しもっち

社会人3年目。

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最近の記事

嫌がらせで2年間不登校だった中学時代を過ごして思うこと

 実は、不登校になったのは2009年2月3日でした。ちょうどこの間、あの日から11年経ちました。今でも昨日のことのように思い出されます。  以前、「不登校は不幸じゃない」というイベントに参加し、不登校体験談を話したことがあります。不登校ってマイナスイメージがあるけど、こんな進路を辿って今こうしてるから、そんな悲観することないよ。不登校になっても選択肢はたくさんあるよ。っていうのを話すやつです。(雑)  実際、中学時代不登校でもなんとか生きています。不登校だったから得られた

    • 不登校語り⑤中3の3学期、教室復帰

      3学期。試練の日々の幕開けです。  最初に言っておきますが、3学期の出席日数やテストの点は高校に送られる成績には入りません。ここで教室に入るか入らないかで、内申点が変わることは一切ありません。だったら、教室に入らなければいいじゃないか。楽な方選べばいいのに、なぜこんなに教室で授業を受けることに拘るのか。それはそのうちわかると思います。 最初の試練 冬休みが明け、3学期最初の授業日、私は教室に入る気満々でいました。「2学期の最後に入ったあの感じで行けばなんとかなるはず」。1

      • 不登校語り④現実と向き合った中3

        1学期、高校決め。 危機感を抱いていた中学3年。  1学期は三者懇談と終業式のみ学校に行きました。三者懇談があった7月までは汽車通の定時制高校を考えていましたが、担任から同じく汽車通の全日制高校(レベル低め)を目指してみないかと勧められました。当時は、同じ中学の人がいるのは嫌だから近くの高校には行きたくないと思っていたので、汽車通学なら別にいいし目指してみるかな〜と思うくらいでした。  夏休みの高校見学は、車で1時間かかる定時制高校に行きました。そこでわりとフリーダムな雰囲気

        • 不登校語り③転機

          さあ、約2ヶ月間家に引きこもってた私に転機がやってきます。 教育支援センター見学 実は、母がまだ働いていた頃、仲の良い同僚の方と話していたときに、同僚の方の娘さん(中学生)が学校に行っていない、という話になったそうです。そのことを私も母からちらっと聞いていて、当時は「そっか〜珍しいなあ」なんて他人事のように思っていたのですが、まさか自分もそうなるとは…(笑)。私が不登校になり、母がそのことをふと思い出して元同僚さんに相談してみると、娘さんは今「教育支援センター」(以下、セン

          不登校語り②引きこもり期間

           前回は不登校になるまでのことを書き連ねましたので、今回は不登校になった直後、いわゆる引きこもり期間のことを綴ります。  中1の2月、学校を休み始めました。その次の日、母が担任に「娘が学校に行きたくないと言っている」と電話で伝えました。でもすぐに担任が家に押しかけることはなく。母も、無理矢理学校に連れて行くことはしませんでした。その点に関しては感謝してます。直後にタイミングよくインフルエンザにかかり、休む理由ができたのである意味ホッとしました。でも約1週間もすれば完治…さあ

          不登校語り②引きこもり期間

          不登校語り①私が不登校になるまで

          こんにちは。2回目の投稿です。 今回から何回かにわたって、私の不登校経験とそれに付随する思いを書いてみます。 今日はまず、不登校になるまでのことを。 受けていた嫌がらせ 不登校になった一番の原因は、クラスの男子からの嫌がらせ。入学式の日、隣の席だった男子(以下A)に、しょっぱなから机を離されていました。中学に入学したその瞬間からもう始まってたんです。それから約1年間、Aからの嫌がらせに苦しめられるのです。逆に、入学式の日、隣の席がAじゃなかったら、嫌がらせを受けることも

          不登校語り①私が不登校になるまで

          初投稿

          こんにちは。初投稿です。 まずは自己紹介から。 年齢:小1から高3までまるまるゆとり教育を受けてた世代 居住地:砂丘とスイカが有名な日本一人口が少ない県 経歴:中学時代いじめにより2年間不登校→某全日制高校→某国立大学→地元で就職→1年未満で転職→今(社会人3年目) 好きなもの:野球(12年目)、ジャニーズ、音楽鑑賞、読書、ドライブ 自分の過去や、好きなもの、思っていることをつらつらと書き連ねる記事が多くなります。 実は高校時代にア●ーバでブログっぽいのは書いて