僕たちが「総論」を求める理由: 臨床身体学という"象"を描く
はじめに: 臨床身体学が立ち上がる
2023年10月15日。鎌倉市内某所のとある素敵な場所で、ある集まりが開催された。新たに始まった「臨床身体学ラボ」のオープニングイベントである。
代表は、ボディワーカーの小笠原和葉さん。僕は事務局のフジムラヨシヒロさんとともに、この集まりの構想段階から関わらせてもらってきた。何度かのオンライン対談イベント等を経て、ついにリアルに集ってキックオフしたのだった。
開会した冒頭、和葉さんがサラリと「この度、"臨床身体学"を立ち上げました」と宣言した。学問を立ち上げるとは、本来は大変なことである。でも、僕たちにはこうすることが必要だった。和葉さんはボディワーカーの視点から「身体というキーワードにフラグが立っているたくさんの人たちが、それぞれの場所で、バラバラに身体について語っている。身体をみんなで語り合える、集まれる場所が必要なので、身体に関心のある人の集合場所として、臨床身体学を立ち上げたい」と言ったのだ。
僕は以前、和葉さんに「心理の人が羨ましい、臨床心理学という大きな枠組みがあるから」と言われたことがあった。臨床心理学という旗のもと、とりあえずはそこで語り合える。それに対して、身体を扱う人には、そういう「待ち合わせ場所」のようなものがなくて、それでずっと困っていた、と。臨床"身体"学という言葉を検索したけれど、それはどこにも存在しなかった。だから作らなければならかったのだ。僕自身は、この「臨床身体学」はひとつのメタファーだと思っている。多くの人が乗れる大きな船。暗中を照らすファイアースポット。もちろん学問であれば、方法論が必要だろう。そしてその方法論の模索自体も、メタファーを通じて行われる。
ここでは、僕たちがなぜ臨床身体学という「総論」を求めているのかについて、岡村なりの現時点での考えを、あるメタファー、譬え話を通じてまとめて書いておきたい。そして総論を求めているのは僕たちだけではなく、世のあらゆる分野、領域で、人々は総論を求めているように思えるのだった。
「待ち合わせ場所」としての総論
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