地方百貨店の生き残り?(清水勝彦研究室ブログ)
7月末に岐阜県最後となる高島屋岐阜店が閉店をした。その記事にあった「地方百貨店が生き残るには自身の役割を再定義することだ」(日経MJ2024年8月23日)という言葉を読んで考えさせられた。
地方百貨店が生き残りとか、書店の生き残りとかはずいぶん前から話題になっているが、成功した例を知らない。というか成功するわけはないと思っているので、まだこんなこと言っているんだと感じてしまった。
一言でいえば「役割を終えた」からである。バイクメーカーが50ccの原付の生産を相次いでやめているのも同じこと。レトロ趣味でカセットやガラケーがもてはやされるのはともかく、「原付の生き残り」なんて考えるのは、「恐竜がどのようにしたら哺乳類になれるのか」と同じくらい無理というか、そもそも「間違った問い」であると思えてならない。この手の話に枕詞のように出てくる「かつてはモノがあれば売れた時代」って、いつのこと?還暦を迎えた私ですら知らない。
なぜそうなるかと言えば、これは人間の癖としか言いようがない。「バックミラーを見た経営」と時々揶揄される。そして、これも繰り返しになるが、ステレオタイプによる思考停止と手段の目的化。
正直自民党が変わろうがどうでもいい。日本をよくしてほしい。この点も手段が目的になっていないか心配するばかりだ。