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「ひらめき」は降ってくるものではなく、掘り起こすもの

「ひらめきの神様なんてどこにもいない」

先週読んでた本にこんなような一文が書いてあった。

突然ひらめきの神様が降ってくるようなことはない。

そう思う。

デザインについてよく聞かれること。
「どうやってひらめくんですか?」

「いや、ひらめいたことないんですよね」
たいていこう答える。

ひらめきがまったくないわけではない。

「ひらめき」はたぶんある。
けど「ひらめいた」が先にあるわけではなくて、泥臭くひたすた吐き出し続けるうちに「ひらめき」に近いものを無理矢理たぐり寄せている気がする。
天から降ってくるように「よし!ひらめいた」みたいな暴れはっちゃく(年代!)的なひらめきはほとんどない。
「ひらめき」は待っていても降ってこない。

「ひらめき」は降ってくるものではなく、掘り起こすもの。
そういうものだと思ってる。

ひらめきを掘り起こすためにやっていることは、本当に泥臭い。
ひたすら手を動かすことだ。

打ち合わせではとにかく情報をたくさん入れる。
デザインに必要な情報を入れる。
どんな本なのか、どこを目立たせたいのか、ビジュアルを入れたいか、文字だけの方がいいか、誰に売りたいのか、難しく見せたいのか、簡単に見せたいのか、本屋のどこに置きたいのか、色のイメージはあるか、あとはほんとに漠然とした何でもないような情報をただ入れるだけにしている。
とにかく入れられるだけ入れる。
そこではデザインのイメージはあまり考えない。
とにかく何も出さない。入れるだけの状態にする。

入れた情報を一晩寝かせる。
翌朝、一度形にする。
ここで一気に前日入れた情報をまずは一回吐き出してみる。
まずは文字を置くだけおいてみる。本当に置くだけ。
ただ置くだけと思っても、何らかのデザインが始まる。
横に置くのか、縦に置くのか、どこで区切るのか、大きさはどうするのか、並べていくうちに自動的に考えはじめる。
とにかく一回完成させる。
手を動かして、手を動かしながら考える。
打ち合わせの内容は一晩寝かせて覚えている範囲のことを思い出して、その空気をまとわせていく。
とにかく一度手を動かしながら、一回、出し尽くせるまで出し尽くす。

一度作り上げたら一回寝かせる。
数日か寝かしてから作ったものを見る。
すると自分の作ったものが新鮮に見える。
全然ダメだと思うときと、いいじゃんって思うときとある。
どっちにしろ手を入れる。
まずは小さな所に手を入れていく。
小さく直していく、小さく手を動かす。
するといつのまにかここを変えたい、あそこを変えてみようってアイデアが生まれてくる。
手を動かすことで、思考がドライブする。
そうやってまたその日に出し尽くせるところまで出し尽くす。
そしてまた少しだけ寝かせる。
これを締め切りギリギリまで繰り返す。

少しずつやり方を変えながら、いまはこの方法に落ち着いた。

やっていることは、本当に泥臭くて単純。
ただひたすら手を動かしている。
そして時間を空けて寝かす時間を大事にしている。

この2つがとても大事だ。
ひたすら手を動かす時間と、そこから離れる時間。
この繰り返しがうまくいくと「ひらめき」の発見につながる気がしている。

デザインの仕事だけじゃなくて、文章を書くこともこれと全く同じだった。
とにかくまずは不完全でも最後まで書き上げる。
そして一晩寝かす。
翌日またそれを書き直していく。

やっぱり手を動かしながら考えて一度時間を空けている。

待っていても「ひらめき」は降ってこない。
ひたすら手を動かした先にある。
全力で泥まみれになりながらそれを掘り起こしている。
ひらめきは自分の底に眠っている。
だからこそ知識や大量のインプットが必要になる。
そういうことなんだと思う。

さて、今日も手を動かそう。



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