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失敗を書き換えるための習慣
失敗なんかしたくないですよ!
でも失敗しちゃう!
先週も盛大やらかした!!
札幌の本屋に自著のすごい展開を見に神奈川から駆けつけたら…
その日に片づけられてたという衝撃。
飛行機代…
宿泊費…
そのためだけに行った北海道だったので、
もう失意のどん底というか、完全にやる気を失った。
何やってるんだろう…
あとで考えたら事前に書店に確認するとか、
出版社にひとこと言ってから行くとか、
やりようはあったはずで…
そしたら1日くらい展開を延長してたかもしれない。
(店長さんもそう言ってた)
でも、そのときは自分へのサプライズというか、
自分へのご褒美のつもりで、
いきなり行くってことに意味があったんだけど…
結局、残念な結果になる。
ただ、最近、やたらとそういことが多い気がしていて
「またか…」って感じだった。
一生懸命やったんだけど、残念な結果に終わる。
へこむよね…。
ふつうにへこむ。
でも、そんな残念なことこそ、実は最大の「ネタ」だったりもする。
帰りの飛行機の中でnoteの下書きをしながら思った。
残念な結果でよかったのかもな…って。
結果が残念だったからこそ、できることがある。
残念な結果をどう書くか、それを試行錯誤してるうちに、少しずつ楽しくなってきた。
「がっかり」を「面白い」に変えるために工夫を凝らす。
残念な結果は残念のままだけど、楽しく書こうとすることで、残念だった週末の記憶は書き換えられていった。
残念だった週末は、頭の中で「楽しかったこと」に変わっていた。
そんなわけで書いたのが先週のnote。
過去は書きかえられる。
残念だったこと、失敗したことは、コンテンツにしてしまうことだ。
ネタにしてしまえば、ただの面白かったことになる。
noteを書く習慣があってよかったなと思う。
たぶん、書く習慣がなければ、ただがっかりして帰ってきて終わってた。
いや、正直、強制的に書くという習慣がなかったら、やる気も起きないし、たぶんそのままにしてた気がする。
数年前なら確実にそうだったと思う。
強制的に書く習慣を持っていたことで、無理矢理にでも吐き出すことができたんだろうなと思う。
こいうときにほんとに習慣に救われてるなと思う。
正直、毎週noteを書くのはどんなに慣れてきたとは言え、面倒だなと思うこともあるし、毎日書いているブログも正直時間がかかりすぎて大変だったりもしている。けど、ときどきその強制力にこうやって救われることがあるな。
めちゃくちゃコスパは悪い気はするけどね…。
同じようなことを話してる続いてるラジオです。