ちょっとしたチャレンジが日々の私を変えてくれるという話。
(後半から結構話が深くなりますので、最後までお付き合いください)
実は毎日コンビニでご飯を食べることが多い私ですが、会社が渋谷スクランブルスクエアにあることもあり、初めてご飯フロアにチャレンジしてみることにした。
昼飯はコンビニで食べていることが多いのですが、「毎回毎回こんなものばかり食べていいのだろうか・・・」と思いつつも、「でも外に食べに行くのもめんどくさいし・・・」、「外寒いからな・・・」
(怠惰な私・・・いつも怠惰・・・)
なんて思いながらも、
結局はコンビニで食べてしまう私がいました。
体に悪いんじゃないだろうか、
やっぱりいいものを食べたほうがいいんじゃないだろうかと思いつつも、
罪悪感が残る昼飯を続けていたのも事実。
コンビニってほんと食べ続けると飽きますよね。なんでなんでしょう。
けど、やっぱりコンビニ、便利なんですよね。
みなさんはどうしてます?
で、久しぶりに少しだけ時間ができたのもあったが、いつもコンビニだった私は、
たまには違うことをしてみようと
思ったわけです。
いつもと違うチャレンジにより、
なにか素敵な機会をくれるのではないか、
面白いネタなんて、あるんじゃないかと思い、
渋谷スクランブルスクエアのレストランフロアに行ってみたのだ。
(正直noteのネタを探してだのも理由の1つ)
スクランブルスクエア。すごいぜ。。。
想像はしていたものの、人だらけだ。
正直言えばどこで食べるかを考えるのも面倒になるほどだった。
列がないところは正直1800-2000円と正直高い。なんで、あんなに並んでまで食べたいのか。。
もちろんこのお金が高すぎて、、というわけではないのだが、
でも極貧生活を体験してきた私にとっては1000円でも高いと思うわけで。
(このあたりは年収があがっても変わらず、いつも節約家)
ヒカリエくらいのレベルかと思ったら、
渋谷スクランブルスクエアはもう1つ上だった。。。もったいない。
諦めがついた。
もう渋谷スクランブルスクエアのレストラン街は私のテリトリーではない。
さようなら、最寄りのレストランフロア。
素敵なレストランフロアよ、もう私が行くことはなさそうだ。
いままでコンビニだとイマイチ、
だなんて思いながら食べてた自分だったが、
**いや、やっぱりこれで良いのか。 **
近いし。。という気持ちになった
いつもと違うことをしたら、日々の捉え方が少し変わりました。
ちょっとだけコンビニへのモチベーションがあがりました。
こんな小さな体験ってありますね。
なにか動いてみたことが、なにか違った視点を与えてくれること。
でも、この「新しさが、新しい視点」を創る
というのは、人生においても、マネジメントにおいても非常によくある話です。
ここまでの話が長くなったのですが、
やっと本題w
(書いてからここまでのくだり不要だったかもと反省も)
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で、少し話は飛躍するのですが、
今日は新しいチャレンジが
自分を変える一歩になること。
自分とは対局にあることが、
自分の器を広げるチャンスになること。
自分の器の広がりが、
自分を変えることに繋がること。
そんな話を書いていきたい。
器という考え方。器の大きさがチャンス変える
私はこの「器」という概念をとても大切にしています。
人には影響範囲というものがあり、
「その範囲(器)の中でしか
色んなチャンスや機会を拾う・入れることが
できないのだ」と思っています
例をいくつか挙げていきます ---
先日とある経営者の方と話をしていたのですが
「なかなか良いマネージャーや幹部の採用が進んでいない」という話でした。
この話には会社の「器」が影響しているよね、
という話になったわけですが、
会社には「実は素敵な人材がサイトには来訪している」が「応募していない」のだ。
それは会社のビジョンが狭かったり、世界観が狭かったりして、その素敵な人材を受け入れるだけの「器」までには足りない状態だから
その人材が引っかかってこないのです。
つまり、まだまだ魅力が足りないのです。
(ちなみにその会社はめちゃめちゃ魅力的なので、もっともっと凄い人材を採用するために、魅力を磨かれています)
これなんでもいえます。
私には師匠(先生)がいます。
たくさんのことを教わりました。
昔、師匠が「モテるための秘訣はこれだ!」
だなんていっていました。
「自分の魅力が足りないから、素敵な相手が見つからない、相手とクローズになれないのだ」と。
素敵な人は世の中にはたくさんいる。
足りないのは自分だ。お前の器だ。
器が小さいから、ただ入ってこないだけだ。
素敵な人は、お前のような小さき器には入らんよ。
当時は、そうか、、、器が小さいのか、、、
悲しい・・なんて思ったわけです。
また別の話ですが、
チャンスという意味合いで内容を変えると、
たとえば、
絵がすごい好きな人がいて、たまたま道でみた絵が素晴らしい価値だったときに、
絵に対して知識のない私は、スライド(スルー)してしまうだろうけど、絵がすごい好きな人ならそれは気づくでしょう。
心理学的にはカラーバス効果、
みたいなもので、
人はみたいものを見たいように見てるし、
聞きたいものをききたいようにきいています。
(この文章も刺さる人には刺さるけど、刺さらない人には全く刺さらないわけです)
チャンスがない、運がない、という人は、
見るべきものを見ていない、拾うべきチャンスを拾っていない
というより、正確には、
見たいものを見ている=不幸を見ている、うまくいかない自分を見ているから、うまくいかないのです。
ただ単に運を拾いたくない、
チャンス以外の道をひろいたいだけなのだと。
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少し話が広がったので、まとめていきたいです
器を広げるには全く違うことの受け入れから始まる
ちなみ、この話は私はマネジメントのとき
よく話をしていることです(大切にしている考え方)
さて、器の広さは何で決まるのか。
それは端と端の距離がどれだけ長いか、ということです。
え、当たり前じゃん、と思うのですが、
詳しく書きます。
器って、必ず端っこが2つあります。
左端と右端です。
自分におきかえると、
左端が「自分で」右端が「自分からもっとも遠い自分」
自分からもっとも遠い自分とは、
すなわち
嫌いな自分や嫌なことをする自分、
時には苦手なことや苦手なことをする自分だと思います。
日々の自分からみて、一番遠い自分が、
一番対局の自分なので、それを受け入れて、
一番対局の自分さえも「自分」になれば、もっと器は大きくなるわけです
補足ですが、この一番対局な自分を自分化すると、全部「自分」じゃん、ってなりがちですがそれは違くて、
1.端っこの自分を知る
2.対局の自分(苦手・嫌いな対局)
3.そこをガッツで受け入れる
4.対局の自分が自分になる
5.結果、器が大きくなりながら、もっと大きな先に対局の自分が発生!
ということです。
5の補足ですが、
苦手なものやことは一生発生します。
なにかができると、遠い苦手、知らなかった苦手に気づきます。
これは永遠に続くんですが、結果この繰り返しで器が広がり、たくさんのことが受け入れられるようになるんだなーと思うのですね。
だから日頃から
自分とは対局にあることを受け入れ、
器をひろげてくことがとても大事なのだと思うわけです。
色々書いたのですが、実際対局にある苦手なことにチャレンジすることってしんどくて、続かないので、
私としては、タイトルにも書きましたが、
まずは「ちょっとしたチャレンジが日々の私を変えてくれる」ので
「ちょっとしたチャレンジ」から「変化」を作ってみてはどうか、
なんて思うわけです。
ということで、明日も私は変化していきます。
読んでいただき、ありがとうございました!