創作の基準は、「自分」
こんにちは、Shimizu_Tです。
今日は、創作する時の基準は「自分」であることを、改めて確認したという話です。
noteへの投稿を始めて2ヶ月近くになりました。
他のSNSを利用したことがなく、今もそれは変わらない私は、ひたすらここで取り留めもない事や思い付いた事について投稿を続けています。
あるテーマに特化した内容ではなく、また、文章力もないことから、それほど多くの人には読まれていないと思います。実際に、ダッシュボードの数字を見れば、それは実感できます。
そりゃ、多くの人に読んでもらう事ができれば、嬉しいに決まっている。
そのためには、たぶん多くの人が関心を持っている内容について、上手くまとめることが出来れば、いいのかもしれない。
何らかのテクニックのようなものがあるのかもしれない。
しかし、始めたばかりの私にとっては、まずは定期的に投稿できるか、いろいろなテーマで書くことができるか、いわば、大海へ出る前にプールの中で泳ぎの練習をしているようなものだと思っている。(ちょっと違うか?)
そこで、いつも投稿する時に思うことは、「自分で読んで、面白いと思えるかどうか」を大事にしているということ。
読んでいただいた方がどう思うか、どう感じるか、よりも、まず自分が読者だったら面白いと感じるかどうか。
そのために、ウケを狙うのではなく、自分が書きたいことが書けているかを一番に考えている。(と言いつつ、ちょいちょいオチを入れたりもする)
ただ、投稿した後に自分で読み返してみると、「自分なりにそこそこ書けたな」と思うよりも、「結局上手く書けてないな」と思うことのほうが多い。
多くの人に読んでもらおうなんて、自分にはまだまだおこがましいと思っている。ある程度書けるようになってから、次の段階(=多くの人に読んでもらうには、どんな工夫をすればいいのか、どういったことは書かないほうが良いのか等々)へ進むべきだと思っている。
なぜ、今日はこういった話を書いたかというと、今年の米国アカデミー賞(国際長編映画賞)を受賞した濱口監督が、バックステージのインタビューで次のようなことを仰っていたから。
「映画を作る時に、平均的なお客さんみたいなものを想像するわけではなく・・、自分自身が、映画をずっと見てきた人間として、ある基準を持っていて、その基準に合うか合わないかを撮影現場ではひたすら見ている。いってみれば、観客は自分なんです。」
よほど自分の基準に自信がないと言えないことだと思います。
いや、だからこそ、世界的な賞を獲るまでに至ったのかもしれません。
自分で自分を信じなければ、誰が自分を信じるんだ。
濱口監督が、そう仰ったわけではありませんが、今日の記事を書いているうちに、こんな考えも自分の中で見えてきました。
あっ、最初と最後でちょっと話がズレてしまいましたね。
まだまだ、未熟者のShimizu_Tでした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
いつものように、締めくくりはこの言葉で。
「毎日が、心穏やかに過ぎますように」