不登校語り③転機
さあ、約2ヶ月間家に引きこもってた私に転機がやってきます。
教育支援センター見学
実は、母がまだ働いていた頃、仲の良い同僚の方と話していたときに、同僚の方の娘さん(中学生)が学校に行っていない、という話になったそうです。そのことを私も母からちらっと聞いていて、当時は「そっか〜珍しいなあ」なんて他人事のように思っていたのですが、まさか自分もそうなるとは…(笑)。私が不登校になり、母がそのことをふと思い出して元同僚さんに相談してみると、娘さんは今「教育支援センター」(以下、センター)という、不登校の児童生徒が通う施設に通っていると言うのです。「そこに相談してみたら?」とのアドバイスを受け、センターに電話して一度見学に行くことになりました。
そこには、顔見知りで学校でもよく話していた同級生の女の子がいました。久しぶりに会って話もできて、嬉しかったのを覚えています。それから、小学校のときにクラスの様子を見に来ていた当時教育委員会にいた先生もいて、お互いが覚えていたので、その先生とも少し話をしました。そして、センター長の先生と不登校になった経過など、いろいろと話をしました。そのときの感想は「行ってもいいかな〜」というぼんやりとした感想。でも久しぶりに外に出て、親以外の人と話したり、久しぶりに同級生に会えたりと、少しではありますが前進したような気はしました。
野球という命の恩人
もうひとつ、大きな転機になったできごとがあります。3月中旬、家に引きこもってテレビを見る以外特に何もすることがなく過ごしていたところ、CMで「朝早くからWBCの放送がある」ということを知りました。WBCというのは野球の世界大会のことで、ちょうど2009年の2月〜3月にかけて第2回大会が開催されていました。「どうせ暇だし、早く起きて見てみるかなぁ〜」と軽い気持ちで早起きして見てみました。「軽い気持ちで早起き」って、矛盾してる気もするが。。
すると。どツボにハマってしまいました。2連覇がかかっている中、チームが違う選手が日本の代表として同じチームになり、体格では劣る外国を相手に必死に戦う姿に、心うたれました。惹かれました。私自身、面食いではあるので(笑)、顔だけ見て「この人かっこいい!」と思う選手は何人かいましたが、それ以上に声をかけ合ったり励まし合う姿、必死なプレーが、とにかくみんなかっこよかった。
第2ラウンドあたりから毎試合テレビで中継見て応援していました。そして、ご存知のとおり、日本は2連覇を達成したのです。日本中が2連覇を期待しているのはわかっているけど、負けたら終わり。そんな中、プレッシャーに負けずに戦い、優勝した選手たちは本当にかっこよく、感動しました。実は、決勝でイチローが打った決勝打、怖くて見れませんでした(笑)。今ではあの歴史的瞬間を見とけばよかった、という後悔が残っています。まぁ、もし見て打てなかったら、私が見たからだ〜と後悔するでしょうね。結局、結果論です。笑
野球に出会い、生き方が少し変わりました。今までは家に引きこもり、外に出ない単調な生活。でも、WBCを見て野球にハマり、毎日プロ野球の試合を欠かさず見る中で、好きな選手が活躍すれば喜んだり、チームが負ければ悔しがったりと、いろんな感情を出して生活にハリが出てきました(お肌かな?)。また、WBCを見て好きな選手、好きなチームができ、雑誌を読んで野球の情報を得るために少しずつ図書館や本屋さんに足を運ぶようになりました。野球のおかげで引きこもりから少し脱出できたと思います。きっかけって、突然降ってくるんだなぁと今になって思います。野球にハマる予兆なんて、微塵もなかったので。当時は自分だけ学校に行っていない罪悪感とともに、特に何をするでもなく、「無」な毎日を送っていた。この先どうするかも全然考えてなかった。というか考えたくなかった。気持ちが落ち込んでいたからこそ、普通なら何も思わないであろう“野球”を見て、何か感じるものがあって心うたれたのかな、と思います。
それから先も、野球には何度も救われました。野球は命の恩人です。
支援センターでの日々
支援センターに見学に行った後、それからしばらくはまだ家にこもっていました。勉強はせず、テレビや野球を見ることだけが楽しみな毎日。ただそれだけを生きがいに生きていました。
その後、支援センターには中2の5月頃から通い始めました。2ヶ月も空いてしまったのですが。朝10時に行き、午前中は勉強、午後はスポーツをするというのが1日の流れ。1年目(中2のとき)は、小学校がいっしょだった苦手な同級生も来ていたので、正直あまり楽しくなかったです(笑)。でも2年目(中3)はその人は学校に復帰して来なくなったので、毎日が楽しかった。
スポーツ、茶道、宿泊体験でのカヌー、クリスマス会、調理実習(ちまき、たこ焼き、チップス、うどん等)、博物館鑑賞、魚釣り等…いろんな経験をさせていただけました。スポーツはバドミントン、キャッチボール、野球、卓球、テニス、ホッケーなど、先生や友達とたくさん楽しみました。私はスポーツ(特に球技)が得意ではなく、学校の体育もチーム競技は足を引っ張るのが怖くて好きではなかったのですが、センターでのスポーツは失敗しても誰のせいにすることもなく、むしろ励ましてくれて、成功すれば「ナイス!」と声をかけてくれ、周りにあまり気を遣わず楽しくできました。センターでやったおかげで卓球とバドミントンとキャッチボールが好きになりました。
茶道に関しては、高校でも大学でも続けました。梨の皮むき大会もあり、そのおかげで梨の皮むきが得意です。午前中の2時間しか学習時間がなかったので、その時間だけはしっかり勉強に取り組みました。定期テストもセンターで必ず受けて、とにかく勉強だけは遅れないようにしてました。負けず嫌いなので、あまり先生に助けを求めたくなかった(笑)のもあり、ほぼ独学でしたが、教科書と問題集をフル活用してなんとかついていっていました。友達にも恵まれて、他の中学校や他学年の強烈なキャラの子にたくさん出会い、おもしろい先生にも出会い、センターに通った毎日が楽しかったです。
徐々に学校へ
そんな中でも、学校には始業式や終業式だけは行くようにしていました。センターの先生が「行ってね」って言うもんだから仕方なく。もちろんみんなの中には入らずに、相談室で過ごしていました。とはいっても始業式は休み中の課題と通知表を受け取り、始業式はただ来て長期休みの宿題を出して帰るだけでした。そう、不登校生徒の通知表って当然評価はつかないのですが、数字やABCの代わりに授業でやったことが文章でつらつらと書かれていました。
中2の3学期は、式以外の日でも相談室に行く日が増えました。でも中3になるとまた学校から遠ざかり、センターが空いていない4月はまたしばらく家で過ごす日が続きました。相談室にいた友達は少しずつ教室に入り始めていたのですが、私は教室に入るなんて想像できなかったし、もし入れと言われても絶対に嫌だった。教室はおろか、普通に廊下を歩くだけでも誰かにすれ違わないか、見られていないか、怖くて怯えていました。
でも、もう中3。受験生です。センターに通いながらも「今のままでいいのか…?」という思いがどこかにありました。なので、勇気を振り絞り、満を持してアクションを起こします。