「当事者家族」について
私の妻は双極性障害II型である。
躁鬱病とも言われているがII型である妻は鬱傾向が強い為、病院以外は1日中家にいる。
家でネットやYouTubeを見たり、ラジオを聴いたり、音楽を聴いたり、実母と電話したりして過ごしている。
1年に1、2回だけ2人で遠出は出来ないが近くのショッピングモールに出かける事がある。それはどういう時か聞かれたら、妻の調子や季節、天候、起床時間など色々な偶然が重ならないと行けない。
その時だけ本当に楽しそうな笑顔で買い物や食事を楽しんでいる妻を見れる。
1年に1、2回2人で買い物に行った時に粘り強く「待ち続けて良かった」と心底思い、泣きそうになる。
この「待ち続ける」こそが当事者家族の使命なんだとつくづく思う。
例えば、何処かの駅で誰かと待ち合わせをしているとする。でも何日に来るかも、何時に来るかもわからない。ひたすら駅で待っている。そこでずっと待っているのは飽きるからすぐ戻れる範囲内をぶらぶらする。
私は長年この状態である。
ただ悲観的にはなっていない。
私自身もこの限られた範囲内で楽しみを見つけ、待ち続けながらもそれなりに楽しんでいる。
妻もそう。駅に向かいたいけど動けないから、出来る範囲で楽しんでいる。
先に進みたい気持ちはなくならないが、希望は持たないようにしている。
共に過ごす時間を味わうように寄り添う事を私は選んだ。
幸いなのはお互い好奇心旺盛だった事。
今の時代であれば家で寄り添いながらもスマホでインプット・アウトプット出来る。
当事者をケアするだけで時間が過ぎるだけでは苦しいし継続は難しい。出来る範囲で楽しみを見つけられるかが何よりであると思う。