バク転できる名誉教授、鎌田東二先生
拙著『自分とか、ないから。』を読んでくれたひとから
というコメントを複数もらったので、紹介したい。
監修をしてもらった、鎌田東二(かまたとうじ)先生である。
宗教学者で、哲学者。
世界中の宗教に通じていて、とくに神道においては第一人者だ。
シンプルに、めっちゃスゴい人。
鎌田先生が30代のころの著作(『翁童論』とか)をよんでも、知性の幅と感度の深さが、もう圧倒的で、びっくりしてしまう。「天才」っていうのはこういう人のことをいうんだなぁ、頭がクラクラしたのを覚えている。
◆ ◆ ◆
しかし鎌田先生のヤバさは、論文がすごい、とかの次元をこえている。
キャラがめちゃくちゃ濃い。たぶん、著名な学者さんのなかだと日本一なんじゃないか。
まず、バク転である。
70代でバク転を決めまくる。
でも、なぜバク転するのか?
すごく哲学的な背景があるにちがいない。
理由について、ネットの海に先生のコメントが漂っていたので、引用する。
「空を飛びたいから」らしい。
みんなが小学生くらいでわすれた感覚を、70代のいまでも持ち続けている。
◆ ◆ ◆
さらに、鎌田先生のメインの肩書は、学者ではない。
「神道ソングライター」である。
おそらく、「シンガーソングライター」と「神道」を組みあわせた造語だ。
Google で「神道ソングライター」を調べたら、こうあった。
作詞作曲数、320。
多作すぎる。
鎌田先生とおなじく、1998年にデビューしたシンガーソングライターに宇多田ヒカルがいるが、リリースした曲数はだいたい240らしい。鎌田先生が数で圧倒している。
「神道ソングライター」の看板に偽りなしだ。
◆ ◆ ◆
そんな鎌田先生とぼくが出会ったのは友人経由で紹介された、「心身変容技法研究会」であった。鎌田先生の主催である。
研究会の名前が、「ディープ」を通りこして、「危険」ゾーンにはいってる。
でも、じっさい参加してみると、ひたすら世阿弥の話をしていた。
議論が深すぎて全く理解できなかったけど、おもったより健全な会で安心したことを覚えている。
研究会への参加がきっかけになって、本の監修をお願いすることになった。それが2020年。いまから4年くらい前。
◆ ◆ ◆
さっそく、打ち合わせが設定された。
東洋哲学界のレジェンドに、テーマや構成を相談できる。
光栄すぎるし緊張した。
当時、本をかくうえで悩んでいたポイントを相談させてもらった。
・大乗仏教の「空」と「道」のちがいとはなにか
・中国哲学の陰陽の観念は実在なのか
とか。
鎌田先生は、丁寧に回答してくださったが、なんか表情がくもっていた。
ぼくも「あれ、質問のレベルが低すぎてがっかりさせた!?」とかおもってあせっていた。
そして鎌田先生から一言。
「自分らしく書いてください!」
陰が陽が実在が、とか、こまけぇことはいいんだよ。
書きたいこと書けよ。
というかんじの、シンプルで力強いメッセージ。
その後もなんどか打ち合わせしたけど、
こまけぇ質問をくりかえすぼくにたいして、
「自分らしく書いてください!」
といわれ続ける会になったので、
打ちあわせじたいが設定されなくなった。
◆ ◆ ◆
しかし、今回の本、ブッダの「無我」がテーマである。
タイトルからして
『自分とか、ないから。』
なのに「自分らしく」とは、これいかに!?
結局、本をかいていた3年半は、この鎌田先生からの禅問答にこたえる旅路のようだった。
なやんだ…
◆ ◆ ◆
なやんで、本来の出版予定日すら半年すぎたころ、鎌田先生から急にメールがきた。
こらあかん。
書くしかねぇ。
とおもって、「書きます!」と勢いよく返事したものの、
全然書けないまま時間がすぎた。(結局ここから2年以上かかる)
◆ ◆ ◆
そんなとき、ニュースがとびこんできた。
なんと、鎌田先生にがんがみつかった。
しかもステージ4。
「おわっ!マジか!」
と声がでて、時間がすっーと止まった。
生と死は東洋哲学の真ん中のテーマだし、たくさん本を読んできたけど、ズンっとした衝撃が消化できず、なんとなく、ぼーっとしながら1週間を過ごした。
気づいたら、先生からメールで案内がきていた。
「ライブします」
ライブすんの!? ステージ4で!?
そのライブは
「絶体絶命」
と名付けられていた。
生命力エグすぎ。
お元気そうでちょっと安心しつつも、
「すごく心配でした」
と連絡したら、お返事をいただけた↓
先生、山でクマにおそわれた女性を救助してた。
鎌田先生、リアルに生死を超越してた。
この人、すごい
◆ ◆ ◆
じつは監修をお願いしたくせに、
ぼくは鎌田先生の本をあまり読んでいない。
読んでいない、というより、読めない。
その学識の深さゆえに何を議論しているかについていくので精一杯、というのはもちろんあるけど、そこじゃない。
鎌田先生の文章は、なんというか、聖と魔の扉がひらきすぎてて、読んでると、「自分」をぶっ壊されそうになって、危ないのだ。(ぼくにとってです)
ちょっとわかりにくいたとえかも知れないけど、16世紀のラテンアメリカの話がイメージとしてでてくる。
スペインによって制服され、先住民の大多数が死んでしまったラテンアメリカだが、その死因の大半は、スペイン人がもちこんだ天然痘やはしかなどの感染症だった。
思想や宗教も、人から人へと伝播していくものであるし、あまりに強く染まれば「自分」という人格がまるっとのっとられてしまうという意味で、(強い比喩で申し訳ないけど)感染症と似ているところがある。
そして、鎌田先生は、あらゆる神秘主義思想や宗教を、その体内に取り込んだうえで高いレベルで調和していて、それがたとえば「おはよう」くらいのなにげないことばであっても、油断すると「自分」をぶっこす扉がひらいてしまいかねない破壊力を感じる。ゆえに、「読めない」。
鎌田先生と実際にはなしたり、あるいは誰かと対談されてる本をよむのはあまり問題ないのだけど、単著の濃い論考はパワーが強すぎるかんじ。もっといろんな思想をとりこんで、心の菌床を豊かにしてからでないと進めないところに鎌田先生はいる感じがずっとしている。
鎌田先生には「監修」にはいっていただいたが、どっちかというと、「鎌田東二」という、人間の生と死の実践をつうじて指針をみせていただいたのだと思っている。
◆ ◆ ◆
「新しく本をだします」
と、先生から連絡がきた。
『悲嘆とケアの神話論』という。
いつもどおり、執筆がぜんぜんすすんでなかったのもあって、先生の言葉は「危険」だと知りつつも読んでみることにした。
神話も、レヴィ・ストロースとか、現代思想の文脈で興味があったし。
理解できるかわからないけど、読んでみよう、と思って。
どんな論文だろう。
と本を開いた。
「は?」
と言葉がでた。
冒頭から、200ページぐらい、ぜんぶ「詩」。
それも、先生がスサノオとか、古来の神々の言葉を「降ろして」書いている詩である。
ちょっと刺激がつよすぎて、ぜんぜん読めてないのだが、その一瞬だけ本を開いた時間が、人生でもっとも衝撃的な読書体験になった。
「こんなの、ありなん?」
結果的には、先生からずっといわれていた
「自分らしく書きなさい」の「答え」だった。
『悲嘆とケアの神話論』の鎌田先生の詩は、めちゃくちゃ「鎌田先生らしい」ものだ。
でも、そのとき、書き手の鎌田先生は「からっぽ」である。
ただわきあがってくる「なにものか」の通り道になっている。
鎌田東二がゼロだからこそ、鎌田東二らしい。
そういうことか〜
「自分らしく」の意味を、先生は在り方でみせてくれたのだ。
とかいいながら、そこから書き上げるまで1年くらい時間がかかったけど、ひとつのターニングポイントだったと思うし、鎌田先生とご縁がなければ書けなかった本だと思う。
◆ ◆ ◆
本をかきあげて、出版日、先生に京都のスタバによばれて、抹茶フラペチーノで「かんぱ〜い」をした。
ハッピーエンド。
めでたしめでたし。
ここで物語はいったんおわり。
と、おもっていたが、
翌日メールがとどいた。
画像だと文字が小さくなるので、
ざっくりまとめると
・ ぼくは「思想ピン芸人」として芸能活動をする
・ 先生とぼくが漫談をして、それを本にする
・ 「思想ポップス」も1−2曲つくる(ライブは2ヶ月後)
ことを「提案」していただいた。
思想ピン芸人…
思想ポップス…
どういうことや…
作曲したことないけどどうすりゃいいんだ…
ということで、物語はまだ続きそうな雰囲気です。
だれか作曲おしえてくれ〜〜!!!
〜 fin 〜
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