何でもない日常を楽しむための習慣
どんなことにも興味を持つ好奇心が大事みたいなことはよく言われるけど、同じくらい大事だなと思ってるのが、つまらないことや無駄なことを楽しむ心なんじゃないかなと思う。
つまんないなーとか、その時間無駄かもなーとか、そういうことを楽しむ力みたいなことかな。
意外にわたしは、それが得意なんじゃないかと最近気がついた。
先日、人間ドックに行ってきた。
年一の恒例行事。
これがけっこう面倒くさい。その上、時間もかかる。
朝9時には行って、夕方近く、15時半くらいまで拘束される。
ほぼまる一日だ。1日つぶれる。
正直、時間の無駄…というか、そんなにヒマじゃねー!
と思いたくなるんだけど…
意外にそう思ってない。
むしろこの時間を有意義に楽しんでいたりする。
意外にいいもんなんですよね。
この時間が。
検査には相当時間がかかる。
待ち時間もけっこう長い。
でも、これがいい。
スマホとかの持ち込みもできないので、5、6時間は完全にデジタルデットクスができる。
本も持ち込めないので、見るものが何もない。
音楽もラジオも聴けない。
前は待つ席に雑誌が置いてあったんだけど、コロナ以降、それもなくなって、完全に何もない状態。
ここまで強制的に何もできない時間というのもそうはない。
いや、これが実にいい。
静かな「無」の時間がたくさんある。
たぶん意識的に作ろうと思っても作れない時間だ。
どうせならこの時間を有効活用しようと思う。
せっかくなので頭を完全に空っぽにする。
仕事のこととか、悩み事とか、原稿のこととか、そういうことも何も考えない。
本当に空っぽにする。
「いま、ここ」にだけ集中するってやつ。
そうやって待ってると、その空っぽの時間がとてもいいものに変わる。
そう思うと何も持ち込めないでひたすら待たされる状態が意外に楽しみになる。
もう一ついいのは前日の夜食べてから検査が終わるまで何も食べられないこと。
水以外は全部NG。つまり自然にデトックスができる。
ふだんから朝ご飯は昼に食べるので慣れているのあるけど、それよりもっと長くファスティングが自然にできる。
つまり、頭も胃の中も空っぽにできるのだ。
この人間ドックという1日を通して。
人間ドックの日は、年一の瞑想の日。
そんな考え方をしてるので、意外に長い待ち時間が気にならない。
むしろ楽しみに変わる。
時間を無駄にしてると思うのは簡単だけど、考え方ひとつでこんなことだってふつうに楽しめる。
他にも目的地に早く着いてしまったり、待ち合わせの相手が遅れていたり、乗ろうとしてた電車が行ってしまったり、スケジュールミスで、ぽっかり空いてしまった待ち時間。
こういう待ち時間もすごくラッキーと思う。
例えば30分あったら、往復で1kmくらいの距離を散策できる。
いつもカメラを持って歩いているので撮影の時間にできる。
ふだんなら歩かないところを歩いてみたり、何か面白い風景がないかなと探し始める。
駅のホームから出れないときでも、駅の中をくまなく歩くと意外に何か発見があったりする。
ぽっかり空いた待ち時間は神様からの贈り物のような時間だと思ってる。
待ち合わせの相手が遅れるのは、意外にボーナスタイムだ。
だいたいわたしがやってることなんて、大体が全部こんなものだ。
何でもないことをやって楽しんでいる。
毎日食べてる納豆の記録だって、これとまったく同じ。
どうでもいいことを楽しくするための装置のようなものだと思ってる。
記録を取り始めたことでいつも食べたことのない納豆を探すようになった。
何かの用事でふだん行かないところへ出かけると、まずはスーパーに行って納豆を探す。
意外に場所が変わると1つくらい変わった納豆が置いてあったりするのだ。
人間ドックを受けた日に病院の近くのスーパーで見つけたのはこんな納豆。
もう何百種類の納豆に出会ったかわからない。
別にその道を究めようとしているわけでない。
そのことで何かすごいことが起きるかも?なんて期待もしてない。
ただ納豆を楽しんでいる。
最近は「立食いそば」を楽しむという新しい趣味も始まった。
仕事の打ち合わせなどでひとりで出かけたときに、立食いそば屋を探して、食べに行くだけなんだけど、どこにでもありそうな何か特定の探すものを決めておくと、どこかへ行くのが楽しみになる。
どうってことないことでも、楽しもうと思えば何でも楽しめる。
そういう「楽しみ」を日常に「習慣」と仕込んでいく。
これが「習慣家」ってものなのかなと。
仕事にしたって、どうしたら楽しくできるかはいつも考えている。
だから大したことは何もしてないけど、毎日がけっこう楽しいんですよね、ほんとに。
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今回はちょっと違うことを話している
続いているラジオです
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