機内の空気はバンクーバーから一変した
メキシコシティ滞在もあと2日になった。この街にしばらく滞在したのは理由があった。日本帰国の準備だった。タイを出発してから、ギリシャ、トルコ、メキシコとまわったが、どこもPCR検査の陰性証明を用意する必要はなかった。メキシコにいたっては、なんの規制もなかった。しかし日本は違う。PCR検査は当然。そこにオミクロン株の感染拡大が加わり、日本人を含めた新しい入国用航空券の予約禁止まで話が進み、すぐに撤回など揺れに揺れていた。このあまりに違う温度差にメキシコシティで戸惑うことになる。
しかしまず、PCR検査。この陰性証明がないと帰国も進められない。そこで地下鉄に乗って空港に向かうことになる。メキシコシティのPCR検査施設のひとつが空港に設けられていたからだ。そしてバンクーバー経由で日本に向かうのだが。
旅の期間:12月2日~12月5日
※価格等はすべて取材時のものです。
メキシコシティでのPCR検査代は1万140円だった
(旅のデータ)
コロナ禍の旅の痛い出費はPCR検査代である。航空券やホテル代はコロナ禍前と変わっていない。安くなっていることもある。しかしPCR検査代を考えなくてはいけない。日本は世界でも最も高いクラスで2万円から4万円もする。海外はそれほどでもないが、1万円前後になることは多い。現地の人たちにとっては大変な出費だ。安いPCR検査を探すことは、旅を安くあげるための必須検索になった。
あれだけいったのに、受けとった証明書はスペイン語
(sight 1)
現地のPCR検査施設を探す。頼みの綱は、現地にある日本大使館からの情報。在住日本人向けに検査施設を紹介しているのだ。僕もそこからメキシコシティの検査施設を探した。空港の施設が便利だった。値段は1万円ほど。英文での陰性証明をつくってくれるようだった。日本政府がつくった証明書フォーマットも印刷した。日本は検体の採取方法、検査法を細かく決めている。それに合致させないと入国できない。その用紙を手に空港へ向かう地下鉄に乗った。
(sight 2)
空港は相変わらずにぎわっていた。マスクをかけていることをのぞけば、コロナ禍前のメキシコシティの空港となにも変わらないような気になってくる。メキシコはだいぶ前から入国規制もなくなっていた。どこに検査施設がある? 訊くとターミナルの隅のほうらしい。広いというより長い空港を歩きはじめる。
(sight 3)
ありました。横断幕がでかでかと。右手が受付。そこでいろいろ説明する。カナダ経由で帰国すること。逆算すると、いま検査を受けていいのか。そして日本政府が要求する採取法や検査法に対応してくれるのか。なかなか英語が通じない。その都度、奥のオフィスに訊きに行く。ようやくある程度、英語がわかる人が出てきた。いま、検査を受けてOKということになった。これでひと段落?
(sight 4)
30分ほど待っただろうか。正式な受付がはじまった。パスポートを渡し、必要事項を書き込んで支払い。1950ペソ、約1万140円。するとすぐに呼ばれて、鼻のなかに綿棒というこれまで、何回となく受けてきた検体採取。手つづきは面倒だが、採取は、「えッ、これで終わり」というのがPCR検査。翌日、陰性証明を受けとったがスペイン語。あれだけ説明したのに。指摘すると、慌てて英文証明をつくってくれた。これで大丈夫?
空港のベンチは仮眠する人で埋まっていた
(sight 5)
飛行機は早朝便。午前2時にウーバータクシーを呼ぶ。70ペソ、約364円。危ないといわれるメキシコシティのタクシーも、ウーバータクシーの登場でかなり変わった感。それに安い。チェックイン前にそろえた書類はこれ。PCR検査の陰性証明、ワクチン接種証明、カナダのバンックーバーでトランジットなので、eTAというカナダ用の書類、航空券の控え。これで無事、飛行機に乗ることができるはずだが。
(sight 6)
深夜だというのに空港はかなりの人がいた。この売店で残ったペソで菓子を2個買う。トルコに入国したので3日間の隔離対象になっていた。隔離ホテルのおやつのつもり。少し早く着いたので、チェックインまでベンチで仮眠でもと探したが、どこも飛行機を待つ人の寝場所になっていた。これほど多くの人が空港で寝ていていいのだろうか。大きなお世話かもしれないが。
こっそりと食べるサブウエイのサンドイッチ
(sight 7)
日本までの便はエア・カナダを選んだ。直行便、アメリカ経由便などいくつかの選択肢はあったが、エア・カナダがいちばん安かったからだ。バンクーバーで乗り換えることになる。カナダはすでにオミクロン株の感染が広まっていて、隔離対象国になっていたが、日本の水際対策ではトランジットは除外されていた。
(sight 8)
午前4時、エア・カナダのチェックインカウンターに行くと、すでにこの列。皆、早めに空港にやってくる。チェックインカウンターでは、PCR検査の陰性証明、ワクチンの接種照明などの書類のチェックをする。時間がかかることを知っているのだろうか。航空会社のスタッフもさまざまなスタイルの書類をチェックしなくてはならない。なんだかいらだっている。
(sight 9)
搭乗口は混みあっていた。コロナ禍の空港とはとても思えない。どの店も開いている。朝食? そうだった。バンクーバーまではアメリカ国内線やヨーロッパのスタイルかもしれない。ということは機内食は有料。慌ててサブウエイでサンドイッチを買った。170ペソ、約884円。高いな⋯⋯と思いながらも。どこで食べた? 機内に持ち込んでいいのかわからない。でも時間がなかったので持ち込み。客室乗務員の目を盗んで急いで食べました。
ここまでは機内を穏やかな空気が流れていた
(sight 10)
搭乗すると、最初に配られたのが、この消毒セットとマスクだった。これまでも飛行機に乗ると、この種のセットが配られることが多かった。飛行機の乗り継ぎが多いと、マスクが余るほど。しかしエア・カナダは消毒ジェルと消毒布は2個ずつ。カナダの田舎の食堂を思い出した。朝食を頼むと、山盛りフライドポテトと目玉焼き2個。関係ないか。
(sight 11)
機内の席は6割ほどが埋まっていた。客室乗務員も防護服は着ていない。ごく普通のフライトといった空気が流れている。フランクフルトからメキシコシティに向かうときと同じ感覚だった。入国規制がない国にかかわるフライトということなのだろうか。しかしその空気はバンクーバーから一変する。それはsight15で。
「紛らわしいことをするな」と、ついひとりごと
(sight 12)
バンクーバーの空港に着いた。この空港はイミグレーションまでの通路が、森のなかを歩いているような演出。テープだが鳥の声も聞こえる。これまで何回かこの空港を使った。北極圏に向かう旅や東海岸への列車旅。圧倒的な森に入っていく旅だった。しかし今回はなにか違う。オミクロン株への水際対策が変更になれば、それを聞かさるのはこの空港なのだ。心中穏やかならぬコロナ禍トランジット。はたして帰国できるのか。
(sight 13)
イミグレーションに向かって進んでいくと、アジア方面へのトランジット客だけこの表示の前で待たされた。なにかの新ルール? 水際対策がころころ変わる時期だけに、不安が募ってしまう。30分ほど待たされただろうか。先に進んでいいといわれ、待たされた理由がわかった。セキュリティチェックの準備が整っていなかったのだ。「紛らわしいことをするな」と、ついひとりごと。
学校給食かッと叫びたくなる
(sight 14)
東京行きの搭乗口。あたり前の話だが、日本人が多い。いつもなら別に気に留めないことだが、今回は別。入国制限に変更はないようだった。職員から健康アンケートをダウンロードして入力してください、といわれる。これもわかっている。このアンケートは成田空港に置かれている用紙に書き込んでもいいことを。コロナ禍の帰国はもう3回目。慣れたもの⋯⋯とはいいたくないが。
(sight 15)
東京行きの飛行機に乗り込んだ。機内の空気が一変した。客室乗務員は全員、防護服。ぴりぴりしている。マスクが鼻からはずれるとすぐ注意される。機内食は横一列の配膳が終わるまでマスクをはずすことができない。一斉に食べはじめ、終わるとすぐマスク。学校給食かッと叫びたくなる。同じ航空会社なのにメキシコシティからの機内とまったく違う。なぜ、こんなに厳しいの? 日本がカナダに比べ、特別に感染者が多いわけではない。アジアに向かうフライトだから? なんだか釈然としない11時間のフライトだった。そして到着した成田空港ではさらなる混乱とトラブルに巻き込まれる。
【次号予告】コロナ禍の世界一周旅も最終回。バンクーバーから成田空港に到着。隔離にふりまわされ、荷物が届かないというトラブルが待ち構えていた。(3月18日公開予定)
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ミャンマーの軍事クーデターから1年
「下川裕治のアジアチャンネル」でクーデター以来、週1回伝え続けた「ミャンマー速報」をnoteマガジンで1冊にまとめました。
「クーデターから1年。ミャンマー人たちの軍との闘い全記録」
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