見出し画像

投扇興の第一級の研究書(論文)「投扇興の歴史と現状」(高橋浩徳、大阪商業大学アミューズメント産業研究所 Gambling&Gaming 第4号、2002年)を読む

日本における投扇興の研究の第一人者、大阪商業大学アミューズメント産業研究所研究員の高橋浩徳先生の論文

投扇興の歴史と現状
(大阪商業大学アミューズメント産業研究所 Gambling&Gaming 第4号、2002年)

39ページ

についての感想・メモである。

●「6.現在の投扇興」に寄せた筆者の懸念は一読の価値がある。引用する。(66-67ページ)

ーーー
本来遊びである投扇興を伝統芸能と言って家元制度を取り入れたり、段級位を設けたり、自分のところのやり方を本物、というところがあるのは同意できない。そうでなくても作法や礼儀を必要以上に重視しているところが目立つ。

(中略)

おそらく、多くの団体は本当に投扇興の歴史を知らないのであって、意図的に嘘をついているのでは無いと思う。これは投扇興に興味を持ってやってみようという人も同じである。自分のやっていることが江戸時代の町人の遊びで賭博遊びだったと言えば、どちらかと言えば後ろめたい気持ちになるのではないだろうか。逆に王朝の遊びで貴族の遊びで雅な遊びと言うことになれば、周囲に対しても見栄えが良く、また、自分でも伝統文化に触れ、守っているような自己満足を得られて気持ちの良いものである。両者の思惑が一致するところに、今の投扇興の団体の活動の源はあると言ってよいだろう。
ーーー

  ただ、個人的に気になったのは最後の一文である。

ーーー
 個人的には広めたいと思っているが、誤った形で広がるのは望ましくない。(67ページ)
ーーー

 どういう形が正しい、適当な広め方なのか。それは誰が判定するのか。言い換えれば、判定し得るひとにしか普及を主導できないものなのか。
歴史的経緯の理解・認識については文献や事実に基づくべきだが、実際の遊び方、ルール制定(銘点)については、過去の文献を参考にしながらも(参考にしなくても遊べるが)、一定のレンジをとった方が広まりやすいのではないか。
たとえば投席と枕との距離など、扇子4本分であろうと3本分であろうと185センチであろうと構わないのであり、投げ手の年齢や体格体調に合わせて自由に変えてよく、また変えられる方が望ましい。
バーにもショットバーとオーセンティックバーがあるように、作法に厳しいところもあれば緩いところもあるという風にした方が広がり方としては健全だと思う。
所詮、扇子を使ったダーツという「お遊び」であり、レクリエーションの道具なのだ。
堅苦しくある必要は全くない。
ただ、どうしてもそこに「日本の伝統的なお遊び」「日本のお座敷文化の粋」といった知的付加価値を付けたい、そのためなら「ある程度の堅苦しさ」も致し方ないという考えも、それはそれで尊重したい。
いずれにせよ、投扇興の今後の動向に注目したい。

※後記 高橋浩徳先生からメールで(2022/5/25付け)

投扇興が知られるようになったのは昭和30年代からです。花柳界などで和風の遊びを探していて見つけたようで、少しずつ広まっていきました。

ご教示いただきました。ありがとうございます。(2022/5/27)

●「花都」はどこを指すのか

54ページ
55ページ

 花都は京都のことではないかと思う。
江戸は東都であろう。『投扇興図式』の裏に「東都 泉花堂三蝶述」とあるように。
そして大坂は都ではない。

※後記 高橋浩徳先生からメールで(2022/5/25付け)

(今は)「花都が京都であることは判明しています。

ご教示いただきました。ありがとうございます。(2022/5/27)

付言。
そもそも投扇興が京都で生まれたかどうか疑問だとはわたしも感じていた。
今回、「投扇例・全」(文献)から指摘されている高橋先生はやっぱり専門家だと感心した。

江戸にも扇子屋さんはあったし、花都で生まれた「ということにしておく」という、ブランディングみたいなところもあったかもしれない。
たとえば現在、京都の扇子屋さんなどで投扇興体験をやっていたりするが、あれも近世からやっていたのではなく、観光客相手に、昭和か平成あたりに始まったのではないだろうか。

●投扇新興、投扇興譜における、役の表・裏の表記について

50ページ

 わたしは扇子の表側と裏側どちらを上にして投げるかで銘を分けていたのではないかと思う。扇子の裏側を上にするとちょっと投げにくそうなので、ハンデとして高得点にしたのだ。

わたしは

ーーー
「片側で行うとき、もう一方の役が0点」というのはいささか変である。(51ぺージ)
ーーー

とは思わない。
ここぞというときに、一発逆転を狙って「裏」を上にして投げる、そのかわり「表」の役は捨てます、という遊び方だったのではないか。

この方式が廃れた事情として、ハンデの付け方が公平ではないこと(実際に扇子を投げてみたが裏側を上にして投げても結構よく飛ぶ)、酒に酔っているとき扇子の裏表を区別するのは面倒(特に扇面の両方が無地の場合)、審判役も負荷がかかって大変、などが考えられる。
もとがルールなどあってないような、またそれが美点であるような遊びにおいて、煩雑なルールが淘汰されていくのは当然だろう。

【扇子の裏表の見分け方】
https://youtu.be/ySTSdh_h7-w

※1分程度の動画です。


 いずれにしても、筆者の投扇興に対する愛情、研究者としての学問的良心(誠実さ)が伝わってくる素晴らしい論文である。投扇興にご興味のある方に一読をすすめる。現時点では最も詳しい投扇興のガイドだと思う。(入手方法はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?