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投扇興の的「蝶」がイチョウの葉の形になった理由

本稿は投扇興の的「蝶」が今のイチョウの葉の形になった理由についての私見(仮説)である。

投扇興は安永年間(10代将軍徳川家治の庇護のもとで田沼意次などが活躍した時代)に文献に登場する。現在行われているスタイルとほぼ変わらないが、的の形はずいぶん変わって、華やかなイチョウ(銀杏)の葉の形の的になっている。その両端に豆鈴がついているものも多い(上の画像には豆鈴はついていない)。

はじめは、硬貨を紙で包んでおひねりみたいに水引きで口を縛って羽根を広げた蝶のような形にしたのを的玉としていた

それが、天保以降に(もう少し早くからかもしれないが)出版された投扇興の銘点表に描かれた蝶は、現在見られるタイプになっている。

筆者はこれが不思議だった。
なぜ蝶は今の形に変わったのだろう? 
今のタイプも羽を広げた蝶の形に似ていなくもないが、それにしてもあの豆鈴は何を表しているのだろう?

筆者の仮説は

芸者(芸妓、舞妓)あるいは若い町娘の上半身を象るようになった

である。
胴体部分は、芸者や若い町娘の着物と頭、銀杏の両脇から垂れる豆鈴は、和装の髪飾りの「鈴つきの『だらり』」を表現しているのではないだろうか。

今でも成人式や七五三などの記念撮影で写真スタジオや着物のレンタルショップなどが貸し出す髪飾りの一つに「だらり」という髪から長く垂らすための飾りがある。その先端には小さな鈴がついていることもあるのである

髪飾りで頭の両側に「だらり」をつけることはあまりないようだが、投扇興の蝶の重心線を中央に保つため(美的観点からも)、左右対称に一つずつ「だらり」を表す豆鈴をつけたものと思われる。
結果として、豆鈴がからむ技(銘)も生まれるようになった。

仮説を裏付けることになりそうな物証の一つとして弘化2年(1845)に刷られた「色刷 紫式部石山篭綴 源氏之五十四帖」がある。
右肩に、蝶に乗った若い女と、扇子に乗った男のイラストが描かれている。

おそらくは、投扇興をラヴ・ゲームに仕立て直したのだろう。
男は女にアタックする。
男だけ倒れて女はびくともしないようでは「手習」と言われても仕方がない。

投扇興に関する記述が見られる初期、投楽散人其扇という粋人が(「散人」と号するくらいだから、実際世事を離れて自由に暮らす閑人だったのかもしれない)、木枕に止まる蝶を目掛けて扇を投げたら入れ替わるように扇が木枕に乗ったという逸話(伝説)は平和で穏やかだが、退屈な気もしないではない。

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【著者プロフィール】
1976年、兵庫県神戸市生まれ。1998年、大阪大学理学部化学科卒業。2008年、兵庫鍼灸専門学校卒業。神戸大学大学院医学研究科修士課程中退。2015年、兵庫県西宮市に「はりねずみのハリー鍼灸院」を開院。鍼灸師、保育士。日本抗加齢医学会指導士。JAPAN MENSA会員/IQ149(WAIS-Ⅲ,45y2m)。

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