福本晋平@ふくもと治療院

東京都渋谷駅近くの渋谷鍼灸整体ふくもと治療院院長。 ふくもと東洋療法研究会を立ち上げ、鍼灸整体の指導もしている。 noteでは自身の想いを発信していきたい。

福本晋平@ふくもと治療院

東京都渋谷駅近くの渋谷鍼灸整体ふくもと治療院院長。 ふくもと東洋療法研究会を立ち上げ、鍼灸整体の指導もしている。 noteでは自身の想いを発信していきたい。

最近の記事

  • 固定された記事

知らなきゃ損!鍼灸師人生を左右する真実。日本一臨床数の弟子の極意を30分で解説!成功してる4人の鍼灸師の共通点とは?(鍼灸師のキャリア)

鍼灸師のキャリアについて一緒に考えていきたいと思います。このような話を学生時代に耳にすることがなかったために執筆しました。私一人では説得力に欠けるので、鍼灸業界で活躍している3人の先生にも取材しました。 実際に母校でもある東洋鍼灸専門学校で90分間話した鍼灸師のキャリアについての講義では、アンケート結果が90%以上が満足でした。 鍼灸業界の裏話やレジェンドたちも出てきます。 既に今これを読んでくれている方はきっと現状を打破したい、鍼灸界で活躍したいと本気で考えている方だ

¥1,980
    • 【韓医学研修】韓国最高峰の慶煕大学韓医学病院で新たな1ページがここに始まる

      はじめに:韓国研修に行く理由とは?なぜ韓国にいくのか? 「圧倒的なスケールを感じて欲しい」 息を吸うように伝統医学がすぐそばにある。 韓国は韓医学としてはりきゅう推拿が全て保険適応となっている。 韓国伝統医学である韓医学は、6年生の韓医学部で学び韓医師となる。この大学病院は圧倒的な規模で鍼灸臨床、教育、研究が行われている。 ソウル市内の大学病院で患者を中心に東西医学両方が存在し、治療しているのが、この慶煕大学韓医学センター。 ちなみに歴代大統領の韓医師も慶煕大学教

      • 能登半島地震災害鍼灸マッサージプロジェクト(災プロ)参加体験談

        参加を決めた経緯学生時代に講演会部部長を務めており、災プロ代表三輪先生を2012年の東洋鍼灸専門学校での講演会をお願いして以来ボランティア鍼灸治療に興味が湧いていた。 初めて現場で活動したは、2015年9月関東・東北豪雨での茨城県常総市の洪水災害での鍼灸ボランティア活動。この時は、茨城県鍼灸師会が主催。私は東京渋谷の鍼灸師ですが、母校の茨城県で開業している後輩に誘われて参加。避難所での鍼灸治療で避難者の方に大変喜ばれたのを今でも記憶に残っている。 当時は私もまだまだ修行中で

        • 渋谷で開業する現役鍼灸師が警鐘!鍼灸学生向け。鍼灸師はやめとけ?私塾開設して半年間経過したリアル

          私塾開設の目的鍼灸セミナーとオンライン動画セミナーの乱立 私塾開設の目的は、優秀な鍼灸師の育成だ。 その名は「ふくもと東洋療法研究会」 FUKUMOTO Oriental Therapy Community 2010年の鍼灸学校入学から数えると今年で14年目を迎える。 鍼灸業界、師匠方をみてきて、どうやったら優秀な鍼灸師が育つのかをずっと考えてきた。 一流の先生は一体どのように育っていくのか。ずっとずっと思考してきた。「答えはあるようでない」「一人一人が唯一無二の存在」

        • 固定された記事

        知らなきゃ損!鍼灸師人生を左右する真実。日本一臨床数の弟子の極意を30分で解説!成功してる4人の鍼灸師の共通点とは?(鍼灸師のキャリア)

        ¥1,980

          不妊鍼灸治療に取り組みだしたきっかけとは?

          親友の奥様のご懐妊高校時代の親友が二人目不妊(5年間)で悩んでおり、奥様が来院され、施術を通して半年でご懐妊された。当時を振り返り親友は、 正直俺は理系で東洋医学とか全く信じていなかったけど、晋平が開業したし、応援の意味も込めて行ってきたら?と伝えていたんだよね。 そんな彼は母校の同級生にまずは困ったら晋平のところに行けと言ってくれているようです。その影響からか、実は、多くの高校の友人たちの妊娠のお手伝いさせて頂いています。 さらにはその後すぐに7年間不妊治療に取り組み

          不妊鍼灸治療に取り組みだしたきっかけとは?

          私の原点。余命宣告を受けた母とその家族。在宅で母を看取った話。

          今回のnoteは、2017年に母を乳がんで亡くし、最期3ヶ月間自宅で看取ったときの話です。タイトルの写真は亡くなる三年前の母です。私は母の病気を治したい、元気で生きてほしい一心で在学中から鍼灸治療伝統医学を学び実践し続けてきました。母も所沢から渋谷まで月に数回通っていました。死後から4年経過し、ようやく母の死と向き合えるようになり今回執筆することにしました。親孝行は親が生きているうちにしかできません。このnoteがいつか誰かのお役に立てれば幸いです。 母50歳のときに乳がん

          私の原点。余命宣告を受けた母とその家族。在宅で母を看取った話。