【これからリーダーになる人へ】リーダーとプレーヤーの決定的な違いとは。
ふと、リーダーシップについて考える機会があったので、それに対する僕の考えを書いてみる。
前提として、生まれながらにしてリーダーの人などいない。突然会社を起こすことになったり、周りから持ち上げられたり、リーダーになる日は突然やってくる。事細かに準備できるものではないからこそ、大まかにでもプレイヤーとの違いをイメージしておくことが大事だと思う。
何かしら組織のトップに立って率いるリーダーと、自分の役割を全うするプレーヤーはまったくの別物だ。延長線上あるものじゃない。それはマネージャーと現場の差とは比較にならない。究極には経験しないとその感覚は共有できないが(僕ももちろんまだまだ知らない領域ばかりだ)、イメージとして言えば、それは競技が全く異なるということだ。
基本的にプレイヤーのやることは、100mを速く走ることだ。誰かが引いたレーンを、誰かが持っているゴールテープに向かって走る。一位でゴールテープを切ったときの快感は格別だ。みんなが拍手喝采してくれる。ゴールしたらパフォーマンスしてもいいし、倒れ込んでもいい。とにかく速く走れたなら、やり方も振る舞いもあまり問われない。ここでいう速さとは、売り上げであったり、アウトプットの数であったり、時には質の場合もあるが、自分を追い込んで積み重ねていくというシンプルな行為には変わりない。
しかし、組織の先頭に立つリーダーがやることは100m走ではない。どちらかといえば、ジャングルに道を切り拓いていくようなものだ。地図もなく、視界には霧が覆い、いろんな危険が潜んでいる。その先に光があるのかどうかもわからない。それでもリーダーはその道を先頭に立って進まなければならない。
大切なことは、自分1人だけでは遠くに行けないということだ。木を一緒に切り倒してくれる仲間、食べ物を採ってこれる仲間、危険な生物と戦える仲間、コンパスを持つ仲間、誰かが負傷したときにおんぶできる仲間、歌を歌ったりして元気づけられる仲間など、みんなそれぞれの持つ才能を活かすことで、初めて遠くに行ける。途中で出くわした動物や他の集団を仲間にしていくことも重要だ。
しかし、厄介なのはリーダーしか先頭には立てないということ。仲間たちはリーダーを信じるしかない。「本当にこっちの道で合ってるの?」と不安の声が上がることもあれば、頑張って木を切り倒したのに何もなくて絶望することもある。道が2つあるときには仲間割れすることもあるし、時には誰かの休憩のために遠回りして水を汲みにいく必要がある。
後ろの仲間からみれば全然進んでないと言われるとき、リーダーは自分が誰よりも全然進んでないことを自覚している。それでも「大丈夫!進んでるよ」と言い切らなければならないときもあれば、真実を話して「みんなの力をもっと貸してくれ」と弱音を晒すときもある。繰り返しになるがリーダーには地図はなく視界もよく見えてない。それでも堂々としなければならない。
そういう不安の克服こそが、リーダーシップの本質だと思う。どんなに100mが速く走れるかなんてジャングルでは関係ない。誰かに作られたシンプルな競技に帰りたくなるほど、全く別物の複雑を極めた競技だ。だからこそ負荷が大きいが、走り切ったあとには「道」ができている。100mを速く走れた人には記録や表彰がありそれも讃えられるべき立派なものだが、できた道は、その後何十人、何万人、何百万人と多くの人が通ることができる。後からしかやってこないが、その感謝は他では代えられないものだ。
僕が経営しているニューピース社ではカンパニー制を敷き、すべてのチームにビジョンオーナーであることを求めているが、それはこの先誰もがリーダーになっていく可能性があるということだ。その競技は変わる瞬間はいつやってくるか分からない。だから言語化してみたわけだが、その可能性はこれを読んでいる、あなたにも当てはまるはずだ。変わる必要があるなと思ったとき、この話を思い出してほしい。もちろん今のリーダーに対するリスペクトも忘れずに。