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能登半島地震災害鍼灸マッサージプロジェクト(災プロ)参加体験談

参加を決めた経緯

学生時代に講演会部部長を務めており、災プロ代表三輪先生を2012年の東洋鍼灸専門学校での講演会をお願いして以来ボランティア鍼灸治療に興味が湧いていた。

初めて現場で活動したは、2015年9月関東・東北豪雨での茨城県常総市の洪水災害での鍼灸ボランティア活動。この時は、茨城県鍼灸師会が主催。私は東京渋谷の鍼灸師ですが、母校の茨城県で開業している後輩に誘われて参加。避難所での鍼灸治療で避難者の方に大変喜ばれたのを今でも記憶に残っている。
当時は私もまだまだ修行中でお金も無かったので、母が一万円をくれて交通費にしてと言われたことを昨日のことのように覚えている。

「私には人を元気にすることはできない。あなたにはそれができる。人のお役に立てて来なさい」

これまで災プロには募金というカタチで関わらせてもらっていた。しかし、今回は、現地での活動と、私個人からの募金と私の主宰する私塾団体からの募金も行った。

募金も日頃来院頂いている患者さんの施術費の一部だ。

参加できたことをこの場を借りて皆様に感謝申し上げます。ありがとうございます。

災害鍼灸マッサージプロジェクトの目的

詳しくは、こちらをご参照下さい。

災害鍼灸マッサージプロジェクトの目的

鍼灸師、あん摩マッサージ師たちが災害発生時にその手で直接人を癒やすための災害鍼灸マッサージプロジェクトだと思う。

災害直後には救急医療、感染症等、外科的対応が必要となるが。1.5ヶ月経過した頃あたりから私たちの鍼灸マッサージが活躍できる。慢性病、自律神経系症状が増えてくる。どちらが良い悪いではなく、両方必要で、手を取り合い被災者の支援することが大切。

災害鍼灸マッサージボランティア活動なの?と聞かれるとそうだとも言えるだろう。
ボランティアという意味は、日本では無償の「奉仕活動」と捉えられがちですが、本来の意味は「自発的な意志による行動」という意味のようだ。さて前置きはこの辺にして現場での活動状況をシェアしたい。

Day1:能登半島石川県七尾市での活動

七尾市周辺
七尾市周辺
七尾市周辺

今回参加した2日間の活動日は、2024年3月4日、5日。月曜、火曜の一泊二日。7名の先生が参加。長野、岡山、大阪、東京。石川県金沢駅周辺のホテルに宿泊して七尾までは全員で車で向かった。後方支援の方がホテルも取ってくれて、自分でしたことは行き帰りのチケットの購入したくらいだ。活動する1週間前にはリーダーがメンバー全員でLINEグループを作ってくれて情報を共有してくれた。

不安なことはほとんどない。心配しないで大丈夫だ。初めて参加しても万全な受け入れ体制になっていた。鍼灸道具は、自分で使いやすい鍼を持参した。鍼捨ては小さなペットボトルを持っていった。施術は、自己完結できるようにというのが基本。あとはすべて現地で揃っている。

七尾市に近づくほどビニールシートが屋根にかけてある家が増えていった。古い家屋は倒壊しているところも見受けられた。斜面が滑っていて土砂が崩れたあともあった。震災を肌で感じて鼓動が高まる。震災の爪痕が残っていた。私に一体なにができるのか。
金沢駅から90分くらいで、七尾市に到着した。
到着後早速2チームに分かれた。
私は加賀屋ホテルで有名な和倉温泉そばの小学校の体育館の避難所へ。

避難所に到着

小学校の体育館にはテントがびっしりとあった。2月に参加した先生が少しテントが減ったと言っていたが、私にはそうは思えなかった。もっとビッチリだったということが想像できない。体育館の真ん中に憩いの場としてストーブを囲うように椅子と映像を投影する大きなスクリーンがあった。

いざブースを設営。

毎回施術ブースを設営できる場所が異なるため臨機応変な対応が必要不可欠となる。今回はスペース的に真ん中に一個置いて、施術ブースにした。2階から見える位置だったので、上に間仕切りをして、見えないように工夫した。

状況は刻々と変化するので、その場での最善を模索し、決断することが大切だ。被災者のために。が一番の判断基準となることをこの頃から感じ始めた。

施術をしたいしたいという想いは私たちの勝手な行動に過ぎない。寄り添うように、優しく、佇み、鍼を持つ。優しく温かなこころと手で眼の前の方に寄り添うことが何よりも大切だということに気付かされた。

初めての設営も経験者のメンバーのお陰で着々と準備が整った。

避難所に設営されたブース
上から見えないように隠す

いざ施術がスタート!!

調整員(受付してくれる)災プロのスタッフさんが血圧、体温計、問診をしてくれて施術者に振ってくれる。一度に複数人来た場合は、臨機応変に手が空いている施術者も受付に入る。連携がとても大切だ。先ほど初めて会った方々と協力しながら活動する。
コミュニケーションを取ることがなによりも必要だと感じた。幸い、コミュニケーションを取りまくっていたので、スムーズな連携が取れた。

いざ施術がスタート。

あん摩マッサージ指圧師歴50年の男性を施術させてもらう。ツボにも詳しく、手がすごくきれいだった。

「手がきれいですね」とお話するとニコッとしながら

「大切にしてきたよ」

でもやっぱり自分じゃ自分の身体はどうようしようもできないからと言って嬉しそうに鍼を受けてくれた。自宅の整理、仏壇、色々なことがあって、昨日は全く寝れなかったらしい。血圧が高かったのはそのせいだと本人は語ってくれた。身体が全身緊張していた。荷物の整理をしていたようで、腰が痛いようだった。受け終わり、ありがとう。助かった。と言っていただいた。

満面の笑みだった。

次は80代の女性首の不調を訴えていた。

「このあたりは長く住んでいるのですか」

と聞くと、

「以前は長野に住んでいてね」

「えっ!!私長野から今朝来たんです」

「どちらですか?」と聞かれたので、

「御代田みよたと答えると、えっ!!私も御代田みよただったのよ。」

二人で「えぇーーー!!嬉しいわー」と言われた。

偶然ってあるんだと思った。長野県は日本でも4番目に大きい県なのに。

大工の旦那さんが建てたキレイなお家の写真を施術後に持ってきて、笑顔で懐かしむようにお話くださった。他愛もない会話かもしれないが、ウキウキしてくれたし、私もウキウキした。

本人も気付かない身体の不調を医療従事者間で共有。みえてきた鍼灸の可能性

避難所で施術した女性は浮腫があったが、体重増加と思っていたらしい。少し押すだけで激痛が走っている。以前からなのよ。と言われたが、すごく気になったので、カルテにも記載し、保健師さん等にもカルテが共有されるとのこと。
私たちは身体を細かく拝見するので、利用者さんの身体の情報、精神状態等把握できる。日頃から鍼灸臨床でやっていることだが、避難所等でこれは本当に有益だと痛感した。未然に防ぐことができる。予防医療が実践できる。
医師や保健師さんにお身体どう?と聞かれても不調が無ければ元気か、不調かと伝えるしか本人にはできないなと感じた。

Day2:市役所での施術スタート

入口の張り紙
可愛い案内板
施術ブース

朝8時に金沢を出発!車内の移動では、それぞれの鍼灸院での出来事のあるある話をみんなに振って大いに車内が盛り上がった。盛り上がりすぎたかもしれない。笑。

さて到着し、設営。2日目は勝手がわかり、落ち着いて活動できた。
10時から受付開始で12時が最終。14時〜15時30分最終。
30分刻みで次々に利用者さんが来られる。鍼灸自体は初めての方がほとんどで、この日も再診がほとんど。初診の方も担当させて頂いた。鍼灸マッサージを楽しみにしてくれている声を多く耳にした。喜ばれているのが声のトーンからひしひしと伝わってくる。嬉しい。鍼灸に興味を持ってくれている方の声が聞こえてきた。

午前中に一瞬、5分〜10分静寂な時間が流れた。なんとも言えない。心地よい時間だ。一生懸命施術する参加同士と利用者の方がまるでひとつになっているかのようなただただ静寂な時間だった。施術者もとても心地よくそれを感じていた。あとで思い出しながら隣で施術していた先生方と共有した。

災害後にはどんな訴えが多いのか。


震災後から睡眠障害、頭痛、首肩こり、痛み、腰痛の症状を多く訴えていた。それらのほとんどは、自律神経の乱れからくるものだと推測される。これこそが、鍼灸治療の真骨頂。利用者の話を聞くたび改善が見受けられる。多くの方が鍼灸治療の効果をお話くださっていた。カルテをみても一目瞭然だ。本当にこのような神経症状に鍼灸治療は大いに活躍できると改めて痛感。肩が挙がらない方もあがるようになり、喜んでくれた。

不眠不休で夜勤等皆さん必死になって業務と向き合っているのだ。身体を触っていると感じる。無意識の緊張。男性の利用者もチラホラ見受けられ、私も初めての方をさせてもらった。鍼は怖い(男性あるあるで男性は鍼が怖いという方が当院でもよく聞く)が、周りが良いよ鍼と言って、首と腰が辛すぎて来たと。施術後には痛みがゼロになり驚きと喜びで顔がほがらかになってありがとうと言われた。

災害時だからこそオールマイティに対応できる臨床力は不可欠かもしれない。日頃臨床している先生方ならなんの問題もないと思う。参加を迷っている皆さんも安心してほしい。当院2年目のスタッフもガンガン施術させて頂いていた。大切なのは協調、交流、連携、臨機応変な対応と行動だ。

災プロを通じて感じたこと

ただただ、被災地の為にと思って参加させて頂いた。現地の空気感も肌で感じた。このようなプロジェクト体制になるまでどれだけの苦労があったのだろうか。トライ&エラーをひたすら繰り返しながら、行政等、信頼されるまでの途方もない努力だったと思う。私はただの一参加者に過ぎない。参加できることが有り難かった。自分でやったらとんでもなく大変だ。いやできない。

実際に被災地に赴き、施術を通じて被災された方々のために災プロ賛同者みんなで協力しながら全力で施術した。プロジェクト最中から施術中、最終日、帰りの道中、鍼に対する想いを振り返るようなその全てが何とも表現できない貴重な時間だった。

「鍼を通じて目の前の方に全力で向き合う」
「少しでもお手伝いできるのであれば全力で取り組む」

鍼灸師という資格は一対一で目の前の人と鍼灸治療を通じて向き合うのだ。

その施術行為は、人間らしく、人間にしかできないことだと再認識した。3000年続いているこの行為の根本は鍼を持つ人の想いだ。

目の前の人のためにはりきゅうを施す。

この仕事は、それ以上でもそれ以下でもない。

「なぜお前は鍼を持つのか」

常に自問自答していたつもりだが、開業して10年様々なことがあり、時に迷い、揺らぐ気持ちもあった。

しかし、今回この活動を通じてその迷いは完全に吹っ切れた。

最後に

災害がいつどこで発生するかは誰にも予測がつかない。自身が被災者になることがあるかもしれない。だからこそこの経験はきっと役に立つだろう。災害は発生しないに越したことはないが、このような活動の場が一鍼灸師としては大変嬉しいし、有り難い。

活動を通じて、鍼灸師たちが一つになる雰囲気がとても幸せな時間だった。志を一つに臨機応変に一丸となって取り組むことができた。参加された先生方との出会いは大変貴重だ。出会いは、一期一会だ。鍼灸師の日常は鍼灸院に籠もり鍼灸臨床に没頭しているので、なかなか出会うことがない。

参加者の先生方と隣同士で施術していて、参加した先生方も同じように日々患者さんと向き合って鍼灸治療しているのだ。カルテを振り返ることで災プロ参加者がやってきた内容が記載され、カルテを通じて大切なバトンを繋いでいる感覚になった。ただただ有り難かった。当院患者さんの想いも鍼に込めて施術させて頂き、被災者の方にも施術をすることができた。

鍼灸師としてこのプロジェクトにできたこと、すべての方に感謝申し上げます。

ありがとうございます。

参加しようか迷っている方は、ぜひ参加してみて下さい。

「ただ被災地のために」

最初に掲載した一番上の集合写真のハンドサインは災プロのS!!発案したらみんながやってくれて盛り上がった。

初日解散したと思ったら再集合して仲良く締めラーメン♪手前が筆者で隣が髙田リーダー
メンバーの雰囲気が伝わる一枚。良縁にも感謝

これを読んで応援したいと思った方は下記まで!

資金的に応援をして徳を積みたい方はこちら。

災害鍼灸マッサージプロジェクトに募金する方法

鍼灸、あん摩マッサージ指圧師として参加したい方は

災害鍼灸マッサージプロジェクトに参加する方法

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