見出し画像

中途半端に人気タイ料理になびいた店は消えた。コロナ禍の真理

タイとミャンマーの国境のメーソートからバンコクに戻った。コロナ禍前なら、バンコクに1泊して帰国する日程を組んだような気がする。しかしいまはコロナ禍。バンコクでPCR検査を受け、その陰性証明を持参しないと帰国することができなかった。それも72時間以内と決められているから、検査をする日程もフィックスされる。その証明書がないと飛行機に乗ることもできなかった。メーソートでは、ミャンマーから逃げてきた人々の渦に巻き込まれ、新型コロナウイルスへの意識は薄れ気味だった。バンコクに着くと、ひとつのウイルスにふりまわされる世界が一気に戻ってきた。抗原検査、PCR検査⋯⋯。バンコクの街を動きまわることになる。
 

旅の期間:3月12日~3月14日
※価格等はすべて取材時のものです。

PCR検査代は約1万5200円だった。痛い出費だ


(旅のデータ)
コロナ禍の旅では、PCR検査代がかかる。1万円以上の費用がかかる国が多い。何ヵ国もまわる人の間では、「PCR貧乏」という言葉もすら生まれている。僕が検査を受けた時期、バンコクで検査を受け付けているのは大きな病院や、外国人向けの高級病院が中心だった。料金も4000バーツ前後から。円が安くなってきているので、1万5000円以上かかることになる。僕は予約の必要がないバンコク病院で検査を受けた。検査代も若干安く3800バーツだった。それでも1バーツ約4円で換算すると、約1万5200円。痛い出費だ。その後、バンコクでも2000バーツを切る検査機関ができてきたが。

一気にコロナ禍の世界に引きずり込まれた

(sight 1)

メーソートの空港にタイチャナというアプリの機械があった。タイチャナ⋯⋯訳して「タイは勝つ」。つまり「タイは新型コロナウイルスを克服する」という意味になる。これは日本のCOCOAに似たアプリのよう。一応、スマホをその機械にかざした。メーソートの空港にいたことが登録されたのだと思うが。ただそれだけのことで、返信はなにもない。これでいいんだろうか⋯⋯と首を傾げながら飛行機に乗った。
 
(sight 2)

飛行機はノックエアーというタイのLCCだったので到着したのはドンムアン空港。そこから電車でバンスー駅に向かった。ターミナルから通路をかなり歩かなくてはならず、電車の本数も1時間に2~3本で、少し使いにくい。やってきた電車に乗り込むと、椅子にこのシール。一気にコロナ禍の世界に引きずり込まれた。
 
(sight 3)

バンスー駅からMRTというバンコクの地下鉄に乗り換えた。ぼんやり立っていると、窓にタイチャナのQRコード。タイ政府はしきりとダウンロードを薦めるが、タイ人の知人に訊くと、「なんだかよくわからないから」と無視組が多い。「宣伝不足?」などと眺めていると、思い出した。入国5日目に抗原検査をして、タイチャナに送信しなくてはいけなかったのだ。タイに入国し、1泊の隔離があったが、チェックアウトしたとき、抗原検査キットを渡されていた。忘れるところだった。

唾液の出し方だけはうまくなった

(sight 4)

宿に着くと急いで抗原検査。唾液をとって自分で検査する。陰性でした。タイチャナに送ろうとしたが、どうやったら送れるのかがわからない。知人に訊くと、「モーチャナがいいのでは」という助言。モーチャナ⋯⋯医師は勝つという意味のアプリ。それも試したがやはりわからず、結果、無視。自分で検査して、自分で安心っていうこと? しかしこの抗原検査。これまで何回やっただろう。唾液の出し方だけはうまくなった。コロナ禍の成果? だからなんなの? という話だが。
 
(sight 5)

バンコクで電車に乗ると、ソーシャルディスタンスの表示をよく目にする。すいていると皆、守るが、混みあってくると無視。なんだか意味ないなぁ⋯⋯と呟いてしまう。タイ人に話すと、「マスクをしていれば大丈夫」というあっさりした答えが返ってきた。タイ人の拡大解釈? でも、皆、マスクだけはしています。僕もそれで「よし」という拡大解釈。

フアラムポーンはもう閉鎖されているはずなのだが⋯⋯

(sight 6)

閉鎖になる前に見ておこう⋯⋯とバンコク中央駅へ。タイではフアラムポーンと呼ばれる駅だ。実はこの駅、昨年末には閉鎖になるということになっていたはず。YouTubeなどを観ると盛んに「最後のフアラムポーン」という動画がアップされていた。しかし訪ねた3月、駅は普通に使われていた。夜行列車も発着する。駅で訊いても、いつ閉鎖になるかはわからないという。これってタイらしい話?

(sight 7)

駅の雰囲気はなかなかいい。ヨーロッパの駅をほうふつとさせるつくりで、タイがヨーロッパの影響を強く受けていた時代が伝わってくる。駅の機能はバンスー駅に移すようで、こちらは鉄道博物館にするという構想だと聞いたが、話はいつ頃からか止まってしまった。立派なバンスー駅はできたのだが。タイ国鉄の発想はあまりにタイ。「民営化しなきゃ、いつまでもダメダメ国鉄」と口にするタイ人の思い、よくわかります。
 

新型コロナウイルスが教えてくれた真理

(sight 8)

世界が新型コロナウイルスに席巻されて2年半。バンコクもそのなかで青息吐息の状態がつづいている。タイは日本のような給付金がないので、店は休業か廃業の選択を迫られてしまった。僕は「歩くバンコク」という地図型ガイドの製作にかかわっている。いつ、編集作業を再開する? 「店が休んでいるのか、止めてしまったのか⋯⋯それがわからないんです」。スタッフの表情は晴れない。
 
(sight 9)

バンコクでも多くの店が消えていった。しかし本当に味がいい店。それとタイ人が日々よく通う食堂はしっかり残った。「外国人に頼った店や中途半端に人気のタイ料理になびいたような店は消えたね」。タイ人は評価は冷酷。で、このシートラートという店。東タイ料理の店だが、味で生きのびた。昼どき、店に入ると、タイ人で満席。これはナムプリックという料理。絶品です。新型コロナウイルスが教えてくれた真理。
 
(sight 10)

で、タイ人がよく通う街なか食堂の料理がこれ。僕の好物でもあるヤムママー。ママーというインスタントの袋麺の麺を使ったサラダ。まあ、ジャンクなサラダですが、酸味と辛みがタイ料理の底力を教えてくれます。味の決め手は、店を切り盛りするおじさんかおばさんの腕だけです。これで40バーツ。
 
(sight 11)

安さで生きのびた店⋯⋯はずせないのは量販店のなかにあるクーポン食堂。高級化をめざすクーポン食堂もあるが、ここはロータスという量販店のクーポン食堂。「あそこにおいしいものがあるなんて思っちゃだめ」というタイ人も、しかたなく入ってしまうという世界です。期待がないので、心穏やかにスプーンとフォークを動かせます。

アジア旅を支えてくれた病院でPCR検査。保険、効きません

(sight 12)

帰国前日、PCR検査のためにバンコク病院へ。バスやタクシーを考えたが、3800バーツもかかるので、できるだけ節約しようと無料のシャトルバスを使うことに。エンポリアムというショッピングモールの脇から、1時間に1本ぐらいの割合で出ていた。受けとりは翌日。2回、バンコク病院に出向かなくてはならない。
 
(sight 13)

バンコク病院は外国人を受け入れる高級病院。日本語もOK。これまでも何回かお世話になっていた。アフガニスタンでアメーバ赤痢に罹ったときやミャンマーのバス事故で肋骨を痛めたとき⋯⋯。僕のアジア旅を支えてくれた病院でもある。いつもクレジットカードの付帯保険だが、今回は保険が効かない。検査は自費だ。
 
(sight 14)

海外でPCR検査を受けるのは3回目。エジプトのカイロでは検査施設探しに苦労した。そして英語がなかなか通じない。検査法や記入フォームなど、日本はこと細かに決めているから説明も厄介だ。しかしバンコク病院はその心配はない。すべて日本語。この奥の診察室で問診を受けた後で検体の採取。丁寧な検査。3800バーツですから。

(sight 15)

翌日、陰性証明を受けとった。これが領収書。PCR検査というのは虚しい。陰性証明書は飛行機に乗るときと、日本入国時に提出してチェックを受けるだけ。それが終わると紙切れになってしまう。次に陰性証明が必要な海外の国に向かうときは再検査。そのたびに1万円以上の検査代が消えていく。
 
【次号予告】次回はバンコクを発ち日本入国を。6月24日にアップします。毎週金曜日の連載です。
 















新しい構造をめざしています。