野犬にガンを飛ばされる有刺鉄線の国境
バンコクからミャンマー国境の街、メーソートに行くことをした。僕は毎週、ユーチューブで、ミャンマーからの情報を集めた「ミャンマー速報」を配信している。ミャンマーでは軍のクーデターが起き、反対する民主派への弾圧がつづいている。軍を怖れ、タイへ越境する人も多いという。国境はどうなっているんだろう。見ておきたかった。
メーソートはバンコクからバスで8~9時間の街である。
しかしタイはコロナ禍。国内移動も制限されていた。バスも減便。切符を買うのも、コロナ禍前のようにはいかなかった。数少ない夜行バスでメーソートへ。そして国境に向かった。
旅の期間:3月9日~3月11日
※価格等はすべて取材時のものです。
メーソートまでのバスは445バーツ。ただ1日1~2便に減っていた
(旅のデータ)
コロナ禍前、バンコクからメーソートまでのバスは朝1便、夕方から夜にかけて4便という運行体制だった。しかし行動が制限され、ミャンマーとの国境も閉鎖されるなか、僕が向かった3月時点では、外国人向け英語サイト表示は1日1便だけだった。タイ語サイトに入るともう1便あった。タイ語サイトで片道445バーツ、約1650円。その後、便が増えていると思うが、ネット予約で見る限り、まだ不安定。便数も以前のようには戻っていない。いまのところ、ネットに頼らず、バスターミナルまで行って切符を買ったほうがいい雰囲気だ。
身の置き場がない国歌タイムは動画で味わってください
(sight 1)
メーソート行きのバスは夜の8時発。それに合わせて北バスターミナル、通称モチットマイへ。このバスターミナルは、微妙に不便。高架電車BTSや地下鉄MRTの駅から歩くには遠く、タクシーに乗るほどでもなく、路線バスというのも⋯⋯という距離。僕? バイクタクシーに乗ってしまいました。MRTのガーンペンペット駅を出ると、人のよさそうなバイクタクシーのおじさんが待っていて⋯⋯40バーツでした。
(sight 2)
バスターミナルには大きな待合室とバスに乗り込む前の搭乗口式待合室がある。ここは大きな待合室。バスの入線案内があるまでここで待つ。僕もまずここに。と⋯⋯午後6時。はじまりました。タイの国歌が流れて、皆、直立姿勢。外国人は倣う必要はないが、身の置き場がない時間。その感覚は明日(28日)ユーチューブにアップされる動画で味わってください。
(sight 3)
バスに乗ると夜食休憩があることはわかっていたが、することもないので、まずいことで知られるクーポン食堂へ。バスの減便が影響し、1ヵ所だけ開いていた。こういう食堂では、なにがおいしいかではなく、なにが無難かで料理を選ぶ能力が問われる。で、カーオカームー。50バーツ。米がまずいとなんでもまずくなる現実を知る。
バスに乗る前のチェックは日本より厳しい?
(sight 4)
バスの入線案内が出て、搭乗待合室へ。と、そこで検温。職員がひとり、ひとり体温を測り、切符とリストに記入していく。感染拡大を防ぐために、乗客は検査を受けないとバスに乗ることができない。ちゃんとやってました。そしてその後で、1枚の用紙を渡された。これはなに? 次のsightで。
(sight 5)
健康チェックシートでした。ちゃんと英語表記もあり、個人データを書き込んでいく。簡単な内容だが、物々しさは伝わってくる。この用紙にバス切符を添えて名前の照合。これがバスに乗る前のチェックだった。飛行機に乗るときの手法を夜行バスにもあてはめている。日本よりしっかり厳しい?
つい食べてしまう夜食はクイッティオというそばでした
(sight 6)
搭乗待合室を出ると、その先はウイルス関連のチェックはなかった。普通の夜行バスの乗車風景。時間ぎりぎりになってあたふたとやってくるのも同じ。入線するバスの密度はやはり少ない。一時、長距離バスは完全に停まっていた。その時期に比べれば、少しずつ乗客やバスが戻ってきているのだろうが。
(sight 7)
乗客は2階席というのがタイの長距離バスの主流。いま発車4分前。空席が目立つ。乗車率は6割ほどか。隣に停まっていたのはチェンマイ行き。乗客は4人しかいなかった。タイの場合、県単位での行動制限はあるが、この時期、移動禁止はなかった。人の動きはまだまだ戻ってはいないということらしい。
(sight 8)
午前零時半に夜食休憩。バス切符についているチケットをちぎって渡すと、クイッティオというタイのそばが1杯。僕は学生時代から夜食という習慣がなかった。タイ人の家に下宿をしていたが、その家でも夜食を食べる人はいなかった。長距離夜行バスに乗ったときだけの夜食? 皆、なくてもいいと思っているが、つい食べてしまう。
国境? 閉まってました
(sight 9)
バンコク発は夜8時と聞いたときから、「メーソートに着くのは午前4時台。ちょっと早すぎない」とは思っていた。しかし選択肢はないから乗るしかなかった。で、メーソートのバスターミナルに着いたのは午前4時半。自宅がある人はいいが、旅行者にはつらい時間帯だ。午前零時以降、1時間に1回の割合で検問があった。さすがに眠い。ベンチで寝るしかない。寝る直前に撮った写真がこれ。頭は睡眠モードに入っていて、ぼけぼけ写真ですいません。
(sight 10)
「6時になったら明るくなると思うから、それから国境に向かう」。バスターミナルにいるバイクタクシーの運転手には伝えていた。そのひとりが起こしてくれた。「で、いくら? 100バーツ? 高くない?」。声には出さないが、「起こしてあげたんだからさ」と目が語っている。しかたないか。朝もやのなかをバイクで進む。国境? 閉まってました。それも二重のフェンス。わかっていたとはいえ。
野犬にガンを飛ばされた
(sight 11)
国境脇のリムモエイ市場に行ってみることに。ここはタイというより、タイ人向けにミャンマーの物資を売る市場だった。翡翠などの宝石、アクセサリー、布、置物、木工製品⋯⋯。一時は大変なにぎわいだった。川を渡った先のミャンマーから、次々と物資が届く国境マーケットだった。当時、ミャンマーとタイの間の国境はいくつかが開放されていた。そのなかではいちばん繁盛していた。
(sight 12)
が⋯⋯市場の前はこれです。野犬にガンを飛ばされました。「なにしにきたの?」って感じ。その数が多いこと。吠えるでもなく、出ていけという雰囲気でもなく。まあ、余裕の野良犬なのである。国境が閉まって、やっと静かになった。自分の生活をとり戻すことができた⋯⋯といった風情。なんという野良犬軍団なのだろう。
(sight 13)
ちょっと怖かったが、リムモエイ市場のなかに入ってみた。99%の店のシャッターが閉まっていた。開いているのは、入口付近の雑貨屋だけ。あとは静まり返っている。蛍光灯が不自然に輝いている。角を曲がると、ふっと野良犬が出てきた。彼らの寝場所はここだったのか。人と犬の存在が逆転した世界だった。
ミャンマーのクーデターで設置された有刺鉄線がつづく
(sight 14)
リムモエイの意味はモエイ川岸。つまり市場の脇は国境のモエイ川が流れている。市場からその方向に出ると、川原の手前に有刺鉄線。これが延々とつづいていた。新型コロナウイルスの感染が広まり、国境は閉鎖された。しかしそのときは有刺鉄線はなかったはずだ。その後に起きたミャンマーの軍のクーデター。対岸はミャンマー。そこからの越境者を防ぐことが目的だった。しかしいざとなれば、有刺鉄線などあまり意味がなくなる。その程度の警戒だった。
(sight 15)
有刺鉄線に沿って進むと、対岸のミャンマーの街、ミャーワディーがはっきり見える地点い出た。民主派の人民防衛隊(PDF)とミャンマーの軍はこの近くでの戦闘をつづけている。近くの村は空爆にやられた。砲弾がタイ側に飛んできたこともある。そんな状況を知らないような静かな朝だった。僕は有刺鉄線にそってさらに進んでみた。そこで兵士と出合ってしまう⋯⋯その顛末は次回に。
【次号予告】次回は6月3日。毎週金曜日の公開です。ミャンマー国境で兵士に囲まれてしまう。戻ったメーソートのミャンマー人たちの姿も。