仕返しには妥協するな
「嫌なことをされたからといって、同じようにやり返すのはだめだよ。」
違う。
絶対に違う。
私の苦しみはどこに放たれるのか。
やり場の失った怒りに対して、そんな言葉で済ましてしまうのは失礼であるとは思わないのか。
私は、苦しみを与えた者は同量の苦しみを被るべきであると考えます。
過激に表現するならば、殴られたら殴り返せということです。
冒頭で述べた、ある程度の我慢を強いる教えには、加害者と同じレベルになるなという意味が含まれています。
しかし、人が傷つくことを躊躇なくできる者(物心がついていない子供は除く)には、徹底的に分からせる必要があります。
なぜなら、物事を理解できる者は最初から人を傷つけたりしないのです。
そんな者に反省しろなどと伝えようが、通じるわけはありません。
成り下がったっていい。
毒を以て毒を制するのです。
…などと主張すると、どれほどの批判を受けるのでしょうか。
私自身、小学校時代には苦い思い出を持っています。
※いじめを受けていた側の実情、その上でのいじめに対する意見をまとめた記事を投稿しています。
この際にこちらも読んでいただけると幸いです。
私のこの主張は、当時の私から得た知識でもあります。
私の両親の教えは、やられたらやりかえせ、というものでした。
実際にやり返すことはなかったのですが、そう教えられていたことは当時の私の気持ちをかなり楽にしてくれていました。
それから大体10年が経ちましたが、さらに変な時代になりましたね。
親、出しゃばりすぎじゃね?
これまた大批判を受ける発言ではあるのですが、あんたの人生じゃないんだよと思いますね。
もっと言うと、こんな当たり前のことが批判される世界ってなんなのでしょう…
人の成長に傷つけ合う過程は必要です。
人を傷つける経験も必要なのです。
そうした繰り返しの中で痛みを知ること。
そして、自分の考えを構築していく。
必ず他人の助けを受ける機会はありますが、最終決断をするのは自分です。
自分を強く持つために、仕返しには妥協してはいけません。
その代わり責任を持つこと。
日々の暮らしを、自分を大切にできるヒントです。