイプなだけなんですけどね。


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