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「なんとなく」を言葉にすることで得られるもの

先日取材を受けた。
「継続」について記事にしていただけるらしく、その取材だった。

いろいろと聞かれて、2時間近くよくしゃべった。
先週に引き続き、最近は、ほんとによくしゃべっている。

質問されると、すぐ答えられる。
不思議なものだなと思う。
「どうして何でも習慣にするんですか?」そんなこと数年前に聞かれても「なんでなんですかね?」で終わっていたと思う。
そういう質問にもすらすら答える。そんな自分に驚く。

できるのは単純にそのことについてふだんから考えているからだ。
「考えている」というか「書いている」。
書くことによって、「何となく」を「可視化」することをずっと続けている。
そのことで少しずつクリアになってきているんだと思う。

毎朝、考える時間を作っている。
正確に言うと「書く」時間だ。
去年、本を書こうと決めたときから、ずっと継続している習慣だ。
本を書き終わっても、毎朝「書く」習慣を続けている。
「書く」ことによって「考える」。
「考えている」ことを「書き出す」ことで可視化していく。
「考えている」ことを「文字にして見る」を毎朝の習慣にしている。

「何となく」を「可視化」していく。
そのことでたくさんの気づきがある。
無意識が形になっていく。

例えば、仕事の進め方。
自分なりにやり方を考え工夫している。それを日常的にやっている。
デザインをはじめるときに、デザインをいきなり考えるのではなく、「四角を作る」「タイトルをコピペする」「ただ並べる」など作業を重ねていく。
そんなことをしていた。
なぜ、そんなことをしているのか。これを言葉にする。
楽に仕事を始めるため、仕事のハードルをあげないように、小さな作業からはじめていく、その方が楽に向き合えるし、成果も上がる。
こういう当たり前のことが言葉にすることでクリアになる。
言葉にして「可視化」できるようにすることで、「何のために」「何をしているのか」が具体的になる。
それを文章としてさらに書き上げていく、言葉を重ねて見出しなどを考える中で、例えば「発想より先に作業」というフレーズが浮かび上がる。
キャッチフレーズ化することで抽象度が上がる。
つまり汎用性が高くなる。
デザインだけでなく、他のことにも応用できる自分の指針のようなものになっていく。

アイデアが浮かばずに、「うう…」ってなっときに、「発想より先に作業だ!」って、アイデアを考えるより、何か細かな作業をしようという頭に切り替えられる。自分のやり方にアクセスしやすくなっている。

やっていることは、今っぽく言えば、「何となく」を書き出して「具体化」し、文章にしていくことで「抽象化」していくってことだ。
そのことで「何となく」は、「明確な意志」になる。

これが「言語化」して可視化することの効果なんだろうなと思う。
自分がやっている仕事のやり方や習慣についても、かなりいろいろなことを細かく言葉にして「可視化」させたことで、仕事自体がかなりやすやすくなってきている実感がある。
「このために」「この行動がある」という理由づけがしっかり体系化されるようになってきた。
「なぜメールは即返信するのか」「なぜたくさんデザイン案を作るのか」とか、「なぜスマホゲームをするのか」というようなことでも、自分なりのルールを可視化することでしっかりそこに意味が生まれる。
なにかに「メールは早く返さない方がいい」とか「1案だけで勝負する」と書いてあってもそれに振り回されることはなくなる。「スマホゲームはやらない方がいい」と言われても、「いや、そこにちゃんと意味があるから!」という自分の基盤が築かれる。

導き出せる言葉なんて、そんなにたいそうなものじゃなくて、当たり前すぎてばかみたいなことばかりだったりもするんだけど、それでいいというか、それがいいと思っている。何も横文字のたいそうな言葉にすることはない。自分のためにやっているんだから、自分でわかるようにしたほうがいい。どんなにつたなくても「当たり前」をわざわざ言葉にしておくことにはきちんと意味がある。
「なんとなく」を言葉にすることで、築かれていくのは「自分」だ。
そうやって自分だけのオリジナルな生き方を作っていく。

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写真展のお知らせを軽く書いて終わろうと思ったけどこれ録ってるうちに書くテーマが変わってしまった「続いているラジオです」

写真展のDMができたので貼っておきます
8月16日(金)〜31日(土)まで新宿ゴールデン街こどじです!

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