【映画感想】チネチッタで会いましょう

「チネチッタで会いましょう」雑誌などで前もってイタリア共産党など、政治的な話があるらしいことは、うっすらと分かっていた。
しかし、映画館ではウッディ・アレンのような監督が主演の、『ほのぼのいい話風』のウェルメイドコメディー、みたいな予告をやっていた。
こういう『予告詐欺』はよくあることだと思うけど、どういったものがあるのかは忘れてしまった。
映画の一般レビューの点数はなかなか低め。やっぱり、レビュアーが予告に騙され、実際はちょっとめんどくさそうな映画だったのが、裏目に出た可能性は高い。
(実際にそう言うコメントはいくつかあった)
だが、予告で想像される『いい話風』のコメディーを期待していたとしたら、どういった話なら納得できたのか。
爺さんと可愛い孫子交流とか、親子愛といったものなのか。
中々、世の中にはそんなわかりやすい話を語る、映画も少ない気がする…。
自分と違う国の映画なら、その土地その土地の問題があり、それが描かれていることは多いだろうし、違うことを理解することこそが、他国の映画を見る醍醐味のような気もするのだけど。
レビューには「理解できない」という意見もあって、知識がいるのか、自分もわかるのか、映画を見るにあたって不安な面もあった。
ナンニ・モレッティの映画はいくつかは見ている。
自分自身が主演で、半自伝的映画を多く撮っていることは知っていた。
「チネチッタ…」はソ連によるハンガリー侵攻を舞台にした映画を撮る映画監督の話。
そこに映画監督と妻との破局が重ねられていると考えれば、特に難しいことはなくは思える。
公式サイトにはナンニ・モレッティによるステートメントの一文が乗せられていて、映画の概要は大まかに説明されている。(こんな文章をいちいち書く必要なかったね!)
演技の演出で女優と監督は何度もぶつかるが、監督は政治映画を作っているつもりで、でも本当はこの映画が恋愛映画であることに気が付かなかったらしい。それは映画を見る方も気が付かなかった。
監督の映画における暴力描写についての考えは、ただゴア描写をすれば面白い映画になる、みたいな単純な考え方は嫌いなので、わからなくはない。
でも、地獄の黙示録のような、本当に暴力的な戦争映画は肯定しているようで、監督の考え、この映画でそれが語られる意味はわからなかった。
時代の変化についていけず、昔の映画などのことに執着している人物、というと昔の白人中心の文化が良かったと思っている、レイシストっぽい人物になってしまう危険性も孕むが、一応、アレサ・フランクリンの名前を出して歌ったりして回避している。
(この映画はイタリア映画だが、最近のアメリカ映画でのブラックミュージックの使い方は、みんな安易に同じような使い方をするせいか、搾取っぽく感じるからか、何か嫌な気がしてきてしまうことが多い)
会話の中での「森のクマが逃げてどうの」(そんな話じゃなかったかもしれないけど)もよくわからなかった。嫌な匂わせにも思えるので(例えば移民の話とか)こういう会話は本当にやめてほしいものだ。
イタリア共産党は日本の共産党と変わらないような印象だった。(流石にソ連、ロシアのやっているとこと酷すぎるので、それと切り離されて理想を追い求めているような所)
ソ連のハンガリー侵攻は、ロシアのウクライナとの戦争にも重ねられているのだろう。
最後にイタリア共産党はソ連と切り離され、とりあえず大円団を迎える。
とりあえず、映画は理解した気にはなったが、なんだか分からないといったら、なんだか分からないかもしれない。
























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