【鹿児島旅③】知覧特攻平和会館〜親子の絆と次の世代への想い〜
こんにちは♪
今回は、この翌日に訪れた「知覧特攻平和記念会館」で感じた親子や兄弟の絆や私が感じた特攻隊員の次の世代への想いについて書いていこうと思います
はじめに「知覧平和会館」とは、第二次世界大戦末期に、神風特攻隊が最期に飛び立った知覧飛行場の跡地に建てられた記念館です。特攻で亡くなられた方の顔写真や遺書、身につけていた物などが展示されています。(ホームページはこちら)
この展示物から感じたことはたくさんありますが、特に自分の言葉で残しておきたいと思ったことを、3つ書いていこうと思います。
①”母親との絆”は普遍である
展示を見ていると私と下の名前が同じ特攻隊員の方がいらっしゃいました。「これは運命かもしれない」と、注目して、家族宛ての手紙を読んでみると、
このような内容が書いてあり、
「忘れられない母さんの姿、自分にもあるな・・」
「自分も母さんに対して、嬉しかったけどそっけない態度とったことあるよな・・」
と自分の母親との思い出に重ねて、胸がいっぱいになりました。
国の運命を背負って闘った“私と同じ名前の彼”にも、自分と同じような母親との思い出があることを知り、
母親との絆は、時代や置かれた状況に関わらず普遍的な物であると強く認識しました。そして、自分の母親を大事にしようと思いました。
②「親孝行ができない」という後悔
私がこの平和会館を訪れるにあたって、漠然とこんな問いを持っていました。
自分で考えようとしましたが、今の平和な日本ではあり得ない状況すぎて答えは出しきれませんでした。
このぼんやりとしたモヤモヤを晴らすため、展示してある手紙や遺書を、できるだけ細かく読んでいきました。すると、多くの方が両親への感謝に加えて『親孝行ができないことが後悔です』と残していることに気づきました。
あぁ、この問の答えは「親孝行がしたい」だったんだな。
そう理解した時に、自分の内側から湧き上がるような感覚で「絶対に自分も親孝行しよう!」と強く誓いました。
そして、同時に「将来の自分の子供も立派に育てよう」と思いました。
この想いが強烈だったので、自分のvision(ありたい姿、なりたい理想像)を『良い息子であり、良い父になる』と設定して、実現できるように日々精進していこうと決めました。
③「迷惑をかけてはいけませんよ」の意味
ここでは、前項で感覚的に湧き上がった
「親孝行への想いをちゃんと言葉で説明できないか?」
「子育てへの想いが湧き上がってきたのは、なぜなのか?」
という2つの問いに対する自分なりの回答を書いていこうと思います。
特攻隊員が残した年長の家族へのメッセージと年少の家族へのメッセージを対比的に捉えることで、彼らが死を目前に控えた時の感情を説明できるなどはないかと考えました。
前項でお伝えしたように、特攻隊員の年長の家族(主に親)に対してのメッセージは大きく分けると以下の通りでした。
お世話になったことへの感謝
親孝行が出来ないことへの後悔
一方で、遺書や手紙の中には、特攻隊員の年少の家族(自分の幼い子供や年下の兄弟)に対するメッセージもあり、そこではこんなことが書かれていました。
子供へ 『他の父親を羨んではいけませんよ』
弟や妹へ『お母さんに迷惑をかけてはいけませんよ』
一言でまとめると
自立を促す激励
この両者を見比べて、私は特攻隊員はこのようなことを考えていたのではないかなと推測しました。
また、「我が子を立派に育てたい」と直感的に思ったことについては、親孝行が「子→親」に恩を施す行為であるのに対して、子育てが「親→子」へ恩を施す行為であり、”恩を施す”という意味では両者も同じだということを頭で理解していなくても、感覚的に理解していたからだと思います。
この推測があっているかは確認しようがありませんし、この考えも賢い人から見たら「デタラメだ」と言われるかもしれませんが、私は彼らのメッセージをこのように受け止めて「自分自身が自立し、親孝行をし、我が子を立派に育てたい」と思いました。
まとめ
今回は、今後の人生において大事にしたい感情を言葉にしました。親子の絆や次の世代への想いなど、直感的に心で感じた事を言葉にする事でより深く落とし込めたんじゃないかなと思います。
明日は、鹿児島旅行編ラストの「ホテル」について書こうとおもいます!
読んでいただきありがとうございました!
ちなみに、前回は佐多岬を訪れ、地球の大きさを肌で感じ自由に自分の進みたい方向へ生きていきたいと思った出来事について書きました。
こちらも読んでいただけるとありがたいです😊