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2024年をnoteで振り返る
年末恒例の本企画、今年で早くも4回目となりました。2024年も大変お世話になりました。
今年は僕にとっては激動の、新たな学びの年でした。
あるご縁があって、兵庫県の某所にあるクラウン(道化師)の養成講座に通ったり、実は陰ながらダンス教室にも通い出したり、実際に生徒として学校に通うという得難い経験ができました。
普段は大学の授業や講座などで”教える”立場にいるものとして痛感したのは、”教わる””学ぶ”というのはこんなに楽しいことなのかということ。来年は30代最後の年ですが、学校に通うこと、習うことの快感を改めて知ってしまった一年でした。来年も引き続き、クラウンとダンスは続けたいですが、他にも学びたい…。また別次元の面白展開になると思います。続報をご期待ください。
おっとnoteの振り返りでした。上記のクラウンや学ぶこと自体についても記事を投稿しましたが、本noteでは自分の軸足である臨床心理学、特にフォーカシングについてのトピックを書き続けてきました。
今年投稿したもので、スキ🩷をいただいた記事もフォーカシング関連のものでした。ベスト3をご紹介しつつ、年末のご挨拶に返させていただきます。
第3位 「春」のフェルトセンスと宮沢賢治: 100年後の心象スケッチ
3月の投稿記事。春の風を感じたら妙に”エモい”感じがして、ふと宮沢賢治の『春と修羅』を思い出して調べてみたら書かれてからちょうど100年だったという。
昨年度もゼミを担当していて教え子たちが巣立っていったこともあり、春という季節の独特のうねりのフェルトセンスがある気がするなぁと思ったものでした。
『春と修羅』のなかの呼吸。人類学者のインゴルドは、呼吸というものが外界の大気を身体の中に入れる「風の受肉化」であるだけでなく、世界にとっては「身体の受風化」でもあるという相互影響を説いた。春は特に、世界との関わり合いの変化と同時に、自分の変化を最もビビッドに感じる時期。
今年もまた、春の風の空気をたくさん吸い込みたい。花粉症だけど、まぁそれはそれとして。
第2位 「フェル活」推進運動!〜 フォーカシングを指し示す社会記号を探して〜
個人事業の屋号でもあるfocusing living labo。これは日常生活の中で、フォーカシングを活用するさまざまな実験をしていこうというミッションにして活動をしているわけだが、それを一言でうまく言い表せる言葉はないかと模索する中、とりあえず「フェルトセンスを大事にながら行う活動やその場面」のことを差し当たり「#フェル活」と呼ぼうと思い立ち、本記事を投稿。
未だ定着とは行かないまでも、僕以外にも使っていただける方もいらっしゃったり、というか当人の僕自身があまり活用できていなかったりする文化記号のフェル活、2025年はさらに使っていこうと思います。
「語の意味は語の使用である」とはウィトゲンシュタインだが、皆さんと一緒にどんどんフェル活を推進していく企画を進めてまいります。
特に今水面下で進めているのが、フィールドワーク型自己探求ワーク。すでに大学のゼミなどで色々と実験をしてみたのですが、動物園や植物園、水族館などで、自分がふと気になったもの、こと、場面を写真に撮り、その写真と自分を交差させて自己理解を深める、探求するというもの。フェルトセンスをどのように活用するかは次の紹介の記事でも重要な点でもあって、来年の探求の中心になりそう。
第1位 日本人はフェルトセンスを活かすのが下手?:『フォーカシング』日本語版序文より
思いがけず反響があったのが、先月に投稿したこの記事。『フォーカシング』の邦訳版に寄せられたジェンドリンの序文に書かれていた気になる一文から、日本での”感じ”との付き合い方について触れたものが、今年一番スキ🩷をいただいたnote記事となりました。
多くの人の実感と合っていたジェンドリンの指摘は、まとめると「日本人はフェルトセンスを感じてはいるが、それを活用することは下手」というもの。確かに雰囲気や”言外の意味”を感じ取って振る舞ったりすることは日本的である一方、同調圧力的だったり、空気が場を支配したりすることで状況や関係性が固定化する方向に働いいてしまい、フェルトセンスから何かを始めたり、作り出したり、変えて行ったりすることは不得手であろう。こういう日本社会の負の遺産をジェンドリンは看過していたというのが面白いところ。
そして、ジェンドリンの指摘のように私たちが不得手な「日常生活でのフェルトセンスの活用」をさらに探求し、広く共有していくためにも、#フェル活の発想を生かしてフォーカシングのトピックをますます配信していければと思います。
ちなみに、邦訳『フォーカシング』のオンライン読書会を計画していて、月2回程度でじっくり読んでいくスタイルで実施予定。リアルタイムで実施するものの、登録制にしてアーカイブを登録者に共有することでお時間が合わない方にもオンデマンドで参加していただける仕組みを取るつもりです。年明けあたりには広報できるかと思いますので、関心のある方はこのnoteやX、instagram等をフォローいただけますと助かります。
2025年は、ますますフォーカシングをじっくりと探求する機会を増やしていきたいと思います。
今年も大変お世話になりました。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。