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日本を変える教育

どんな教育がいいんだろう?週末は、必然的に子どもの教育について考える機会が増える。

先日、とある経営者と教育談義をした。彼は自ら創業した会社を上場させ(それなりの規模になり)、その結果として、まとまった資産を持っている。それらをどう使うことが日本の未来のためになるか。そんな流れの中での議論だった。

日本を変えるために必要なのは、根本的には教育を変えることだ。と論点になることは多い。僕は教育の素人ではあるが、様々な国の発展を見ても、それは一つの結論だと思う。

ただ、それがどんな教育であればいいのか。という話になると途端に難しくなる。教育は、みんなそれぞれの道のりがあり、他を経験してないので、ポジショントークになりがちだ。まぁみんなが納得する答えなんてないのだろう。

その前提であえて切り口を挙げるなら、僕は「留学」だと思う。

それは僕自身が最も人生の価値観が揺さぶられた出来事が、18歳の時に人生初の飛行機に乗って行った一人旅だったこと(憧れだけでパリに行こうと思ったが、お金がなさすぎて深夜特急を読みながらバンコク経由で1ヶ月以上バックパックした)。

と同時に、人生で一番の後悔が、海外留学しなかったことだ。

お金もなかったし発想もなかった。しかし、大人になって出会う偉大な先輩たちに、人生を変えた経験を聞くと「10-20代に海外へ行ったこと」だと返ってくることが多い。自分が留学していたら、視野も友人関係も一気に広がって、きっと別の選択肢も見えただろう。

そう思うと、僕は海外留学こそできなかったが、人生の転機は田舎を飛び出したことなんだと思う。右も左も分からないアウェーの中で、色んな刺激に圧倒されながらもなんとか生きる環境を自らつくってきたプロセスこそ、根源的な自信になっている。それは留学的経験だと思う。

そんな話をしていたら、SmartNews創業者の鈴木健さんの提言を思い出した。

思春期の感受性に人生を通じて消えることのない永遠の火をつけることが、社会ができる最大のギフトである。全ての中高生の希望者全員に、ある1年100万円の海外留学費用を助成すれば、1学年100万人なので年間1兆円の予算しかかからない。これを毎年続ければ、20年後に日本は全く違う国へと生まれ変わる。

まさにこういうことだ。素晴らしい文章なので、少し長いがそのまま引用したい。

思春期の海外留学を通して、多様性に揉まれ、言葉が通じず、文化や常識が異なる世界でサバイブする経験をすれば、人生はいつでもやり直せるのだという根拠なき自信、誰もがマイノリティなのだという世界認識、そして数々のトラウマと言葉にならない想いをもった一人の若者ができあがります。

100万人それぞれが、まったく違う経験をすることでしょう。彼らが日本に戻ってきたとき、まったく違う経験をしているのに関わらず、実は共通のなにかを経験しているのです。中高生での海外留学経験というのがマイノリティではなく全員が経験すれば、常識というものは180度変わってしまうことでしょう。

日本という国は世界の多様性を包容することのできる国になるでしょう。そこから何が生まれてくるのかを完全に予想することはできません。彼らは日本という国の親善大使であると同時に、留学先の国や文化の親善大使として、日本とその国や文化を一生かけてつなぎ続けるのです。

それだけのことを起こすのに、なんと年間1兆円しかかからないのは驚くべきことです。日本政府の一般会計は1年で110兆円。たった1%の投資で、他の方法では考えられないとてつもないインパクトが起きる。常識というのは書き換え可能なのだと皆が信じることができれば、常識は書き換え可能なのだから。

ここまで書いて思い出した。僕の留学的経験の一歩目は、小学生の頃サッカー部で、大阪のクラブと互いにホームステイしあったことだ。人生で初めてマンションで生活し、ソワソワしながら電車で学校まで行き、見たことないテレビ番組を見て、聞いたことない仕事の話を聞いた。富山の暮らしが当たり前ではないことを実感した。何よりもその数日間が異常にワクワクした記憶がある。

僕が直感的に、日本を変える教育が「留学」だと思ったのはなぜか。それは、今の時代大切なのは、特定の知識や科目ではなく、「異世界を楽しむ力」だと感じているから。海外留学はその分かりやすい一例だ。そんな経験を、一部の人に閉じず、義務教育として全ての10代に機会提供できれば日本は変わるのかもしれない。