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結ばれそうで結ばれない…大学生の淡い遠回りな恋はいかに…


1.大画面で推しを眺めるシアワセ


みなさんこんにちは!!

白鷗大学 下村健一ゼミナールです○


情報リテラシーを扱うゼミナールなのに

題名どした (^_^)/~


この件につきましては

イントロではなく本題と直結しているので

記事を最後まで読んでいただくと

分かると思います○


突然ですが 白鴎大学でも

コロナウィルスワクチン接種が始まり

多くの学生が「人を守るため

自分を守るため」に接種を積極的

行っています

(イテッ)

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下村健一先生も第1回目の接種

行ったため 7月21日のゼミナールは念のため

教室にいるゼミ生 と下村先生の自宅を繋ぎ

リモート対応で授業を行いました!


先生の接種実況ツイートは、

こちらから大連投〜!!
https://twitter.com/ken1shimomura/status/1416572514340249602


…で、ですね!

教室に設置されている大画面のテレビを

パソコンに繋いで先生とリモートを行ったのですが


下村先生大画面映しだされて!!

かわいいぃィィィィって

ノンちゃんとミヤビが発狂していました

(生粋の下村推し)

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さて本題ですヨ


2.白鷗大学の始まった跡地が誰も分からない??!【2】


100年以上前に誕生した

学校法人白鷗大学」の

跡地発見までの私達の学び

感動のストーリーを綴っていくこのコーナー


前回のあらすじは

コチラを御覧ください!


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「学校法人白鷗大学」の始まり

足利裁縫女学校」の跡地は

巴町”内にあったということ

大正5年から大正15年の“10年間”に

学校が存在していたということは

学校記録の書籍にて把握しており


先生へ「足利へ行ってきます!」という

報告をするより先に

足が足利へ出向いていた両毛班


大学の図書館での下調べにて

足利裁縫女学校の設立にあたって

善徳寺」と関わりがあることが

わかっていたので


住職へお話を伺うことに○

アポイントも取らなかった私達に

親切に対応してくださり

初めて足利の方の優しさに触れました


ですが残念ながら

情報は得られず


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足利の取材の後はゼミナールの授業が

あったため セブンイレブンで

おやつを買って 学校へ帰りました


調査を続ける両毛班は

足利市立図書館のホームページの書籍検索にて

足利の歴史が著された書籍を探していると

足利の「古地図」があるのでは?と

思いついたのです!


もしかしたら学校の名前が記載されているかも!

ということで 

足利市立図書館へ問い合わせ!


図書館:「…探してみないとなんとも…」


両毛班の心の声:「いやぁ、

図書館なら流石にあるでしょ!

意外とすぐ見つかりそう!」


両毛班:「では 探していただいても…」


図書館:「そのような資料は別館に保存されておりますが

今は閉館中です。開館予定もありません…


と…そうですか…仕方ないですね…

簡単に諦めるのではなく!!


両毛班:「閉館中で難しいのは重々承知ですが

一度だけでも資料を見せていただくことは

できないでしょうか(電話越しの土下座)」


図書館:「では 一度上のものに相談して

後日ご連絡いたしますね」


両毛班:「ありがとうございます!!!」


次の日


図書館:「古地図はこちらでお探ししたのですが

あいにく見つかりませんでした…」


両毛班:「お忙しい中 探してくださり

ありがとうございました」


図書館:「我々も古地図は欲しいくらいで…

また何かあれば連絡くださいね」


ー終話ー


足利市立図書館のみなさんも

一生懸命対応してくださいました

本当にありがとうございます


悲しみもつかの間

次なる行動移さなければなりません!!

(この調査の山はエベレスト級だよ)


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その後も何度も足利へ足を運び

足利市役所広報課資料室

足利裁縫女学校が設立される前から

存在していた 織姫神社

お話を伺ったり


栃木県立図書館調査相談課

古地図の確認を依頼するも

全く手がかりすらない状態…

すると栃木県立図書館の方が


(栃)図書館:「国立国会図書館に

問い合わせてみると良いかもしれませんよ!」

助言をくださったのです!!!


(まったく頭になかった…感謝)

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早速 国立国会図書館へ電話を!!!!!

そして調査の依頼をして

後日メールにて 答えに繋がりそうな書籍の

デジタルコンテンツが送られてきました!


足利裁縫女学校巴町内存在していた

大正7年に作成された

足利の地図が載る書籍を入手

そこに「足利裁縫女学校」の記載は



無かった



思わせぶりに舞い上がって

これはイケる!と思っても

なかなか振り向いてくれない…


足利裁縫女学校



失恋のような感傷に浸っている間に

刻一刻と新聞記事の作成期限が迫ります


手がかりがない…

だったら…


私たち、一体どこで誕生したの?

と 読者のかたへ向け 情報提供

願おう!!!


読者の方はお金を支払ってくださって

新聞を楽しまれているので

跡地はここでしたよ!と結果まで

お伝えし

楽しんでいただきたかったのですが!!


あらゆるところへ 

足を運んでも見つからない!!という

私たちの記録をありのままに書き


実際に世に送り出された記事が

コチラですッ!!


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※コチラの記事の二次転載はお辞めください。


跡地の答えはわからなかったものの

積み重ねた取材人との出会い

足利市民の皆さんの優しさ

記事にできたことが嬉しかったです!!


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ニヤニヤしていた

2日後


下村:「足利裁縫女学校跡地

住んでたかもしれないと言う方から

両毛新聞社に連絡がきたよ〜!


両毛班:「??!???!?!


これまであらゆるところへ

取材を重ねてきましたが


新聞のチカラは偉大だったァァア!!



これでやっと!!!


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と思ったら

人生そんなには甘くねぇ!と言わんばかり

の事件が…笑


次回いよいよ最終回っっ!

果たして足利裁縫女学校の

跡地は見つかったのか…??

お楽しみに○


話は変わりますが

次回7月28日で下村ゼミナール

前期最終回!!!


卒業制作の進行状況を

お伝えできればと○


夏休み期間は

ゼミナール生の日記

ノンちゃんの趣味でやっている

写真の紹介など

夏休み気分で投稿してもいいかなって

思っております!


後期も皆さんに楽しんでいただけるように

頑張ってまいります!


それでは皆さん次回もお楽しみに!

夏ですよね

背後にはお気をつけて…

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