最強の沈黙
もはや私の育ての親、 拝啓 あんこぼーろさんからヒントを頂いたので、こちらの内容も深堀させて頂きます。
元ネタはこちら。
2010年、私は初めてのインド旅行へ行った。
3か月の滞在予定で、その後半は、リシケシで哲学の勉強をした。
前半は、なるべくがっちりプランを決めずに、なるべく後悔しないようにいろんなところへ行こうと思っていた。
コルカタの日本人宿に泊まった時に、だいぶインドを周った男の子が、
「あ、絶対好きそうな場所があるよ」
と教えてくれたのが、オーロヴィルだった。
元ネタ見てない方のために説明しよう。
オーロヴィルとは、新世界都市で、ユネスコが協賛しており、
インドではない場所、とされている。
地球の歩き方には半ページくらいしか情報がなく、
当時はネットカフェで検索して情報を得た。
いろんな経験をしながら、その後オーロヴィルへ。
私がここで一番気になっていたのが、村の中心にある瞑想ホール、
マトリマンディールである。地上から出てきた太陽のデザインになっている。
3日以上滞在しないと中で瞑想はできないが、内側は真っ白な大理石と真っ白なカーペットで造られており、この中には世界最大級の水晶がある。
私は、どうしてもこの瞑想ルームに入りたかった。
なので、5日だったか10日だったかをここで過ごした。
1日目と2日目は、観光センターみたいなところで、オーロヴィルの説明を受ける。この村の思想を理解するためだ。
1日目は、オーロヴィルの説明ビデオを見た。
そのオープニングに驚いた。
かやぶき屋根の家、自転車のタイヤのスチール部分のような円形のものを棒で転がして遊ぶ子供たち。
オーロヴィルが目指していたものは、日本の原風景そのものだった。
終いには合気道の映像まで出てきた。
2日目は、少し遠くから、マトリマンディールを観る。
ここでは自己表現をしないで欲しい、静かに見て欲しい、という注意事項を受ける。
私はマイクロバスから降りて、マトリマンディールを見ながら、伸びをしたり、体を少したたいてほぐしていた。
トントン、とスタッフが肩をたたく。
自己表現は控えてください。
まさかのこれすらダメなのか・・・
その時はなぜなのかまだ理解できなかった。
そして3日目。
ようやく、マトリマンディールに入れる日。
入口では、全員靴を脱ぎ、靴下の上から、ビニールカバーを穿く。
真っ白な床を保持するためだと思う。
ここでも、音が響くので絶対にしゃべらないで、と念を押されたが、
すぐに納得した。
誰かが咳払いをした瞬間、その残響が結構な長さで鳴り続けたのだ。
ここでは、個人のやり方を尊重してしまうと、場が簡単に壊れてしまう。
だってここには一つしかないのだ。
サイレンス。沈黙。
ほかのいかなるものもサイレンスを壊してしまう原因になった。
各々、水晶の周りの好きなところに坐り、15分の瞑想をした。
あらゆる国から観光に来た人々が
沈黙したら、
境目がなくなった。
と、私は感じた。1年前から学んでいたインド哲学。
『UNITYではない、ONENESSなんだよ。別々のものが集まるのではなく、私たちは一つのところから始まっているんだ。』
スワミジからの教えが、スッと自分に沁みこんだ瞬間だった。
それが、体感できる場所がここなんだ、と。
言葉は、理解できないと共有できない。
音楽は、音程がとれないと共有できない。
踊りは、体が動かないと共有できない。
どれも祈りだ。どれも祈りだけど、一緒に祈ろうとしたときに、
一緒に祈れない人を生み出してしまう。
でも。
黙とうは。
沈黙は。
世界中の人で共有できる。
私の頭の中に、世界中の人が手をつなぐようなイメージが浮かんだ。
そこには、寝たきりの人も、足がない人も、音痴な人も、耳が聞こえない人も、知的障害の人も、赤ちゃんも、子供も、お年寄りも、みんないた。みんな、同等だった。
沈黙は、最強の祈りだ。
この15分で私が知ったことだった。
当時、オーロヴィルには2人日本人がお住まいで、そのうちのお一人の方と、このマトリマンディールに入る前後にお会いして、色々お話させていただいた。
この方は、世界の海を7年間ヨットで旅されたそうで、非常に素晴らしい神秘体験をされていた。
満点の星空の元、一人夜の海でヨットに乗っている。
すると、果たしてどこまでが自分で、どこからが空なのか、ヨットなのか、わからなくなった。全てが自分になってしまったそうだ。
まさに、ワンネスが体レベルで理解になったのだと思う。
そんな素敵な方に、私が瞑想で感じたことをご報告すると、こんな答えが返ってきた。
『ここには、いろんな国の人が住んでる。
私たちは自治会のような会議を時々しますが、根本的な文化が異なるため、どうしても解決しない問題が現れます。
そんな時はね、あの瞑想ドームの近くに、菩提樹があってね、
誰ともなくそこに集まり始めるんです。
そして、みんなで、
サイレントミーティングをするんですよ。』
だから、あなたが感じたとおりだと思う、と。
私は、なぜ創始者が村の真ん中に沈黙の場を設けたのか、とても納得した。
これから、あらゆる国の人がこの村に集まる。それがたやすいことではなく、そして調和を探ることでぶつかる壁が多いであろうことを、重んじていたのだ。だから、みんなで共有できる『沈黙』『黙祷』の場を、この村のスピリットとして中心に据えたのだと思う。
なぜ、地中から出てくる太陽のデザインにしたのかは調べなかったけど。
オーロヴィルには、この小国を守るほどのパワーを携えて、
最強の沈黙が中心にある。
『美しき緑の星』というフランス映画がある。
とても素晴らしい作品なのだが、80年代に完成したころは、
全くヒットしなかった。
宇宙の真理を織り交ぜた、スピリチュアルコメディーだ。
この映画のラストシーンに、『沈黙のコンサート』というシーンが出てくる。
ただみんな座っている。
急にどっと笑う。
あ、これはオーロヴィルからの発想を得たのかな、と思った。
これがそのラストシーン。
沈黙を共有し合うと、その先には、
今まで聞こえなかった音が待っているのかもしれない。
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